こちら→【地上に描かれた古代の星を探せ!】*12<空海が隠した三剣を追う>のつづきです。

 

 

 

 

第8チャクラである「真清田神社」には、空海が隠した生命の樹を表す8星のうち3星を探すヒントが残されているかも。

 

そういえば、以前、真清田神社に参拝した時「空海」の文字を見たような気がするな。。

 

かすかな記憶を頼りに、真清田神社と空海について調べてみたら、

龍にまつわる興味深い話が伝わっていることがわかりました!

 

 

ということで、今回は、

真清田神社にまつわる空海と龍の伝説からはじまりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「真清田の龍神伝説」

 

ある年、尾張一帯を大干ばつが襲いました。

そこで弘法大師空海は雨乞いの行をおこない、茅草で作った竜に命を吹き込みました。

しかし竜は「天下の竜すべてが竜王の怒りにふれて封じ込められている。一滴の水も吐けぬ」と言いました。

しかも禁を破れば、竜の命はないといいます。

そこで空海は「汝禁を破り犠牲とならば、神として汝を望みの社に祀ろう」と提案。すると茅草の竜は、真清田に祀られることを条件に提案を受け入れました。

そこで空海が硯の水を大地に注ぐと、にわかに黒雲が天を覆い、その雲を目がけて茅草の竜が昇天しました。

同時に雷鳴が轟いて豪雨となり、人々は躍り上がって喜びました。

次の瞬間、ばらばらになった竜の胴や足が落ちてきましたが、空海は遺骸を1カ所に集めて供養し、約束通り真清田神社に竜を祀りました。

 

こちらより伝説内容をお借りしました。

 

 

真清田神社の手水舎に掲げられている「吐水龍の記」↓

去年、参拝した時の写真。ここで「空海」の文字を目にしてた。

 

 

 

この空海と龍の話し。

 

空海の雨乞いの話しは全国にいくつも残っているようだけど、

真清田に伝わるような龍がバラバラになってしまうエピソードは他にはない。

 

しかも、胴や足を集めて祀ったという下り・・

 

これ、なんか、変じゃない!?

やけに具体的。

 

 

それに、

胴や足以外の、頭や尾はどこにいってしまったのか。

 

そのこと、何も触れてない。。。

どこ?どこに行ったの?こういうの、超気になるんですけどw

 

 

 

 

 

消えてしまった頭と尾。

 

この頭と尾はどこにあるかな?

 

頭と尾を探すんだ。

 

探していけば、隠されてしまった残りの3星に辿り着く。

 

 

 

空海はこう言いたかったんじゃないだろうか。

なんだかそんな気がする。

 

 

よし!頭と尾を探そう!

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで考えて、はたと気づいたことがある。

 

 

頭と尾といえば。

この間この2文字が名前に含まれる場所へ行ったんだった!

 

 

それは、ここ「尾頭(おとう)塚」

 

金山駅から歩いてすぐのマンションの隙間に「尾頭塚」という塚がある。

 

この場所、プッチの散歩で何度も前を通りかかり、

もう何年もずーーっと気になっていた場所で、でもなんとなく薄暗くて怖い感じがして近寄れなかったんだけど、

 

闇(くらがり)之森八幡社や金山神社を巡った日に、えいっと勇気を出し

ついでに訪れていたのでした。

 

闇之森八幡社を参拝した時のこと

 あれーアップしたと思ったのに、尾頭塚の写真載せてなかったみたい。

 ありゃりゃ

 

 

 

尾頭塚のあるあたりは「尾頭」が地名につく場所がいくつかあり

その由来はこの「尾頭塚」らしい。

 

じゃあ、そもそも、なぜこの塚が、尾頭塚と呼ばれるようになったのか?

 

龍と関係するんだろうか?

 

そう思って調べてみたら、思わぬことにつながった。

 

 

↓こちらは名前の由来が記載されていた名古屋市の地域ページ

 

■■名古屋市HPより「尾頭」の地名由来を抜粋■■

 

尾頭橋「即ち、佐屋街道の往還橋なり、町の名を取りて如此唱(かくのごとくとな)へり」と尾張藩郷土資料「張州府志(ちょうしゅうふし)」に記述。

 

尾頭 現・牛立町にある尾頭山願興寺は尾張最古の寺で白鳳時代、世界遺産の奈良願興寺の分院として道場法師(どうじょうほうし)が古渡村に建立。

 

道場法師の生誕時、霊蛇が首筋にまきつき蛇の尾と頭が並んで後ろに倒れていた故事[日本霊異記に記述]より山号を尾頭山と命名したと伝わる。

 

一時廃寺となるが鎮西八郎為朝(ちんぜいはちろうためとも)(源為朝)の次男、次郎義次により再興。

その義次、平氏の源氏討伐より逃れ熱田神宮にかくまわれた後、朝廷を悩ませた賊を成敗。

恩賞として現在の金山から古渡、尾頭橋を含むかなり広範囲の領地を拝領、法師故事にちなみ尾頭次郎義次と名乗り居城。

それ故、廃城後も一帯を「尾頭」と言い伝えられている。(由来については諸説あります)

願興寺は、織田信秀が古渡城を築城する際当時尾頭村より現在地に移る。

 

■■抜粋ここまで■■

 

 

つまり、「尾頭」の名前の由来は「尾頭山元興寺」というお寺で、

その「尾頭山元興寺」を作ったのは「道場法師」だった、と。

 

 

 

ここに出てくる「尾頭山願興寺」は、まさかの、うちの菩提寺でw

なにこのつながりと思って、ちょっと身震いしましたわww

 

 

 

それに「源為朝」のエピソードにも驚き。

 

源為朝(ためとも)は源頼朝や義経のおじさん。

 

同じ日に参拝した「闇之森八幡社」は源為朝の鎧を埋めたとされる「鎧塚」があるんだけど、どうやら本当に鎧を埋めたのは、ここ「尾頭塚」だったよう。

(詳しくはこちらのページにわかりやすく書いてあります)

 

 

なんとなく同じ日に回ったところに、こんなつながりがあるとは。

 

そして、この同じ場所に、その後さらに「織田家」も絡んだ時代があり、、

 

知らないだけで、日常の風景の至る所に物語りはあるんだと、ちょい感動です。

 

 

 

 

 

さて。

 

にしても、この伝説おもしろい。

 

生まれた時に蛇が巻き付いていた道場(どうじょう)法師。

 

 

またしても蛇が出てくる話しだし、

 

その蛇はなぜか、尾と頭が後ろに倒れていた。

 

 

 

 

どんな感じに巻き付いてたんだろう?

 

巻きつき方に、大事なメッセージが込められてそうな気がするんだけどなあ。

 

 

でも、巻き付いた蛇の、

頭と尾だけ後ろに回ってるってなんか想像しづらい・・> <

 

 

と思っていたら、

 

巨匠がイメージ図を残してくれているのを発見!

 

 

 

それがこちら↓ 巨匠・水木しげるの「日本霊異記」

この表紙が、まさに道場法師の絵だった!

見た目、ゲゲゲの鬼太郎だけど(笑)

 

この本の巻頭1話目に道場法師の伝説が載ってます。

 

巨匠の本には、名古屋市HPよりさらに詳しく道場法師のエピソードが描かれていました。

 

このエピソードが、またまた興味深いのです。

 

■■本の解説ページより抜粋■■

敏達びたつ天皇の御世(五七二~五八五)のこと、尾張国阿育知あゆち片蕝かたわの里(現・愛知県名古屋市中区古渡町ふきん)で、童子の姿をした雷神が、農夫が捧げた金物の杖(雷除けの呪物)によって地上に落ちた。

農夫は子供を授かることを条件に雷神を天上に帰らせる。

その後、生まれた子供は、頭に蛇を二巻きまとっており、首と尾は後頭部に垂れていた

(竜蛇は雷神の姿の一つで、元興神の鬼面の由来になっていると考えられる)。

その後、怪力をもつ雷神の申し子は元興寺の童子となり、寺の鐘楼で鐘撞きの小僧を殺害していた幽鬼を退治した。

さらに寺の優婆塞うばそく(在家の男性修行者)となった童子は、寺の水田の水引きを妨害する諸王をこらしめ、その功によって得度出家がかない「道場法師」と号したとされる。
近世の伝承によれば道場法師はその後、聖徳太子作という薬師如来像をたずさえて、故郷の片蕝の里に戻り、奈良の元興寺の支院として尾張元興寺を建立したという。

平安初期の歴史書『三代実録さんだいじつろく』に、元慶八年(八八四)に尾張国分寺が焼亡したとき、朝廷の勅によりその機能を尾張元興寺が代行したとあるので実在した寺であるが、中世以降は衰微、廃寺となり、今の名古屋市中区正木にその跡がある。

■■抜粋ここまで■■

 

 

 

道場法師は雷神の申し子で、蛇を巻いて生まれてきた。

 

 

ここで強調されてる「雷」と「蛇」は、これまでのキーワードと一致する。

(クンダリーニは炎とも雷のようとも表された蛇のようなエネルギー)

 

となると、このエピソードが生命の樹に関する何かにつながるのかもしれないなあ。

 

 

それに、うちの菩提寺の「尾張元興寺」に関するエピソードも気になるところ。

 

↓尾頭塚の近くにある尾張元興寺跡

 実際に当時の瓦なんかが発掘されたそう。 

飛鳥時代、この辺り一帯には壮大な寺院が建てられていた。

さらに言えば、飛鳥時代以前の大規模な古墳群も近くに点在するし、

縄文時代の住居跡なども近くにある。

金山駅や熱田神宮のあるあたりは、超大昔から人が集まる場所だったんだ。

 

 

 

 

「尾張元興寺」は、奈良にある世界文化遺産「元興寺」の分院で、

 

奈良の「元興寺」は、飛鳥時代に作られた日本最古のお寺「法興寺」が元で、

飛鳥から平城京へ移った際に「元興寺」と名前が変わったらしい。

 

 

そして、飛鳥に残ったものが「飛鳥寺」と呼ばれるようになった。

 

けんか別れしたのか、分派しただけなのか。。

 

 

 

飛鳥寺といえば、日本最古の仏像と、聖徳太子像!

 

↓日本最古の飛鳥大仏

蘇我氏ゆかりの日本最古のお寺。

 

蘇我馬子は、聖徳太子と一緒に冠位十二階や17条の憲法を作ったと言われる。

 

飛鳥時代、蘇我氏、仏教伝来、物部氏と蘇我氏の対立、推古天皇、聖武天皇・・

そして、丁未(ていび)の乱。

 

丁未(ていび)の乱で蘇我氏は物部氏を破り、物部氏は滅びた。

 

 

このあたりのキーワードが、今年に入り、ずっと引っかかってて。

 

この星探しとも、深く関わりがある気がする。

いずれつながって、書く日が来そうな気が。。。

 

 

 

↓こちらは、聖徳太子像

*画像はこちらよりお借りしました。

 

 

 

道場法師のエピソードにも「聖徳太子」の名前が出てくる。

 

 

そして、奈良の元興寺は「役小角」が呪法を学んだとされる場所でもあり・・

 

↓尾張元興寺跡の横に南都元興寺由来?の薬師如来と書かれた石柱が立つ。

聖徳太子由来の薬師如来像は見たことがないけど・・ここにあるのかな?

 

 

以前、この星探しの過程で、

奈良の當麻寺の近くにベガ(織姫星)見つけたことがあった。

 

「隠された星の神」はなぞかけで、「星の中に神様が隠されている」が正解だ。⑤

 

 

この時、當麻寺には「聖徳太子」「空海」「役小角」に関するエピソードがあることを知り、時代を超え、その時々のスーパースターがこぞってくる場所だったんだなあと驚いたんだった。

 

 

その頃は、當麻寺の謎を深掘りするの、おもしろそう♡

と思っていたけれど、なぜか急に興味がなくなってそのままになっている・・

 

あれからちょうど1年が経ち、星探しの謎解きの深みが増してる今日この頃。

 

 

星探しをしていると、ここだ!と見つけた場所に、必ずと言っていいほど

役小角、行基、空海、それに聖徳太子が関係している。

 

 

この人たちに共通するのは、仏教、密教、土木工事の技術・・

仏教や密教を通じて天文学にも詳しかったのかもしれない。

 

みんな天文学者だったのかなあ。

 

そして、みんな、地球の歳差運動や13000年毎の陰陽入替りの仕組みを知っていたのかもしれない。

 

 

この北斗七星の謎解きが終わったら、

また歳差円やそのほかの北極星や、恒星探しに戻りそうな気がする。

(最近、兆候らしきシンクロがちらほら)

 

 

その時、飛鳥時代や奈良時代のことが、謎解きの鍵になる。きっと。

 

 

 

 

 

 

そうそう、元興寺についてもう1つ!

 

さっきの本の解説に、

「尾張国分寺が焼けちゃった時、尾張元興寺が国分寺の代わりに機能した」とある。

 

国分寺は国が作り管理する寺で、一国一寺作られた。確か聖武天皇時代に。

仏教を教える場所でもあり、仏教という言葉は幅広いから、教義だけでなく

暦や陰陽五行的なことや薬学的なことも教えていたかもしれない。

仏教布教の地域センターのイメージ。

 

 

調べて見たら、この時ちょうど、あの口から僧を吐く姿の像で有名な「空也上人」が「尾張元興寺」で出家したとされていた。

(本来は国分寺でするところ、代わりに尾張元興寺でしたのではないかとのこと)

 

↓六波羅蜜寺の空也上人像

尾張国分寺で出家したと言われているけど、火事で尾張元興寺が機能を代替していた頃とかぶるそう。

 

 

空也上人!!

 

わたし、小学校の社会の便覧でこの像を見てから、ずっと好きなんですよねー。

でも修学旅行で京都に行った時にこの像のある六波羅蜜寺に行けなくて(涙)

 

大人になり、1度目のトライが正月三が日で、初詣客の多さにあきらめ・・

(並ぶのが死ぬほどキライw)

 

2度目にやっと会えた時は、感無量でした。

 

↓六波羅蜜寺

 誰もいない本堂で静かに本尊の秘仏(非公開)と向き合った至福の時間は最高だった♡

 

空也上人は皇子なんだと知って、へーと思った看板がこちら。

醍醐天皇の第2皇子。

 

あの像が、とにかく好きだったんだよなあ。

ちょっと怖くもあり、でも惹かれてしまう、不思議な魅力。

 

その空也上人と、星探し、さらには我が家の菩提寺までもがつながり、

コーフンです(笑)

 

かつて近くに空也上人が来ていたんだなあ。胸熱すぎる。

 

 

 

 

シンクロがありすぎて、話しがいろいろ散りましたがw

 

でもこれだけシンクロすると、尾頭塚や道場法師の蛇の話しがビンゴだって言われてる気がする。

 

この線を辿れば、きっと何かが見つかるはず!

 

 

それに、尾頭塚のある場所は、

熱田神宮のかつて一の鳥居があった場所から目と鼻の先。

 

 

なんとなくまた、熱田神宮に戻ってきた感あり。

 

熱田神宮に頭と尾に関する何かがあるのか?

 

さーどうなる!?

 

 

つづく。