親あるいは教師によっては、子どもをとても厳しく育てる方針の人がいます。
程度の問題なのでしょうが、あまりに厳しい育て方は、後々問題となることが少なくありません。
例えば、暴言や手を上げるということ。
人間ですから誰でも感情的になることはあるでしょう。
しかし、それも度が過ぎて、長期間続くと、仕方ないでは済まされなくなってきます。
発達障害(特に自閉スペクトラム症=ASD)の子には、「苦しい、悲しい記憶をなかなか消せない」という特性があります。
もちろん誰にでもそういう面はあるでしょうが、多くの人には「忘れる」力があることも事実です。
仏教でも「日にち薬」ということばがあり、時が悩みを解決してくれるからこそ、人は何とか生きていけるのだと思われます。
ただし、ASDの子にとっては、それは必ずしも当てはまるものではありません。
彼らは忘れられないどころか、時が経つにつれ、記憶がより鮮明化することさえあるのです。
例えば、小学生の頃教師から体罰を受けた子が、20歳を過ぎてからその先生に襲いかかるというケースがあります。
また、子どもの頃ゲームばかりしていて親にゲームを捨てられてしまった人が、20代後半になってもそのことをずっと恨んでいるというケースがあります。
もちろん、嫌な経験をした子がすべて、大人になって「恨みを晴らす」わけではありません。
多くの場合、なかなか記憶を消せないことが心の負担となり、やがてチック症状や不安傾向、無気力、情緒不安定、パニックなどの二次障害がつながってしまいます。
しょっちゅう思い出してイライラし、暴力的になるケースでは、それが本人の「生きづらさ」につながってしまうのです。
厳しすぎるかかわりは、『脳のダメージ』という点でも影響があると言われています。
具体的には、体罰は前頭前野の萎縮、暴言は側頭葉の肥大に関係しているそうです。
「お前なんか産むんじゃなかった」という暴言など、もってのほかと言えるでしょう。
また、周りで誰かが厳しく叱られていても、よくない影響(視覚野の萎縮)を受けると言われています。
時々、高校の運動部などで、度がすぎる指導を行う指導者がいますが、それは、その人自身が若い頃、厳しすぎる指導を受け、脳にダメージを受けた結果とも考えられます。
もちろん親子関係でも、そのような例は多々見られます。
ここまでは、「厳しすぎる」ことの弊害について述べてきましたが、たとえ厳しくなくとも、同じようによくないケースが考えられます。
それは、「ちょこちょこ、口うるさくかかわる」ことです。
例えば、子どもが調理をしている最中に「ほら、ちゃんと手元をよく見て」「左手はどうしたの?遊んでいる」「もっと手際よくできないの」などと言い続けるケースがそれに当たります。
何かをしている最中にごちゃごちゃ言われても、発達障害の子はそれにうまく対応するのが難しいのです。
結果的にストレスが膨らんでしまい、嫌なことを言われたという記憶だけが残ってしまいます。これでは、厳しく言われたときと同じことになってしまいます。
では、嫌な記憶が残り続ける子に対し、どのような対応をすればよいでしょうか。
それは、とにかくポジティブな経験を積み重ねていくしかありません。
成功体験をしながら、心地よい気持ちを嫌な記憶の上に上書きしていくのです。
精神科医の明橋大二さんは、「甘えさせないことが自立させるのではなく、甘えで子どもは自立する」と述べています。
人は、十分に甘えると安心感を得て、それが「自分でやる」という自立につながっていきます。
無暗に甘えさせすぎることはよくないのでしょうが、本当に甘えが足りているかどうかを、少し立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。
新年度もよろしくお願いいたします。
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