こうしてパソコンを開くことすら

2カ月ぶり?なほど

センター試験、私立対策、二次試験対策(←今ここ)


と、とにかく受験英語、一色な日々。


英語ばっかりやりすぎて
「今なら数学教えられる気がする!」そんな軽口たたきながら

毎日、生徒たちの書く
英語と日本語の中間の解答と
急に来る睡魔と格闘してます。笑


まあ、そんな生活にも慣れてきて
私立入試も落ち着き始めて
残すは国立二次対策のみとなり、


少しだけ、他のことを考える時間ができました。







とはいえ、今はまだ、目の前のことで、いっぱいいっぱい。

でも、この二次対策が終われば
すぐ3月、新学年のスタートなのです。


また初めましてからのスタートの新高3の授業をどうするか。

学生対象セッションをどうするか。


そして何より、


これから『あたしはどうしていくのか』


そんな不安というか疑問というか
よくわからない感情が少しずつ顔を出す。



そんなときにSNSを見ると
新サービスのリリースや、独立、結婚、出産・・・
色んな「変化」に出逢ってしまう。

そして、今

英語で身動きがとれない自分と
比べては、焦ってしまう。



「あたしは、あたしでいいんだ」

そんな魔法の呪文だったはずの言葉も
ありたい姿がぼやけてしまった今

空しく響くだけだった。



だからこそ、自分に聴いた。




―どうしていきたいの?


そんなとき、たまたま目に留まったマイさんの記事。
(Facebookってエスパーなの?笑)

 
 
マイさんがブログで紹介してくれていた
星野源さんの言葉。
 
音楽に人を変える力はない。
だけど、人の人生に寄り添う力はある。
 
たった一言だけど
あたしの中でずっとぐるぐるしてた想いとリンクした。
 
 
音楽も、教育も、心理学も、コーチングも、なんだってそうだと思う。
 
 
 
「人は人を変えられない」けど、『寄り添うことはできる』
 
 
 
テストの点数が上がる
志望校に合格する
やる気になる
 
 
それは一見、教育が人を変えたように見えるけど
突き詰めれば、やっぱりそれは本人が変わることを選んだだけで
 
教育という
あたしたちがやっていることは
あくまで「きっかけ」にすぎないと思う。
 
 
わかりやすいから、そういう結果に目がいくし
それを目的にしてしまう。
 
そして、そうやって変えようと思うから
変わらない相手にイライラしたりする。
(これはあたしも、まだまだしてしまう)
 
 
 
でも、結局は本人が決めること。
 
 
 
その決断に、結果に、一喜一憂するんじゃなくて、
 
あたしは、あたしの言葉で、
"受験"という未知の世界に挑む子たちに寄り添っていたい。
 
 
そう考えると
やっぱり高校生だけじゃなくて
就職という未知の世界に挑む大学生たちとも
関わっていきたいなぁって思う。
 
 
 
 
具体的な形はまだよく見えてこないけど
 
 
力が欲しいとき
気分を変えたいとき
自分と向き合いたいとき
 
そんなときに
 
ふっと思い出してもらえるような
 
 
そんな音楽のような人に
音楽のような生き方をしていきたいな。
 
 
 
 
あたしがこうしてマイさんの言葉に
「きっかけ」をもらったように。
 
 
明日、星野源さんの本、買いにいこーっと♡

 

 

 

今日はひたすら、冬期の準備のため

センター試験、私立入試問題などなど

 

 

英語漬けの1日を送っていたら

ちょっと詰めすぎて

 

 

 

 

 

/ なんで、こんなことせなあかんねん! \

 

 

と、自分でやると決めたことばかりなのに

逆ギレしかけたので、息抜き&気持ちの整理にブログを。笑

 

 

 

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ここ2、3年

 

ありがたいことに

高3生を任せてもらって

色々と自由にやれることも増えてきたけど

 

授業や目の前の生徒に入り込みすぎて

 

正直、時々わからなくなる。

 

 

 

自分が何をしたいのか。

 

 

 

別に、いい大学に入って欲しいわけでもない。

本人が行きたいと思うとこなら、どこだっていい。

 

 

英語の点数が上がってくれれば

それはもちろん嬉しいのだけれど、

あたしにとっては、それはあくまでも手段にすぎない。

 

 

そもそも、受験そのものだって

「みんながやるから、なんとなく」でやるくらいなら

いっそのこと辞めればいいのに。って、思うことだってある。

 

 

勉強だって、英語だって、

あたしはそこまで好きじゃないし

 

塾だって、学校だって、

教育の世界にずっといたいとは思わない。

 

 

前は今の教育制度が嫌で

「教育を変える!」って思ってたけど、今はそうは思わない。

 

 

 

・・・なのに

 

 

やっぱり授業は好きだし、楽しいし、

 

生徒たちと1対1でじっくりと話ができる

セッションの時間は心から幸せだし、

 

休みだろうと、こんなに色々やりたくなるのは

 

 

 

 

なんでなんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

この先に

あたしは何を見てるんだろう?

 

 

 

どうありたくて

今を生きてるんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

疲れたりして、余裕がなくなると

ついつい、「形のあるもの」を求めてしまう。

 

職業だったり、肩書だったり。

 

 

それをすでに、見つけてる人や手に入れてる人を見て

焦って、不安になる日々も長かった。

 

 

でも正直、

 

 

 

今どれだけ考えても、それはわからなくて

というか、わからなくてもいいとも思ってる。

 

 

 

ただ

 

あたしがこうして

色々とやろうと思えるのは

 

 

 

今、目の前にいる生徒たちにとって

そして、これから先に出逢う人たちにとって

 

 

 

 

 

 

"海"でありたい

 

 

 

そう、思うからなんだよね。

 

 

 

 

 

光り輝く太陽のように

 

エネルギーに満ち溢れていて

いつも人に囲まれて

 

みんなを引っ張っていくような人にも、憧れる。

 

 

でも、やっぱり

 

 

あたしは、キラキラしてばっかじゃ疲れるから。笑

 

 

 

 

海を見ると、心が落ち着くように

話をすると、落ち着けるような存在。

 

海を見ると、がんばろうと思えるように

気持ちを切り替えるきっかけ。

 

 

で、ありたい。

 

 

前を照らして、エネルギーを注いで

引っ張っていくというよりは

 

 

疲れたとき、悔しいとき

寂しいとき、不安なとき

 

 

「あ、海に行きたい」

 

 

そんな風に思い出してもらえるような

そんな存在でありたい。

 

 

もちろん、海が自然の厳しさを教えてくれることがあるように

時には、厳しいことも伝えるけどね。

 

 

 

海(あたし)を見て、話して、整理して、進んで

 

辛くなったときに進めたり、戻ってこられる

 

 

 

そんな場所でありたいんだ。

 

 

 

 

そんな想いがあるから

今、こうして色々とやろうと思えるんだよね。

 

 

英語も、教育も、

 

あたしにとっては、ツールの1つで

職業や肩書きなんて「形」もどうでもよくて

 

 

"海のような存在"って

 

今はまだ曖昧な言葉にはなってしまうけど

 

それがあたしが見ている、未来なんだよね。

 

 

今は、それでじゅーぶん。

 

 

 

さ、大事なことを思い出して

心も落ち着いたことだし、再開しますかね。


 

 

 

ここ数日、気になるというか

とっても心がざわざわすることがある。

 

 

 

 

 

 

それは・・・

 

 

成宮寛貴さんの

薬物使用疑惑の報道からの引退宣言

 

 

 

 

特にめっちゃファンってわけでもなかったけど

ドラマ等に出てるのを観る度に

すごくひき込む演技をする人だなーって

 

 

ドラマ等では

チャラかったり、猟奇的な役が多かったイメージだけど

 

芝居以外の場で見せる

ちょっと恥ずかしそうに笑う顔が

すっごく素敵で

繊細で、真っすぐな人なんだなーって

 

 

早くにお母さんを亡くして

自分は中学には行かず働いて

弟さんを育て上げたエピソードにも

驚いたけど、驚かなかった。

 

 

きっと、そういう人なんだろうなって。

 

 

 

 

・・・って、知ったような口きいてるけど

テレビに出てる姿やエピソードしか知らないんだけどね。笑

 

 

ただ、なんだろう。

外見だけじゃなくって、感覚的にも

 

好きな俳優さんの1人でした。

 

 

 

 

だからこそ、薬物疑惑報道が出たとき

とっても驚いたし、そんなはずないとも思ったし

 

 

でも、それ以上に

 

 

直筆のFAXを読んだとき、、たまらなく苦しかった。

 

 

 

 

 

 

薬物使用の有無も

セクシャリティな部分についての報道も

裏切ったとされる友人についても

 

今は色んな情報が飛び交っていて

 

どれが本当なのかわからない。

下手すると、この先もわからないままかもしれない。

 

 

真実を知りたいという想いもあるけれど

それ以上に

 

 

 

この人はこれまで

 

「成宮寛貴」として

 

必死に生きてきていて

その姿をあたしたちに見せてくれていた。

 

 

でも

 

 

それは決して「自分自身」ではなくて

「もう1人の自分」もしくは「他の誰か」だったんだな。

 

 

って。

 

 

 

 

「自分自身」や「本当の自分」として生きることは

決して簡単なことじゃない。

 

 

それは芸能界というテレビの向こう側だろうと

あたしたちが生きている現実世界だろうと同じこと。

 

 

だから、本当の自分を押し殺して

もう1人の自分をつくりあげたり、他の誰かになったりする。

 

 

 

・・・そして、苦しくなるんだ。

 

 

 

そして今、

多くの人が本当の自分で生きたいと願うようになり

 

 

心理学やコーチングやカラーやタロットや

色んな「本当の自分でいきるためのツール」が

注目されるようになっている。

 

 

 

 

 

でもそれは、テレビのこっち側だけ。

 

 

 

もちろん

 

あたしはテレビの向こう側

芸能界のしきたりとかルールとか

そんなものは全くわからないし

 

 

だから、どれだけあちら側で

 

本当の自分で生きることが

大変で、難しいことなのかは想像もつかない。

 

 

 

「芸能人なんだから」

「それが仕事なんだから」

「有名税だ」

 

なんて言葉たちで

当たり前のようになっている

 

恋愛事情や家族事情の暴露

過去のエピソードや

リアルタイムでのツイートや隠し撮り

 

それらもどこまで、OKなのかなんて、わからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・でもさ

 

 

 

 

 

 

 

テレビの向こう側にいる人たちだって

あたしたちと同じ"人"なんだ。

 

 

仕事だろうが

なんだろうが

 

 

おんなじ心を持った"人"なんだ。

 

 

 

それをあたしたちは

忘れすぎてるんじゃないかな。

 

芸能人だって

本当の自分で生きたって

 

それを望むのであれば

その姿でテレビに出たって

 

 

別にいいんじゃないのかな。

 

 

芸能人と言われる

テレビの向こう側にいる人たちは

 

売れるため

ファンのため

 

少なからず

本当の自分を隠して生きていると思うの。

 

 

それが仕事なのかもしれない。

 

 

 

だけど、

 

本当の自分でいられる時間さえも

本当の自分でいられる相手さえも

 

見せたくなかった

本当の自分さえも

 

 

テレビに、あたしたちに、

 

 

見せなきゃいけないのかな?

 

 

 

 

 

 

なんか、上手くまとめられないけど

 

 

人が自分らしく生きられない原因の1つは

やっぱり人にあるんだなって。

 

 

彼をここまで傷付けてしまった

追い込んでしまったのは

今回の報道機関や友人だけでなく

 

テレビのこちら側にいる

あたしたちもなんじゃないかなって。

 

 

なんだかとっても、悲しくて。。

 

 

 

といっても、何ができるわけでもないから

 

 

せめてあたしは、

 

テレビの向こう側にいようと

どんな仕事をしていようと

どんな肩書だろうと

 

 

 

みんな、おんなじ"人"なんだってこと

 

 

 

忘れないようにしようと思う。

 

 

 

 

そして、

 

成宮寛貴さんの心が

少しでも休まることを願います。