偏愛映画論 | 桂米紫のブログ

桂米紫のブログ

米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。


テーマ:
たぶん世間の人はあんまり観てないだろうし、また一般的な評価(例えばYahoo!映画のユーザーレビューとか)もそれ程高くなかったりするけど、個人的に「偏愛してやまない映画」というのが、何本かあります。


落語のネタおろしも自主制作映画の撮影も無事に終わって、今んところ早急に覚えなきゃならないネタも台詞もとりあえずはありませぬ故、今日はそんな“好きな映画”の事を、問わず語り的につらつらと書き連ねてみようかと思います。



『スーパー!』(2010年・アメリカ映画)


Yahoo!映画のユーザーレビューには「コメディだと思って見たらグロいし笑えないし、良さが全然分からない」的な意見も多数見受けられますが…そんな人はたぶん、この作品の“毒気”が性に合わなかったのでしょう。
まぁ個人的には「毒気のないものなんてお子様ランチ」だと思っておりますが…世の中には毒気を一切受け付けない、まるで抗菌コートに囲まれたような精神状態で人生を過ごしておられる方もいらっしゃるようで。
でもこの作品の魅力は、まさにその“毒気”にこそあるのだと思います。

「冴えないオッサンが世の悪に立ち向かうべくお手製のコスチュームを身に纏い、スーパーヒーローになる」…というプロットだけ聞けば、確かに爽快なアクションコメディを想像してしまいがちです。

でもそもそもこのオッサンがヒーローを志す動機は、「愛する妻が麻薬ディーラーの男に薬漬けにされた上に寝取られたから」という、この上なくドロドロしたものだし、何の特殊能力も持たないこのオッサンヒーローが悪を倒す方法というのが「スパナで頭をどつく」という、安直かつ暴力的極まりなさ過ぎる違法行為だし…。
“爽快さ”とは無縁の、作品全体に漂う残酷さと報われなさが、何とも切ないのです。

切ない。実に切ないのだけど、細やかな…本当に細やかな“幸福”を暗示するラストに、観る度に涙腺が崩壊してしまいます。

全体的バッドエンドに、仄かに混じるハッピーエンド。
これはウディ・アレン監督の『カイロの紫のバラ』とか、ジャック・ニコルソン主演の『アバウト・シュミット』といった作品同様、僕の大好きな「割り切れないラストシーン」を迎える、本当に素敵な映画だと(僕は)思います。

残酷なのがキライとか言うけど…僕らが生きてるこの社会の仕組みの方が、よっぽど残酷だと思うよ!



『MAY』(2002年・アメリカ映画)


Yahoo!映画のユーザーレビューで「こんなウジウジした主人公大キライ!」みたいな意見を読んで、それ以来もうYahoo!映画のユーザーレビュー自体を読まないようにしてるぐらい一人でムカついたんですけど…きっとそういう意見の方って、疎外感とか孤独感とかをあまり感じる事なくこれまでの人生を過ごしてこられた、根っから陽キャのパリピみたいな、お幸せな方なんでしょうね。そうなりたいと思った事は一度もありませんけど。

友達の多さを自慢するような人に、この作品の主人公であるメイの気持ちなんて、きっと一生理解できないんじゃないかと思います。

不器用だけど自分自身に真っ直ぐに、情熱的に生きた末に訪れる、大きな大きな悲劇。

そしてこの作品も、悲劇的ラストに一抹の希望が紛れ込んでいます。
最後の最後のワンカットに。

「これは喜劇です!」とか「これは悲劇です!」とか、「これはハッピーエンドです!」とか「これはバッドエンドです!」とか…そういうはっきりした線引きのない“曖昧なものの面白さ”っていうのが、僕は個人的にとても大好きです。

あ、ちなみにこの映画も適度にグロいので、そういうの苦手なスイーツ系女子は決して観ないでください。



『紀子の食卓』(2006年・日本映画)


「長いし暗いし後味が悪い」って…何やねん、その感想!
だいたい「自分が思い描いていた内容と違うから低評価を付ける」行為は、全くもってフェアじゃないと思います。

本当に記憶に残る映画というのは、心にくっきりと爪痕を残してくれます。
つまり「心を傷つける映画との出会い」は、宝物だと思うのです。
映画との出会いってある意味追突事故みたいなもんで、たまにガツンと、予想外にすげぇ勢いでブチ当てられる時ってのがあるもんです。
「自分の中の予定調和を裏切らなかった作品」のみを評価するのは、トイザらスで売られてる足漕ぎのオモチャの自動車に乗って、安全なお庭でワーキャー遊んでるようなもんで…そんなの危険性は0だけど、面白くも何ともないじゃないですか。

とは言え『紀子の食卓』は、実に爽やかに幕を開けます。
福山雅治と結婚するずっと以前の吹石一恵ちゃんと、福田彩乃に物真似のネタにされるずっと以前の吉高由里子ちゃんが姉妹を演じる、甘酸っぱいおにゃのこ青春映画かと見紛うような幕開けです。
でもここから物語は徐々に不穏さを帯び、やがて観る者の心をざっくりと傷つけます。
でも同時にとってもロマンティックで、やはり僕はこれは(ある意味)爽やかな映画なんじゃないかと思っています。

この作品、同じ園子温監督作『自殺サークル』の続編ではありますが、物語の直接的な繋がりはあまりありません。
と言うか、同じ題材を違う視点から再度構築してさらに深みのある作品に仕上げたのが、『紀子の食卓』のすごいところと言えます。

ちなみに『自殺サークル』はよりショッキングな内容ですので、傷つきたくない人は観ないでください。
もしくはいっそ、観て思いっきり後悔すりゃいいんじゃないかと思います。



『赤い風船』(1956年・フランス映画)


あんまり屈折した作品ばっかり書き連ねて、僕が屈折した人間だと思われると困るので(まぁ屈折してるんですけど…)、最後に“古典的名作”も一本忍ばせときますね。

“古典的名作”と言っても、この作品を観たという人には僕の44年の人生通じて、まだ二人程しか会った事ありません。

「映画が好きです」と言うと、だいたい「どんな映画が好き?」と訊かれるんですが、「一番好きなのは『赤い風船』ですかね」と答えると、大抵ポカーンとされます。
たぶん『タイタニック』とか『アルマゲドン』とか『ALWAYS 三丁目の夕日』とか、そういう答えを期待されてて、「あれは面白かったよねー」とか「泣いたよねー」って言いたいか…もしくはゴダールとかフェリーニとかヴェンダースとかいうこちらの答えを待ち構えてて、「えっ、ロメールは観てないの?」と“更に俺はお前より深く映画を知っているぞ自慢”をしたいか、どっちかなんでしょう。
そのどちらの期待も裏切ってポカーンとさせる『赤い風船』って、一体どんな映画なのか…。

上映時間たったの36分。そう、これは短編映画です。

僕がこの映画を知ったのは高校生の頃…確かNHKの地上波で放送されてたのを観たのが最初だと記憶してます。
その後CICビクターから出ていたVHSのビデオを購入し大切に保管してたんですが、悲しいかなソフトはDVDの時代に…。
ところがこの作品、なかなかDVD化されず、長らく幻の作品となっておりました。
しかし10年程前に同監督の『白い馬』(これも短編)と共にリバイバル公開され、その少し後にやっと目出度くDVDが発売されたんですけど…ポカーン状態は相変わらずのままです。

監督はアルベール・ラモリスという人で、48年の生涯に記録映画・劇映画含め10本程の作品を残しましたが、その作品の多くが「空」をテーマにしたものでした。
空撮にこだわり、その最期も空撮中のヘリコプター事故によって自身が空に召される…という、そのエピソード自体がラモリスの映画になりそうな、空に憧れ空に消えていったという監督さんです。

ストーリーは、街灯に引っ掛かったまま動けなくなってる赤い風船を、少年が紐をほどいて助けてやると、その風船がずっと少年の後をフワフワとついてくる…という、たったそれだけのお話。

台詞らしい台詞もほとんど無い、たったそれだけの36分間。
しかしそれがもう、魔法のような驚きの連続なのです。

圧巻はラストシーン。
いじめっこ達が投げた石によって、静かに萎んでゆく風船。悲しむ少年。
…そこからの展開は、どんな大作映画にも負けない映画的興奮に満ちています。
僕、余命映画で泣いた事はありませんが、この映画には毎回クソ泣きしてしまいます。…それはそれで、やっぱり屈折しているのかも知れません。

映画でしか表現できない、無駄な枝葉を全部切り落とした純粋な“映画の塊”みたいな映画として、僕はいつもこの『赤い風船』をオールタイムベスト1に挙げる事にしています。


他にもまだ書きたい“偏愛する作品”はたくさんあるのですが…それはまた別の機会に。

いやぁ、偏愛って、本当に素晴らしいもんですね。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

桂 米紫さんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス