子どもが身につけるべき力はいろいろありますが、中でも「主体性」「自主性」はとても大切なものとなっています。

 

どんなにいろいろなことができても、自ら行わず、いつも誰かに促されて、あるいは手伝われてやっていたとすれば、それは本物の力として育つことはないでしょう。

人は誰もが「私」というものを持っていて、自分の意思で行動することが「いきいきと生きる」ことにつながっていくのです。

 

子どもが何かをしようとして、それに気づいた大人が子どもより先に行動(手助け)してしまうことを「要求の先取り」と言います。

例えば、誰かが子どもに「今日の給食は何だったの?」と聞いたとき、子どもが答える前に隣にいるお母さんが「ほら、カレーでしょう」と言ってしまうケースがそれにあたります。

よくある光景なのでしょうが、それも過ぎると子どもの育ちによくない影響を与えてしまいます。

 

いつも先取りされると、子どもは自分で考えようとしても、隣で遮断されることになってしまいます。

やがて子どもは、何をするときも母親の顔色を伺い、自分の意思で行動することをやめてしまうことでしょう。

それは、あきらめの気持ちにも似ています。

 

そして、「要求の先取り」が長期間に及ぶと、かん黙や登校渋り、不登校にまでつながりかねないというのは、決して大袈裟なことではないのです。

 

もちろん、聞かれてもなかなか答えない子を目の前にし、つい口を出してしまう気持ちはわからないではありません。

でも、そこはあえて待ってあげた方がよいでしょう。

 

子育てや教育は、リラックスした環境で行われるべきであり、急かされれば子どもは安心して自分自身を発揮することができなくなってしまいます。

多少時間がかかっても、周りが待ってくれれば、子どもは「自分を尊重してくれた」と感じることができ、それが次への表現へとつながっていくのです。

 

そもそも、子どもが答える前に正解を言ってしまうことは、子どもの「気持ち」のみならず、「考える力」をも奪ってしまうことになりかねません。

 

先ほどの給食の件で言えば、もしかしたらその子は、別の皿に盛られた「ほうれん草のお浸し」の方が印象に残っていたのかも知れません。

主役はカレーなのでしょうが、ほうれん草に注目することだって、りっぱな気持ちです。

あるいは、食材がいろいろあって、どう答えたらよいのかわからないということも考えられます(「カレー、ほうれん草、ワカメスープ、ヨーグルト、オレンジジュース」など)。

 

いずれにせよ、子どもは子どもなりにいろいろと考えているわけで、その考えている時間こそが子どもをどんどん賢くするということに私たちは注目する必要があるでしょう。

 

「要求の先取り」は習慣のようなものですから、まずは大人自身が子どもの表現の機会を奪っていないかどうかを振り返ってみるとよいでしょう。

大人自身が変わることが大切です。

 

幼児期や小学生の子どもに対してだけでなく、高校生や大学生に対しても、隣で答えてしまうケースが多々見られます。

つまり、子どもとの距離感が近すぎると、年齢に関係なく、自分のやっている行動に気づかなくなってしまうのです。

 

早く答えないと気持ち悪いのは大人自身であり、その場合主役が大人になってしまっていることに気づく必要があるでしょう。

 

言うまでもなく、どんなときも子どもが主役にならなければなりません。

その意味では、あまり子どものことを見過ぎないようにすることが大切です。

 

子どもに興味を示すことと、子どものことを見過ぎて、いちいち反応し過ぎるのとは別物です。

 

子育てで失敗するケースは、たいてい子どもとの心理的距離感が近すぎることによるものです。

子どものことを知りたいと思う気持ちは大切ですが、あまりに子どもにベクトルを向けすぎないようにしていきたいと考えます。

 

リラックスした大人が近くにいることが、何よりも大切なのです。

 

2025年もよろしくお願いいたします。

 

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