大変長らくお待たせいたしました。
春秋社の原始仏典Ⅲ増支部経典 第二巻より、アーナンダの章から。 72章
今回の文章は割と簡単に読み下せましたので今日深夜までには行けそうです。推敲が終わったら直ちにアップします。
よろしくお願いいたします。
大変長らくお待たせいたしました。
春秋社の原始仏典Ⅲ増支部経典 第二巻より、アーナンダの章から。 72章
今回の文章は割と簡単に読み下せましたので今日深夜までには行けそうです。推敲が終わったら直ちにアップします。
よろしくお願いいたします。
ある時アーナンダはコーサンビーのゴーシタ園に滞在していた。
その時、あるアージーヴィカ派の弟子である戸主がアーナンダの許へやって来た。やって来て、アーナンダに礼拝し、傍らに座った。傍らに座った邪命外道の弟子である戸主はアーナンダに次のように言った。
注:戸主とは、 戸または家の首長として,その構成員を統率する地位にあるもの。
注2:邪命外道とは、 六師外道 の一人であるゴーサーラに代表される派。
「尊師アーナンダよ、誰の教え(法)がよく説かれた〔教え〕ですか?世間で、誰がよく実践していますか?誰がよく逝ける者ですか?」。
注:よく逝った人(sugata)とは、貪瞋痴を滅した人であると説かれる。
「戸主よ、それでは私はあなたに尋ねましょう。あなたはできる限りを答えて下さい。戸主よ、あなたはどう思いますか。貪りを捨断するために教えを説き、怒りを捨断するために教えを説き、愚かさを捨断するために教えを説く人たちの、その教えはよく説かれたものですか。そうではないものですか。これについてあなたはどのように思いますか?」。
注:捨断とは根絶と言う程の意味です。
「尊師よ、貪りを捨断するために教えを説き、怒りを〔捨断するために教えを説き、〕愚かさを捨断するために教えを説く人たちの、その教えはよく説かれたものです。私はこれについてこのように思います」。
「戸主よ、あなたはこれをどう思いますか。貪りを捨断するために実践し、怒りを〔捨断するために実践し〕、愚かさを捨断するために実践した人たちは、この世間においてよく実践した人たちですか?、そうではない〔人たち〕ですか。これについてあなたはどのように思いますか?」。
「尊師よ、貪りを捨断するために実践し、怒りを捨断するために実践し、愚かさを捨断するために実践した人たちは、この世間においてよく実践した人たちです。私はこれについてこのように思います」。
「戸主よ、あなたはこれをどう思いますか。その人たちの貪りが遮断されて、根を絶たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなった時、その人たちの怒りが捨断されて、〔根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなった時、〕その人たちの愚かさが捨断されて、根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなった時、その人たちは、世間では、よく逝った人たちですか、そうではない〔人たち〕ですか。これについてあなたはどのように思いますか?」。
「尊師よ、その人たちの貪りが捨断されて、根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなった時、またその人たちの怒りが捨断されて、〔根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じるものとないものとなった時、〕その人たちの愚かさが捨断されて、根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなった時、その人たちは、世間では、よく逝った人たちです。私はこれについてこのように思います」。
「このようにして、あなたはこれを答えました。すなわち『尊師よ、貪りを捨断するために教えを説き、怒りを〔捨断するために教えを説き〕、愚かさを捨断するために教えを説く人たちの、その教えはよく説かれたものです』と。
またあなたはこれを答えました。すなわち『尊師よ、その人たちの貪りが捨断されて、根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなった時、その人たちの怒りが捨断されて、〔根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなった時、〕その人たちの愚かさが捨断されて、根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなった時、その人たちは、世間では、よく逝った人たちです』と」。
「尊師よ、希有のことです。尊師よ、いまだかつてなかったことです。自らの教えを賞賛することがなく、他者の教えを非難することがなく、道理に基づいて教えを説き、〔質問された〕意味を明らかにし、また〔私たちはこのようであると〕自らを誇示することもありません。
尊師アーナンダよ、あなたたちは貪りを捨断するために教えを説き、怒りを捨断するために〔教えを説き〕、愚かさを捨断するために教えを説きます。あなたたちの教えはよく説かれたものです。尊師アーナンダよ、あなたたちは貪りを捨断するために実践し、怒りを〔捨断するために実践し〕、愚かさを捨断するために実践しました。あなたたちは、この世間においてよく実践した人たちです。尊師アーナンダよ、あなたたちの貪りは捨断されて、根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなっています。あなたたちの怒りは〔捨断されて、根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、存在しないものとなり、将来に生じることのないものとなっています〕。あなたたちの愚かさは捨断されて、根を断たれ、樹頂を切断されたターラ樹のように、将来に生じることのないものとなっています。あなたたちは世間では、よく逝った人たちです。
尊師よ、すばらしい。尊師よ、すばらしい。尊師よ、例えてみれば倒れた者を起こすようです。覆われたものの覆いを取り去るようです。迷った者に道を教えるようです。眼のある者に色を見なさいと言って、闇の中に灯火を持ってくるようです。このように聖者アーナンダは様々な方法で教えを明らかにしました。聖者アーナンダよ、私は尊師ゴータマに帰依します。教えと比丘の僧団とに帰依します。今日より後、聖者アーナンダは私を終生帰依した在家信者として受け入れて下さい」。
この章終わり。次章に続きます。更新は連休後になると思います。誤字間違いがあったら指摘して下さい。
この章の肝はアーナンダ尊者は戸主への問題文を作るのに自を誇らず、他を誹らず、釈尊のお言葉に頼ることもありません。
自らのお言葉で外道の者を終生の在家信者にすることに成功しています。
アーナンダ尊者はこの時点ではまだ阿羅漢ではありませんが、釈尊の信頼が厚いのも当然だと思われます。
それではおやすみなさい。
本当に本当に申し訳ない。
午前中あまりの睡魔に寝落ち、午後は午後で所用でやはり動き回ってまして記事書き起こす時間はありませんでした。
このままだとズルズルいってしまいそうなので今週半ばまでには必ず一本上げることを誓います。
こんなことで不妄語戒に違反したくはありませんのでここは一つ自分に課します。
時間は作ろうと思えば作れます。寝る時間を削れば!!(苦笑)
ということで今日はこれまで。大変失礼いたしました。
午前中の記事にいいね!下さったダメ絵心人さん、ありがとうございます。
ですが今日は更新詐欺になってしまって本当に申し訳ないです。<(_ _)>