大変お知らせが遅くなってしまいました。

 

3月の28日、コナツはお空に旅立っていきました。

 

病状については、もう少し落ち着いてから

詳しく書かせていただくつもりです。

 

 

3月30日が10歳のお誕生日だったので、少しだけ足りず。

これだけ頑張って、それは少し可哀相と思い

それならと、30日にお誕生日とお葬式を一緒にすることにしました。

旅立ちは10歳として合格よく頑張りました。

 

最後の日の朝は、前日から24時間もオシッコが出らず

腹水もあるのでお腹が苦しそうでした。

酸素室の中でお座りしたり、寝返りもよくうっていたので、

病院にお願いして、すくぐに入れるように酸素室を用意していただいた状態で

連れて行きました。酸素室に入ったところで大量にオシッコをしたのでほっ。

輸液を入れていただいてすぐに帰宅。

 

午後からはお目目をクリクリさせて、目が合うと尻尾をフリフリしてくれました。

肩で息をするのが気になりましたが、寝返りなどは頻繁にしていました。

静かにさせていたかったので、私も出来るだけ普段通りにしつつ

酸素室の中を見ていると、壁のほうを見て尻尾を振りながら寝返りうったりして
とてもご機嫌ちゃんなお顔でした。

 

午後5時15分を過ぎて、いつもなら職場を出たと連絡してくる相方からの電話がないので気になっていたところ、30分過ぎて連絡があり今出たとのこと。

なんとなく予感がしたのか、早く帰ってほしくて高速に乗ってと伝えました。一時間かかるところが10分早く着きます。

電話は繋がったままモニターで会話していました。

コナの呼吸が荒いせいか、酸素室内の温度は1℃高くなっていたので、これじゃ暑いかもと気になり、窓を全開にするも下がりません。それがとても気になり、帰りにコンビニに寄って凍らせたペットボトルを買って来てと頼みました。

途中、何度かふらつきながらコナがお座りをするので、仕方なく酸素室を開けないといけなくなり、座らせて落ち着かせましたが、その回数が増えてきた気がして・・・
コンビニに寄らなくてもいいから早く帰ってと言ったすぐ後、

ハァハァ息を荒くしたまま興奮したようにすくっとお座りしたので、慌てて酸素室の戸を開けて支えたところ、フッと力が抜けて、大きく口を開けて息をしたので、慌てて酸素マスクを当てましたが、呼吸が止まりました。

本当に一瞬のことで、まさか今日で、そしてその時だなんて想像もしていなかったので、ただ茫然と「コナ、なんで?どうして?」と叫ぶしかありませんでした。

 

本当だったら、相方が仕事から帰宅する時間に息を引き取りました。

家まであと5分もかからないところでした。

車での通勤の間、私たちが電話をモニターにして話すのをコナはいつも聞いていて、

仕事からもうすぐ帰ること、家に到着した際の車のバック音にはいつも大喜びでした。

 

会わせてあげたかったです。

最後の日は、ここ数日と全く違って、いつもの顔に戻っていました。

腹水もあって暫く抱っこをしていなかった相方に抱っこされて、

お顔も体も綺麗にしてもらうと、本当に眠っているようでした。

 

私たちの、可愛い可愛いコナツ。

今まで沢山の子を見送ってきましが、こんなに泣いたことないくらい泣きました。

ここ数年、仕事も家でしていたのもあってずっと家にいた私、

かなり引きこもり気味だった私(更年期?)

いろんな辛いことが重なっていた私、

そんな時期、いつもそばに寄り添っていてくれた子でした。

 

 

 

お腹のあたりに出来た憎き腫瘍のことは後日。