私は今の日本の教育で一番不足しているのは「語学力」だと思っています。

それもよく言われる「英語力」ではなく日本人として最も基本的な「日本語力」です。

誤解してほしくないのは漢字や熟語、ことわざや古典を知らないといった枝葉末節ではありません。

 

もっと基本的な「コミュニケーション力」の無さが心配なのです。
 

これは他の人が言いたいことを理解しようとする態度と理解する力(聞き取る能力) 

 

        そして

 

自分の意見を相手に伝える能力

   (自分の意見を論理的に説明し相手を説得する能力

 

からなるわけですが、今の日本人には大人も含めてこの「自分の意見を相手に伝える能力」が著しく欠如していると思います。


その原因は小学校から高校まで12年間、一番授業時間が多い国語がそんな「日本語の教育」になっていないということです。

 

読み・書きが中心で、しかも教師が生徒に向かって話すと言う形式ばかりで生徒同士の討論はもちろん会話さえ極めて少なく、発言する機会にも「正解を述べる」ような形式で相手を説得するような場面は極めて少ない。

 

このような日本の学校教育の形態が「討論や議論」をする能力を育てない、別の言い方をすれば「論理的な発言や論理的な思考」を育てないのだと思われます。
 

日本の国語教育では情緒的な文章や言葉ばかりが重視され「論理的な日本語」を学ぶ機会がほとんどないといってよい。
 

言葉の役割は多くの人との間で円滑なコミュニケーションを図ることが最重要なわけですからそんな力をつける日本語教育が求められているのではないかと思うのですが・・・・・。 

 

 日本語の能力(意思・意見を聞きとる力、伝える力)は基本的な能力として大切ですが、文学は好きなものだけがやればよい遊びのようなものです。

ところが、いまの「国語」はこの文学にほとんどの時間を浪費しています。
 

国語の先生は文学好きがほとんどですが、

    生きるために文学を必要とする生徒は1%も居るだろうか?

と言う程度だと思いますが、日本語のコミュニケーション能力はほとんどの生徒が必要とします

教師たるものは「自分の趣味」ではなく「相手の立場に立ち」「彼らが生きる手段として必要なものを育てる努力」をするべきだと思います。

 

そんな意味では「国語」などと言うあいまいなものでなく

  「日本語」という教科を作るべきだ  

と思います。   

 

  国語は先生方のお望みのように教科名を「文学」とでも改めて

いままでの2分の1、あるいは3分の1の時間を割り当てれば・・・・とも・・・

 

全くの門外漢なのですが現状があまりにお粗末なので心配で・・・

 

 

 

参考に・・・外国人留学生に日本語を教えるプログラムがありますが、これは日本人に日本語の基礎を教えるにも役立つように思います

 

 

 

追伸:大学入試・センター試験などでも「日本語」は「文学性」などではなく「意思伝達能力、受容能力」を測れるものでなければならないと思います