前回の音楽🎵テーマで「狸穴」が出て来たのでちょっと思い出しました。
再開発、再開発の連鎖。三井不動産、三菱地所、森ビルなど大手の高層ビルで街は変わってしまいましたねぇ。旧三井銀行本店を含むエリアの再開発で「東京ミッドタウン日比谷」とか三井は「ミッドタウン」
乃木坂の、麻布龍土町と言った旧防衛庁跡地「六本木ヒルズ」と森ビルは「ヒルズ」
そして最近の「麻布台ヒルズ」
あぁ、ついに飯倉の名をを冠するビルもなくなったかぁ。昔総務省の下請けでちょっと「旧郵政事業庁飯倉ビル」にこもって仕事をしたことがあります。懐かしい。前回書きましたが、六本木から東京タワーを見ながら歩いて行けますよ。
麻布台ヒルズは古地図で米沢上杉藩の下屋敷及び北側の御先手組同心大縄地があった所
広大な土地ですね。右下方に「狸穴坂」が見えます。
⬜︎で囲んだのが旧郵政事業庁飯倉ビルで、現在の麻布台ヒルズの一部
そんなノスタルジーを感じて、「飯倉」とは幕府の米蔵があったんだろうなぁ
と古地図を眺めてみると、おや米蔵らしきは無い。もっと以前か。
もともと飯倉片町の通り、町家があったのは、今の319号線飯倉交差点の南側でした。つまり旧郵政飯倉ビルのあったところは町屋ではなくて、上杉の広大な屋敷跡であった訳です。飯倉町はもっと東ですね。
ちなみに御先手組同心大縄地の東の箇所に「我善坊谷」と見えます。
その名の通り窪地だったのです。何が “ヒルズ” だ‼️🤣
という感じですが、Wikipediaによると森ビルは土地を嵩上げし谷地を平地にしたらしいですね。それでもヒルズは違うでしょう😼 ともかくもこうして我善坊谷は消滅しました。
おっと、また脱線😂
知りたかった語源は飯倉です。
一番古い史料では『吾妻鑑』に頼朝が伊勢神宮領を寄付した記録があるとか。
飯倉の語源を辿りたかったのですが、少なくともこの江戸時代後期の古地図には米倉は見えず。
近くの芝大神宮の丸山古墳が飯盛状だったからとか、江戸氏の庶子が飯倉氏を名乗っていたとか解説はいろいろありすぎて😅
いずれにしても、結論として『蔵前』のように江戸幕府の米蔵があったの訳ではないようなので、詮索を断念いたしました。中世以前はあまり興味ない私です 苦笑