きりこは電気クジラの夢を見るか | 桂米紫のブログ

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米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。


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『我愛你(うぉーあいにー)WAR I NEED』の劇中のほとんどで、鯨はきりこと行動を共にしています。

メンソレータムのパッケージに描かれたノスタルジックなナースのような格好をした、謎の少女…きりこ。

日常的に銃撃戦が繰り広げられ、街のあちこちに怪我人と死者が溢れている…そんな悲しみと苦しみで満たされた世界の中で、きりこだけは無垢で純粋で天真爛漫で…彼女を見ていると、まるで戦争などただの悪い夢でしかなかったかのようにさえ思えてきます。

ナースのようでもあり、鯨の助手のようでもあるきりことは、一体何者なのか…。


答えは、お芝居の比較的最初の段階で明かされます。

彼女は最新の“兵士型”ではない、旧タイプの“愛玩用”ドール(アンドロイド)であり、物語に登場する五人の少年兵達と同じく、彼女もどうやらドール技師である鯨の「作品」であるらしいのです。

でも、鯨が何故きりこを造り、何故数ある「作品」の中できりこだけをいつも側に置いているのか…その理由までは語られる事がありません。


ここからはまた、僕の妄想コーナーなんですが…鯨には「きりこ」という名の、実の娘がいたんじゃないかと思うのです。

一人娘を溺愛していた鯨でしたが、軍のエライさんに「起死回生の武器を作れ」と命ぜられ、軍の最高機密として、鯨は“ドール爆弾”を開発します。

人間と同じように成長し、自分がドールであるという自覚すらないその“ドール爆弾”達が出荷される前に、鯨の国は戦争に敗れてしまいます。

計画は中止され、“ドール爆弾”の件は闇から闇へと葬られる…はずでした。

ところが愚かな人類は、終結したはずの戦争をまた始めてしまう。

その戦いはやがて、誰が敵か誰が味方かさえも分からなくなり、世界は混沌に包まれていきます。

恐らくそんな中、鯨は一人娘のきりこを、「敵か味方か分からぬ砲弾」によって、失ってしまったのではないかと思うのです。


溺愛する娘を戦争によって奪われ、失意に暮れた鯨は、何よりも戦争を憎むようになります。

そして、軍の指令だったとは言え、そんな憎むべき戦争に爆弾のエンジニアとして加担し、片棒を担いでしまった自分自身に、深い深い自己嫌悪を感じる事になるのです。

それによって自分の殻に閉じ籠もってしまった鯨は、自身の得意分野であるドール技術を用い「成長しない旧タイプのドール」として、娘と瓜二つのドールを、娘が死んだ年齢のままの姿で造り上げ、逃避するように二人で暮らしていたのではないでしょうか。


しかし鯨には、誰にも口外出来ないある「使命」がありました。

その“使命”とは、手違いで数十体ほど街へフラフラとさ迷い出てしまった、“ドール爆弾”達の始末。

忌むべき存在である、自らの手で造り出したその「汚らわしい爆弾」を、鯨はそれまでも一体ずつ見つけては始末していたのでしょう。
“ドール爆弾”は、娘の命を奪った「戦争」という大きな悪の一部であり…しかもそれを自らの手で造り上げてしまったという、鯨の後悔そのものでもあるのですから。


しかしここで鯨に、不思議な感情が芽生えます。

「どんなドールが一番人間の同情や哀れみを引くか」を考え抜いた結果、鯨は自分自身の愛する人々をモデルに、ドール爆弾の姿をデザインしました。

それは子供好きだった鯨を慕っていた近所の子供達の姿だったかも知れませんし、鯨の初恋の相手の姿だったかも知れません。

それら「愛すべき人々」をモデルに、鯨は「誰しもが愛さずにはいられない」ドールをデザインし、そこに爆弾を埋め込んだのです。

ところがその結果、それを造った鯨自身も、その“ドール爆弾”達に「同情や哀れみ」を感じてしまう…という、皮肉な事になってしまった訳です。

鯨の“ドール技師”としての腕が、優秀過ぎたのかも知れません。
「誰もが愛さずにはいられない」というその「誰もが」に、まさか自分までもが含まれてしまう事になろうとは、鯨自身も想像していなかった事でしょう。

鯨にとって“ドール爆弾”達は「忌むべき存在」であり…しかしまた同時に「愛さずにはいられない存在」でもあるという、その皮肉。
殊にその“爆弾”達は、鯨がかつて実際に愛した人々の姿形をモデルにしている訳ですから、なおのこと鯨にとっては複雑な心境であった事でしょう。

「憎しみ」と「愛」…その二つの相反する感情に葛藤しながらも、やはり鯨は使命を全うしようとします。

設定された最終爆発時間が過ぎでも、不発のまま走り去ってしまった一体の“ドール爆弾”。

心の底で「そのまま逃げて、生き延びて欲しい」と願いながらも…それを鯨は、工場の地下に眠る大量の“ドール爆弾”もろとも「ドールを遠隔操作できる装置=オルゴール」を使って、爆破させようとします。

自らも、その爆破によってきりこと共に心中する覚悟で…。


しかし最後の最後に、まさかの事実が判明するのです。


僕が出演させて戴いた全四回のステージ全てで「きりこ」を演じたのが、染谷有香ちゃん。

今からちょうど十年前に公演のあった、石田アキラさん作・演出による『オヅの魔法使い ~ドロシィ監禁地獄!~』というお芝居で初共演させて戴き、そこから僕の数少ない友達の一人となった、染谷有香ちゃん。

友達って、「うちら、友達やんな?」とか確認し合う事なんてなく、たとえ何年会わなかったとしても昨日会ったばかりのように話が出来る人の事を、友達と呼ぶんだと思います。

有香ちゃんは、まさにそういう人。

今回、有香ちゃんが劇団往来代表の鈴木健之亮さんに僕を推してくれたそうで…それがご縁となって、本業落語家の僕のような者が“鯨”という大役を仰せつかる事になったのです。


出会ってから十年経ちますが、有香ちゃんはほんとに可愛いまま、大人になりました。
まぁ、出会った頃からそこそこ大人でしたけども。

でも考えたら有香ちゃんとは、今までコメディの、しかもお笑いのシーンでしか基本共演した事がなくて、今回のようにガッツリ感情のキャッチボールをする役で組むのは、初めての事でした。

信頼関係がお芝居にも滲み出るっていうのは、やはり演劇のすごく良い、楽しいところだと思います。


有香ちゃんは、とても優しい人です。
そして優し過ぎて、いつも些細な事で傷ついてしまいます。
そして気ィ遣いなので、そんなにも傷ついているくせに、それを隠して明るく振る舞おうとします。

でも長年の付き合いだから、すぐに分かります。
その笑顔が、本物かどうかなんて。

彼女は、一見するととても器用な人に見えるんですが…実は生き方は、とっても不器用なんです。
そう、彼女も“チーム不器用”なんです。

でもそこはやっぱり気ィ遣いなので、「不器用な自分は見せちゃいけない」って気ィ遣い過ぎて、余計しんどくなってしまうのです。
…そんなの、僕にはちゃんとお見通しです。

でも、有香ちゃんのそんな人間としてのある意味での“カッコ悪さ”こそが、僕はたまらなく好きなのです。


そんな有香ちゃんは「テアトル アカデミー大阪校」で、演技の講師を勤めています。
そう、今回僕が大好きになった「テアトル アカデミー」の子達は、みんな有香ちゃんの教え子なのです。

それで納得です。
「テアトル アカデミー」の子達を僕が魅力的に感じたのは、そんな人間的魅力に溢れた、染谷有香ちゃんの教え子達だから。


「不器用である事」は、役者さんや噺家にとっては、ある種の魅力なのではないかと思います。

不器用で…でも真面目な努力家である事は、とても素晴らしく愛すべき事だと僕は思うのです。


有香ちゃんのきりこは、とてもとても良いきりこでした。
無垢で純粋で天真爛漫で…そして何より儚げでありました。


ラストシーン、僕は確かに鯨でした。

そして有香ちゃんはきりこでした。


鯨ときりこは、確かにあの瞬間、この世に存在していました。


それぞれの少年兵達が、それぞれの姿で確かにこの世に存在したように。


鯨はきりこを、そして少年兵達を、確かに愛していました。
心の底から、どうしようもなく愛していました。


そして彼らは、空想の世界へと帰って行きました。


きっと彼らも喜んでいる事だろうと思います。

ほんの一瞬でも、姿形を与えられ、生命を与えられ、この世に確かに存在出来たのですから。


そして『我愛你(うぉーあいにー)WAR I NEED』という公演は、幕を閉じたのです。


画像は鯨ときりこに扮した、僕と染谷有香ちゃん。


そして打ち上げの終わり、帰り際にテアトルチームが僕にくれた、みんなからの寄せ書き。

憎い事してくれるよ。ほんとに。
今まで貰ったどんな賞状よりも、どんなトロフィーよりも、この寄せ書きは嬉しかったよ。


君達の事、愛しているよ。


鯨がきりこを愛していたみたいに。

少年兵達の事を、どうしようもなく愛していたみたいに。


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