こちら→【地上に描かれた古代の星を探せ!】*16<於大の方と弟橘姫、2人の姫と第3チャクラ>のつづきです。

 

さあ、北斗七星+1星探しのラスト!

 

2017年秋分にスタートして、約1年2ヶ月。

ついに、そのラストピースが埋まります。

 

 

 

 

 

 

 

 

前回、第3チャクラ「入海神社」がわかり、

残すは第2チャクラの場所だけとなった。

 

空海の「頭と尾を探せ」というヒントを軸に探してきて

蛇の頭(羽豆神社)と、蛇の尾=蛇と亀の境目の場所(入海神社)を見つけたから

残す1つは「蛇の腹」の部分ということになる。

 

 

このあたり↓緑の丸の中のどこかにあるんだけどな。。

 

さて、何を手掛かりに探そうか?

 

前回に続いてこれといった手掛かりがなくて、

どうやって進んだらいいのかわからんww

 

 

 

で、しばらく地図を眺めていたら。。。

 

好きでよく行くあの場所が第2チャクラの候補に残っていることに気づいた。

 

 

 

 

 

それは「セントレア」

 

常滑市にある中部国際空港だ。

 

 

セントレアは常滑市沖に海を埋め立てて作られた人工島の上にある。

 

 

スカイデッキから見るこの景色が好き♡

海の路と空の路が交わる場所にワクワクが止まらない。

 

 

そういえば、大地に星が描かれているんじゃないか?と

思いついたきっかけもセントレアだった。

 

 

*その時のこと

「隠された星の神」はなぞかけで、「星の中に神様が隠されている」が正解だ。③

 

 

 

 

あの時のあのインパクト!

 

空港の電光掲示板を見て、ああそういうことか、と気づいたんだ。

 

目が釘付けだったなぁ。懐かしい。

 

 

 

そういえばいつだったかのセントレアに車で行った帰り道、

高速道路が混んでて、珍しく下道で帰ったことがあった。

 

結局、下道も混んでてw

常滑市内が大渋滞。

 

しかも「祭り」渋滞で。。。

 

気になってあとで調べたら、常滑や知多半島には独特の山車文化があり、

お祭りも盛大!ということだった。

 

↓常滑祭りの山車の数々

*写真はこちらよりお借りしました。

 

 

山車を直接見たわけでも、お祭りに参加したわけでもないのに

不思議とずっとあの時の祭りの雰囲気が心の中に残ってる。

 

夕暮れのダークグレイの空、古い国道に続くテールランプの列、

道路整備をする法被姿の人たち、祭り会場へ向かう親子連れ。

 

その時の様子が今でも鮮明に浮かんでくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「セントレア」と「常滑祭りの渋滞」

 

 

なぜかワクワクする場所と、ずっと心に残る場所が、

第2チャクラがあるあたりと重なる。

 

 

これはただの偶然だろうか?

 

いや、違う。

 

これまでの流れからすると、この偶然にヒントが隠されてるんだ。

 

・・セントレアと祭りのある「常滑」に「何か」あるんだろうか・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常滑に何があるというんだろう?

 

まさか、羽豆神社の羽豆=蛇頭だったように「蛇の腹」という地名でもあるんだろうか?

 

というか、蛇の頭と尾の間って、蛇の腹で合ってる??あせる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雲を摑むような話しだけど、

常滑に「蛇の腹」に関係する地名がないか探してみることにした。

 

 

で、いろいろワードを変えて探していたら、

気になる地名を発見!

 

 

それが「蛇廻間(じゃばさま)」という地名で、

 

探している場所を「蛇の腹」ではなく「頭と尾の間」

 

つまり「蛇の腹」=「蛇の間」としたら、それらしい地名がヒットした。

 

 

↓常滑中学校の近くに「蛇廻間」「南蛇廻間」という地名がある。

 

 

でも、この「蛇廻間(じゃばさま)」のあたりにめぼしい神社や磐座はない。

 

探してる場所は「蛇廻間(じゃばさま)」じゃないんだ。

 

 

でもこの流れ・・「蛇の間」が糸口なのは合ってる気がする。

 

 

 

だから、

 

「常滑」から範囲を広げて「蛇の間」に関係しそうな場所を探してみることにした。

 

 

すると、そこかしこに「蛇廻間(じゃばさま)」と同じ「廻間(はざま、ばさま)」と呼ばれる地名がある!!

 

 

それに、よくよく考えたら、織田信長が今川義元を破った下克上で有名な「桶狭間の戦い」のあった場所も「桶狭間」だ!

 

 

また織田氏の登場。

 

なんかつながってきたぞ。。。

 

 

 

 

 

 

 

調べてみると、

 

どうやら「廻間(はざま)」は地名にしか使われない言葉で、その地名も愛知県にしか存在しないそう。

 

これは何かありそうよねw

 

 

で、さらに調べてみると、

愛知(特に知多半島)の「はざま」地名についてまとめている人を見つけた。

 

 

 

その方の調査結果↓に驚きです。

 

知多半島における「はさま」「はざま」「ばさま」より抜粋■

 

小字レベルまで含めて見ると、愛知県の知多半島には「はさま」の類が100近くあります。

以下、読み方ごとに、どの自治体にどれだけ存在するかと、漢字表記の傾向をまとめてみました。

(調査対象:知多市、阿久比町、東海市、東浦町、大府市、常滑市、美浜町、半田市、武豊町、南知多町)

 

確認地名総数(東海市、半田市、南知多町を除く7市町で存在を確認)
はさま=6 はざま=35 ばさま=47

 

上記の結果から、
1.知多半島においては、「廻間」が大多数。ただし、局地的(東浦町・常滑市坂井地区など)に「挟間」優位。
2.「はさま」と読むのは、地名が「廻間」単独のケースが多く、「○○廻間」となると、「はざま」「ばさま」の読みになる。
3.「はざま」と読むか「ばさま」と読むかは、地域的に非常に偏りがある。

おおむね、知多半島東部(東浦町、大府市、武豊町)が「はざま」、半島西部(阿久比町、常滑市、知多市、美浜町)が「ばさま」優位。

 

■■ 抜粋ここまで ■■

 

*詳細はこちら

 地名の一覧などあり、大変わかりやすいです。ありがたい。

 

 

 

なんと、

 

知多半島には100以上の「はざま」地名が存在する!

 

たくさんあるなと思ったけど、そんなにあったのか。

 

集落単位で同じ地名が存在するならいざ知らず、半島全域でこれだけ同じ地名が存在するというのは珍しいんじゃないだろうか?

 

さらにいえば、こんなにたくさん「はざま」があるのに、

知多半島の最北「東海市」と最南「南知多町」にはないのがおもしろい。

 

半田市も存在しないとなってるけど、周辺の市町村には存在するので、たまたまという気がする。

 

東海市は蛇と亀の境目=蛇の尾のあたりだし、南知多町は蛇頭(羽豆神社)があるんだから、蛇の間(蛇の腹)があったらおかしい。

 

辻褄が合ってるような。。。たまたまだろうか。

 

 

 

 

そして、そして。

 

全国的にみると「廻間」「狭間」以外の「はざま」地名がいろいろと存在する。

 

 

■■「はさま」地名コレクションより抜粋 ■■

 

迫、、廻、硲、峡、峻、生、迫、狭、挾、峽、廻、羽、巡、谷、雲、狭様、母様、場様、羽佐、左、波佐、波砂、、、

 

■■ 抜粋ここまで ■■

 

こうして見てみると「間」がつくものが多い。

 

 

それに「はさま」の「は」が「羽」のものもある!

 

 

「はざま」=「羽間」ということは、ですよ。

 

羽=蛇のあの法則を当てはめると

 

「はざま」=「羽間」=「蛇間」

 

とも言えるわけで、、

 

 

 

やっぱり「はざま」は「蛇の間」つまり「蛇の頭と尾の間」のことを示すんだと確信した。

 

そして、具体的な場所は見つかってないけれど、常滑をきっかけに「廻間」「狭間」地名の分布や数の多さがわかったし、

 

知多半島の真ん中あたり、常滑やその周辺に探してる場所はきっとある!

 

 

空海に「あとちょったぞ!」と言われてるような・・

 

不思議とこの流れの先に探してる場所がつながっている感じがする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

その空海について。

 

最近の、空海のヒントを元に3星を探し始めてからというもの、

 

 

空海は「8星のうち3星が隠されている」とヒントを残している(と思っている)けれど、この3星を隠したのは「誰」なんだろう?

 

ふとこんな疑問がよぎることが、たびたびあった。

 

 

 

 

尾張氏が隠したのだろうか?

 

でも尾張氏の始祖「建稲種命(たけいなだねのみこと)」は、第1チャクラのある場所に住んでいたしなあ。

 

隠してるどころか、むしろその力を使おうとしていたような気がする。

 

そもそも海の王なのに「建稲種命(たけいなだねのみこと)」は、日本書紀や古事記には名前が出てくるだけで、詳しく活躍が描かれていない。

 

「建稲種命(たけいなだねのみこと)」自体が隠されていると言っていいようなw

 

それに、入海神社の「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」も、ヤマトタケルのために海に身を投げたと日本書紀や古事記には描かれているけれど、入海神社にヤマトタケルが一緒に祀られていないのは、不思議な感じがする。

 

「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」とヤマトタケルの関係の希薄さも、「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」の存在を隠してるようにも受け取れるけど。。

 

 

そして、第1チャクラの羽豆神社も、第3チャクラの入海神社も、

どちらも日本書紀、古事記には関係しない場所で。

 

 

こうしてみると、隠したのは日本書紀や古事記を編纂した人たちに思えてくるんだけど、、、、そこんとこ、どうなんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本書紀や古事記を編纂した人たちが3星を隠した。

 

 

この仮説が正しければ、

 

第2チャクラにあたる場所も、ヤマトタケルに関係するけれど、日本書紀や古事記には載っていない、そういう場所だということなのでは・・・

 

 

この星探しの確からしさを確認するためにも、仮説をヒントに最後の場所を見つけたい!

 

そう思い、「廻間」や「狭間」の地名のあるあたりにヤマトタケルの逸話が残っていないか調べてみた。

 

 

 

すると・・・なんと、ありました!

 

廻間の地名が残る「武豊」に、

記紀に載らないヤマトタケルの伝説が残っていました。

 

 

■■ 武豊町観光協会HPよりヤマトタケルの話しを抜粋 ■■

 

ある夜のこと、ミコトの枕辺に白発の老神が現れ、 
「われは、熊野の権現なり。ミコトの身に危難迫れり。すみやかに神剣を返すべく、伊勢の大神のもとに至りて、親しく安泰を祈るべし。」 
と、告げて消えました。 


そこでミコトは、海路伊勢へお渡りになろうとして、知多の郡を南下して、キズシの庄に足を踏み入れられ、、知里付神社で泊られました。 
ところが、天皇のお使いが後を追ってやってこられ、伊吹山に悪い神がいて、人々を苦しめているので、退治してまいれという命令を伝えました。 


ミコトは、たった一人の悪神を打ちこらすなど、たやすいことだとお考えになり、伊勢へはそのあとで参向することにして、神社近くの山へ登って、三度はるかに伊勢の大神を遙拝(ようはい)されただけで、尾張のミヤズヒメのもとに帰ってしまわれました。

ミコトが登って遙拝をされた山は、おそらく警固山のことであろうと言われています。

 

■■ 抜粋ここまで ■■

 

 

ここに出てくる「知里付(ちりゅう)神社」。

 

↓こちらが「知里付(ちりゅう)神社」

*写真はこちらよりお借りしました。

 

この神社を調べてみると

これまでのいろいろなキーワードが全部当てはまるような(汗)

 

とても興味深い話しばかりなのです。

 

■■ 武豊町観光協会HPより 知里付神社の話しを抜粋 ■■

 

・知里付神社は、社伝によれば、垂仁天皇二十六年菊月に少彦(スクナヒコナ)命名(ノミコト)をまつって創建され、天暦九(九九五)年に北野天満天神を合祀したと記されている。

昔は、雉鯉鮒明神と書かれ、伊勢神宮の贄殿(にえどの)であったことがわかる。

 

ヤマトヒメさまが、大勢のお伴(とも)の方とともに、この里に足をおふみ入れになりましたのは、もう十何年も前の、秋も半(なか)ばのころでございました。

私どもの奉仕で、木の香もかぐわしいお社が建てられ、近郷近在の人々が、毎日

お供え物を持ってお参りをしておりました

あれから数年たって、帝さまからお達しがあり、お社の地が伊勢に定まったこと、この地が大神さまへのお供え物を奉(たてまつ)る贄(にえ)代(しろ)郷(ごう)となったことを知りました。
私どもが建てたお社は、知里付(ちりゅう)神社と名づけられ、水路で結ばれた八つの池で育てたお供え物の魚を、ひとまず奉安してから、海路、伊勢へ送ることとなりましたのです。

■■ 抜粋ここまで ■■

 

ヤマトタケルだけでなく「倭姫(ヤマトヒメ)」とのつながりが。

 

どうやら倭姫(ヤマトヒメ)が天照大神を祀る場所を探して各地を巡行した際に、

知里付神社の建つ場所も候補に上がったよう。

 

最終的には伊勢に決まり、知里付神社は「贄(にえ)地」になった。。

 

 

倭姫はヤマトタケルに草薙剣を授けた人。

そんな重要人物が登場するとはw

 

それに伊勢神宮にお供えする食料を納める「贄(にえ)地」の描写に

8つの池で育てた魚とある・・

 

「8」の字が気になりますなw

 

 

 

 

 

 

 

 

名古屋市博物館の特別展示「海たび」の中でも度々描かれていたけれど、

知多半島と伊勢は、古代からつながりの濃い場所だった。

 

↓「海たび」公式本より

尾張、知多、伊勢、沿岸の島々の古墳から見つかる土器に不思議なつながり。

土器の産地はそれぞれ異なるのに、形の類似性から同じような文化を持っていたようで、

古代この辺りは伊勢湾を超えて活動域がつながっていたことを示している。

 

 

 

人も、物も、信仰も。

古代から伊勢と知多は海でつながっていた。

 

 

なんだろう・・なんだかソワソワする。

 

ここから何かにつながるんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、さらに。

 

知里付神社には「浦島伝説」も残る。

 

 

 

■■ 武豊町観光協会HPより 浦島伝説抜粋 ■■

 

太郎は浦之嶋(東大高)に生まれた。 
浜辺で子どもたちにいたずらされている亀を助け、蓬莱(竜宮城)に案内される。 
竜宮城でもてなしを受けること三年、あけずの箱を手みやげに帰郷した。

竜宮城での三年間は、この世では数百年を経ていた。

うめきが浜(美浜町布土)で、あけずの箱を開け白い煙とともに太郎はたちまち白髪の老人となった。 
太郎は、知里付神社に「あけずの箱」を献納し、亀の鬼瓦を上げた。

里人は太郎を敬い知里付神社境内に浦島社を祀(まつ)った。

 

■■ 抜粋ここまで ■■

 

 

この伝説の通り「知里付(ちりゅう)神社」には「あけずの箱」が伝わる(非公開)。境内には「浦島社」もあり。

 

さらに、「知里付(ちりゅう)神社」のある武豊町には、

竜宮神社や乙姫橋、負亀の松(亀をおぶったことに由来)、浦島橋、亀の墓(真楽寺)が残り、

 

空海がこの地を訪れたとき、ここが浦島太郎誕生の地であると認めた石碑もある。

 

*詳しくはこちらへ。武豊町観光協会HPです。面白い話しばかり❤︎

 

 

 

浦島伝説といえば、この星探しの中で、以前にも出てきたことがある。

 

*その時の記事

【地上に描かれた古代の星を探せ!】*14<蓬莱伝説・熱田の地下には亀がいる!?>

 

 

 

あの時は「蓬莱」を調べてて、浦島伝説につながったんだった。

 

そして、浦島伝説は丹後の「籠神社」へとつながり、

「尾張氏」と同族の「海部氏」につながった。

 

 

そう、浦島伝説は古代に海人族と呼ばれた人たちと関わりがあるんだ。

 

それに、神仙思想、道教とのつながりも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、さらに。

 

「知里付(ちりゅう)神社」がかつて「雉鯉鮒(ちりゅう)明神」

呼ばれていたという下りをみて思い出したことがある。

 

 

 

この神社とは別に、愛知県には

もう1つ「ちりゅう神社」が存在する。

 

 

それは、愛知県知立市にある「知立(ちりゅう)神社」だ。

 

↓こちら「知立神社」の本殿

 

↓多宝塔が有名。重要文化財。

 

 

 

祭神に名前はないものの、ヤマトタケルが東征の折、戦勝祈願をしたという逸話が残る。

 

 

そして、

 

こちらの「知立神社」にも、かつて「池鯉鮒(ちりゅう)」と表されている時代があった。(旧称「池鯉鮒大明神」)

 

 

 

 

知多の「知里付神社」と知立の「知立神社」。

 

2つの「ちりゅう」は、

かつてどちらも「池鯉鮒(ちりゅう)」と呼ばれた。

 

 

この2社、どちらもヤマトタケルの逸話が残る。

 

にしても、2つの同じ名前の神社って、これどこかで見覚えがww

 

*以前にもあった名前の同じ2つの神社

【地上に描かれた古代の星を探せ!】*15<秘められた力のありかか?「蛇」の眠る王の住処>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知立神社」には以前、参拝したことがある。

 

真夏に駅から20分くらい歩いたw

 

 

その時の印象は、この神社は本殿よりも摂社の「土御前社 (つちのごぜんしゃ)」の方が印象深い場所で、何か強く引くものがある、という感じだった。

 

 

↓「土御前社 (つちのごぜんしゃ)」は本殿横の菖蒲園の奥にある

 

 

「土御前社(つちのごぜんしゃ)」の祭神は「吉備武彦命(きびのたけひこ)」

ヤマトタケルの東征に従った1人と言われる。

 

この場所の方が、本殿よりも印象深いんだよなあ。

ちょっと怖い感じもあったからかな。

 

吉備氏も調べると奥が深いし、

岡山育ちなもんで、吉備氏といえば吉備津彦神社・吉備津神社を思い浮かべてしまう。

この神社のあるあたりも古代の謎や海人族の痕跡が残ってておもしろいのです。

そのうち、星探しで行きそうな気がする。

だから今は深追いしないでおこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「知里付神社」と「知立神社」

 

 

この2社の違う点は、「知里付神社」には

 

・伊勢とのつながり

・倭姫(ヤマトヒメ)の伝説→天照大神の社の候補地

・「池鯉鮒」という旧名が贄地に由来している→知立神社は贄地ではない

・浦島太郎伝説

 

がある、ということだ。

 

つまり、尾張氏の名前こそ出てこないものの、知里付神社には

海人族にゆかりがあることを示す逸話がいくつも残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蛇の間(蛇の腹)のあたりにあり、海人族の痕跡があってヤマトタケルの記紀には載らない逸話が残る。

 

ここまでの流れ、キーワードにピタッと当てはまる、

こんな場所、他には見当たらないもの。

 

大地に描かれた北斗七星+1星の最後のワンピースは

「知里付神社」で間違いない!

 

 

 

(*≧∀≦*)ノ━━━!!!

 

やったー!!!!!!!

 

 

 

 

とうとう北斗七星+1星の完成だ!!

 

大地に描かれた生命の樹が見えた!!

 

 

 

ここまで来る間、だいぶ鍛えられたし(いろんな意味で)

いやー大変だった(泣)

 

 

 

さ、さっそく完成した星の姿見てみよう!

 

完成した星の姿はこうなったよ!!

 

↓北斗七星+1星の完成図♡

 

古代の星の復活、第1号♡

 

いいなあ。いいですねー。

 

去年最初の頃と比べるとまるで完成度が違う✨


 

 

 

 

 

 

 

 

星は見つかったけど、ちょっとおまけ。

 

 

「知里付神社」のある武豊町には「武豊(たけとよ)」の由来になった、

「武雄神社」「豊石神社」がある。

 

この2社の頭文字をとって「武豊(たけとよ)」になったそう。

 

武雄神社は貝塚の上に建つ神社で、

豊石神社には大蛇の乗っかった山車の文化が残る。

 

 

「知里付神社」にはなかったけど、すぐ近くに古代の集落の跡があり、

常滑でひっかっかった「山車」に「蛇」が絡む。

 

 

探せば探すほど「知里付神社」のあたりは、おもしろい話しが出てくる。

 

これは近いうちに一度行かねばだなあ。

 

他のまだ行っていない神社も、一度行きたい。

寒いけど、頑張ろうかな。(初詣とか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、もう一つの「ちりゅう神社」である「知立神社」のこと。

 

「知立神社」なぜこんなに「知里付神社」に似ているのか?

 

 

日本書紀や古事記を作った人たちが、カモフラージュ用の神社を各地に作った、とか??

 

んーーーどうなんだろう?

 

北斗七星+1星は完成したけれど、まだまだ謎は多い。

 

 

 

それに、見つかったこの星をどう活かすのか?

 

多分、この間のビジョンが関係してると思うんだけど。。

 

*ビジョンのこと

冥王星順行の日に見えた未来ビジョン

 

 

 

交わる雌雄の蛇が8つの星を巡るとき

眠れる蛇が目覚める

 

 

 

このメッセージが真実ならば、

蛇を目覚めさせて、見つけた星がホンモノだと確かめたい。

 

 

でも具体的にどうすればいいんだろう?

 

とりあえず、全部の場所に行ってみればいいんだろうか?

 

具体的にどうしたらいいかは、まだわからない。

(誰かわかる人いたら教えて欲しい。。)

 

 

これも、またふとイメージが湧くのかな?

 

 

 

北斗七星+1星は完成したけれど、

なんだか星探しの本番はこれからな気がするのでした。

 

 

ひとまず、お疲れしたー。

 

 

つづく。