以前にも書いたけれど

私は一年半前に心療内科で

『PTSD 突発性鬱』と診断された


忘れもしない

夫&ピロリとの駐車場対決直後だから

今から約一年半前のこと


その時に処方されたのが

睡眠薬と精神安定剤

デエビゴ、トラゾドン

心療内科には

数回通って、行くのをやめてしまった


ただ、正直なところ

処方された薬は

一度も飲んだ事はない


どんなに胸がザワついても

全く睡眠が取れなくても

頑なに飲む事を拒否した私がいた


たぶん、怖かったのかも…

それで楽になったら

薬に依存してしまうかもしれない

そう思ったのだと思う


私からは一番遠い場所だと思っていた

心療内科

夫が以前かかっていたクリニックでもある

夫は仕事に忙殺されると

鬱の薬を頼り、

また癌が判明した頃から

更にそれは酷くなり薬に依存していた


それが癌が完治し

ピロリとの不倫をする頃には

嘘のように鬱は治った

お花畑の住人になる事で

鬱状態を回避する術を覚えたのだと思う



一方で私は

夫の不倫が発覚してから

内容の濃い一年半を過ごした


私は大丈夫

守るべきものがあるから

絶対に負けたりしない

負の感情にも

飲み込まれやしない


そう思ってなんとか

踏ん張ってここまで来たけど



やはり、正直言って

先月のオカッパ登場はさすがに堪えた


とんでもなく集中力が落ち

ミスが増えた

何もやる気が起こらない状態


そんな

自分を奮い立たせ

気持ちをねじ伏せ


力技で全てを乗り切ろうと頑張ってしまう

いや、頑張れてしまう自分は

やはりかなり無理をしているのだと

思う


例えば餃子100個を包み、焼きまくったり

チョコレートトライフルを25個作り

各テーブルに振る舞ったり

やれば出来てしまう


パーティー中も

たぶん私はいつも通りに

めちゃめちゃ元気だったと思う

何もなかったように

色々な人に話しかけ笑い続けた


少し離れたところから

夫は私を見ていた

その場にいた方達から笑いをとる私に

夫は

つられたように少し笑っていた


夫はいつも以上に寡黙で

ただひたすら裏方に撤していた


次男には何度か話しかけに行ったようだ


そんな父を次男は煙たがった


パーティーの片付けも終わり

帰宅した夫に


私が「パパ、お疲れ」と笑顔で言うと

被せるように

「お疲れっシタ!」

「お疲れっシタ!」

と、二回言って立ち去った

娘を風呂に入れると

逃げるように二階に上がってしまった


次男は

「ほら、あんなヤツなんだよ。人前でだけ俺に話しかけて来て。しかも、何がお疲れシタだよ。あの歳であの言葉遣い、キモ過ぎ!」と顔をしかめた



それから…


それから

最近の私を見ていて

次男はとてもとても心配だと言った


笑ってる母ちゃんだから

余計に心配になる


俺の事も○ちゃん(娘)の事も

気にせず、

自分の事だけを今は優先して

見ていてとても辛い…と


そして

突然消えたりしないでね…と

そう言って今朝も出勤して行った



そんな言葉をかけられて

初めてボロボロ涙が溢れた

ワンワン泣いた

何故か

「ごめんなさい!ごめんなさい!」と

泣いた


何に向かって

誰に向かって

謝っているのかもわからないままに

ただ、泣いた



やっぱり


やっぱり私は無理していたんだ




そんな当たり前の自分の感情にさえ





私は気づかないふりをしていたんだ




そう思った