こちらの記事のつづきです。

 

 

草薙の剣が熱田神宮に置かれている理由が、

 

封蛇剣としての役割だけじゃなく、

 

天皇(神)への力の一極集中や、強いリーダー像を作り上げるためでもあるとしたら・・

 

全てがそのためのストーリーだとしたら、草薙の剣盗難事件は、どう見えるだろう?

 

 

それに、668年に草薙の剣が盗まれてから、18年もの長い間、宮中に置かれていたという点がどうしても気になる。なんか変。

 

 

蛇を封じていた剣が盗まれたんだから、見つかったらすぐに戻すでしょ?

 

なのに18年も離れていた・・

 

ということは、離れていても大丈夫だったんだ。

 

蛇を封じなくても大丈夫だった。

 

なぜ?

 

なぜ?

 

 

・・

 

・・・

 

 

 

あー!そうか! わかったかも!

 

 

蛇を封じるために草薙の剣を熱田神宮に置いたのは、

688年が最初だったんだ!

 

だから、18年も宮中に置かれていても問題なかった。

だって元々ないんだもの。

 

 

そうか・・・そういうことだ。

 

草薙の剣は、盗まれていないんだ!

 

盗難事件はすべてフェイクだったんだ!

 

 

 

なぜか、突然、そう思って、・・・そして全てがつながった。

 

 

 

 

 

 

突拍子もない答えだけれど、もしそうだとしたら、

ここまでに感じた「矛盾」が解決する。

 

 

「法海寺」の縁記によると、新羅の僧道行は、草薙の剣を盗んだ同じ668年に、

天武天皇の病を平癒した褒美に寺を開基していた。

 

↓法海寺

 

■■ 法海寺縁記 ■■

 

法海寺の開基は、新羅国明信王(しらぎのくにめいしんのう)の太子の道行法師といわれ、

  由緒は「日本書紀」巻27の天智天皇7年の条につながっている。 

そこには、

「沙門道行、草薙劔を盗みて新羅に逃げ向く、而して中路に雨風にあいて、荒迷ひて歸る」

と道行の名前が登場している。

 

後世に編纂された寺伝の「薬王山法海寺儀軌」によれば、

この後、この沙門道行は帰国を断念し当地に堂宇をいとなんでいた。 

 

そして、天智天皇の御不例を当山御本尊に祈願して平癒した功によって、

「薬王山法海寺」の勅額と寺田280町歩を賜った。


時に、天智7(668)年、8月3日の創建とされ、以降、淳和(じゅんな)天皇に至る

13代の勅願寺として堂宇壮観、内外12院があったと伝えられている。

1300有余年の歴史を裏付ける有力な事象が、その信憑性を物語っている。

 

■■ 法海寺HPより抜粋 ■■

 

 

どうして罪を犯した同じ年に、寺を創建できたのか謎だったけれど、

実は草薙の剣を盗んでいなかったとしたら、筋が通る。

 

 

道行は力のある僧で、天智天皇の病を平癒した人だった。

 

この話しだけが真実なんだ。

 

答えは実にシンプルだった。

 

 

 

 

 

 

そして、他のエピソードも全てが作り話しだとして見ると、

 

草薙の剣を盗んで逃げたら、剣が自分で戻ろうとしたとか、嵐にあって前に進めなかった

という話しは、剣の力を誇示するためのストーリーだし、

 

草薙の剣が熱田神宮を離れていることが原因で、

天武天皇が病になったという話しもそう。

 

草薙の剣は、天皇(神)を病にするくらいの力があるもの、霊力を備えるもの、

という権威付けなことがよくわかる。

 

 

当時は、天皇(神)が病になるということが、

天変地異と結びついて考えられていたのかもしれない。

(確か、中国ではそう考えられていたような・・)

 

そうだとしたら、

白鳳地震も、天武天皇の病が発端だと思われていたのかも。。

 

だからこそ、その原因となった草薙の剣が熱田に戻ったからもう大丈夫的な、

そういうメッセージを強調したかった。

 

だって巨大地震のあとですよ!

少しでも安心材料を示したかったんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

 

そして、

 

犯人が新羅の僧で、王子の道行にされた理由は、

新羅の背景に「唐」を見ていたからじゃないだろうか。

 

 

 

新羅は唐と君臣関係を結び、半島を統一した。

(その後、唐と新羅は度々もめていたが・・)

 

天武天皇の時代、新羅とは国交を回復して使者をやりとりしていたけれど、

唐には使者を出していなかったそう。

 

つまり、日本は新羅を挟んで唐と対峙していた。

戦は起きてないけど、少なからず緊張状態はあったはず。

 

だから、新羅の僧がどうにかして自国に持ち帰ろうとしたという話しは、

この時代背景を知っている人には、新羅=唐と読めるんだろう。

 

新羅=唐が強く欲しがるくらい霊験あらたかな草薙の剣。

 

そんなすごい剣が日本にあるんだ!ってなる。

 

これが言いたいんじゃないかなと思うんだよねー。

 

やっぱりこの話しも、草薙の剣のすごさアピール。

 

 

 

 

そして、その霊験あらたかな草薙の剣が置かれている場所は、

大地に描かれた北斗七星(+1星)の上なのだ。

 

 

北斗七星+1星は、天と地と人をつなぐ場所。

 

 

壬申の乱で「尾張氏」は天武天皇に従っていた。

 

大地に描かれた8星の力を知るものが、天武天皇側にいたんだ。

 

 

きっと、8星の仕掛けの意味も知っていたに違いない。

 

 

それに、天武天皇の宗教観には道教の色が濃く出ていると言われる。

 

道教では北斗七星は神格化されているし、道教の影響を強く受ける陰陽道では

北辰=北極星や北斗七星が信仰される。

 

 

天武天皇の時代、北斗七星は神とされた。

 

そしてその北斗七星(神)の力は、草薙の剣によりコントロールされる。

 

草薙の剣 > 北斗七星 の構図

 

 

これ、インパクトあるでしょうねー。

 

そして、そのすごい草薙の剣を持つのは、日本の天皇(神)。

 

つまり、天皇は、太陽神や北極星、北斗七星とのつながりを持ち、

北斗七星の力をコントロールできるくらいすごい草薙の剣を持つ、絶対的な存在。

 

これが示したかったんじゃないかなあ。

 

 

 

 

 

そして、もう1つ、草薙の剣盗難事件のエピソードの中で気になることがある。

 

あるんだけど、、長くなるw

 

 

うーん。中途半端だけど、もう1回分けます。

 

後編へつづく。