11年前のあの日。
揺れはものすごかったけれど、こちらは内陸なので直接の影響は丸2日間停電になったくらいでした。
(でも暖房が使えず寒かった。真冬でなくてよかった)
当時、息子は小学校4年生。
揺れが収まると、集団下校でもなく、先生の見守りもなく、解散。
我が家は小学校から近いほうだけれど、停電で信号がついていない4車線道路を子供達だけでなんとか渡って帰宅。
(学校の対応は後で問題になったようでした)
私は下の子の用事で留守にしていたため、隣の義実家に駆け込み、
お母さんに電話して! 早く電話して!
と、何度も言っていたそう。
義父母が、電話が混んでいてつながらない、すぐ帰ってくるから、となだめてくれ、私も息子が帰宅してから1時間後くらいには到着。
その時には、おやつを食べさせてもらって、少し落ち着いた様子ではありました。
今日は、被害にあったたくさんの方々に思いを馳せる日なのに、病気でつらい思いをした息子に昔も悲しくさせていたことを思い出してしまいます。
お空の上では11年目の方々も135日目の息子も、穏やかに過ごしてくれているよう、祈らなくては。
昨日は自分の実家に。
お客様を離れた駐車場まで送り、戻る時に実家のあるマンション1階でエレベーターを待っている時に息子の気配を感じたような。
心の中で声をかけ、そのままエレベーターに一緒に乗り・・・
いつものように、エレベーターの角のところに壁にくっついて立っている気がした。
髪は普通にあって、靴はよく履いていたスニーカー…
(今までの写真に写っているとおりで、私が勝手に想像しただけかもしれないけれど)
実家の階に着き、着いたよ〜 と今度は声に出し。
玄関ドアを開けて、ほら入って入って〜 と先に入るよう促し、息子のいつものペースに合わせて家の中へ。
その日の朝、実家仏壇に父が飾ってくれている写真に
「じいちゃんちにいつ来てもいいんだからね」
と声をかけたのが届いて、来てくれたのかな?
父は、息子のアウトドアの趣味にいつも付き合ってくれた。
小さい時からいろいろ教えてくれた。
息子1人で電車を乗り継いで帰省したことも何度か。
最後に顔を出したのは高3の春。
大学に合格し、進学の前に顔を出したかったけれどコロナ禍が始まり、夏休みに遊びに行くのもいいねと話していたけれど病気に。
昨日実家から帰る時は、用事が早く終わって予定より早い電車に乗れることになってバタバタと実家を出てしまいました。
仏壇にお参りはしたけど「ゆっくりしてっていいからね~」と声かけるの忘れてしまった。
まだいて父の見守りをしてくれてるのか、こちらに戻ってきたのか、お空にいるのか・・