内向的か外向的かと聞かれれば、完全に内向的だと自負している。
外の世界を知るよりも、内側の世界で閉じこもって遊ぶのが好きだった。
好きだというのには少しばかり、語弊がある。
幼い頃の私は、そうすることでしか、繊細である自分の心を守る術がなかった。
人生で一番最悪だったのは、物心着いたばかりの三歳ぐらいのときで、保育園に行くのが嫌で嫌で、毎日玄関で大泣きしていた。
知らない子達がおもちゃを取り合ってケンカするのも嫌だったし、先生が言うことをきかない子供を怒鳴りつけて、ゲンコツを食らわすのも怖かったし、給食の魚の骨も嫌いで、給食を残すと廊下に出されるのも、眠たくないのにお昼寝をさせられるのも、絵本コーナーになぜか口裂け女の載った本があるのも、和式トイレも、寒風摩擦も、
もう外の世界にある何もかもが大嫌いだった。
三歳にして私は生きていることに幻滅していた。
ニュースで事件や事故があればその被害者がまるで自分であるかのように本気で苦しかったし、ドッキリ企画で誰かが騙されているとその場面を嘘だとわかっていても見ていることができなかった。
とんでもなく繊細というか、度を越した神経質な性格で、どうやら自分は周囲の人たちと何かが違っている。自分を守るための大事な何かが欠けているんだと自惚れていた。
友達は好きだった。だけど、毎日遊ぶのが苦痛だった。感情をあらわにするのが苦手だった私は、自分の嫌なことを嫌だと言うことができずにいつも相手の欲するものを想像しては先回りした。
誘いに来てくれる二回に一回は、具合が悪いからと断る。一人で本を読んだり、林の中を散歩することが好きだった。
私の内側は、いつも自由だったし、季節の彩りはいつも私の味方だった。
道端の愛らしいスズランの白い小さな花や、エゾアカガエルの合唱、河岸にある透明な石、フキの傘や、牧草で作る秘密基地に雪の冷蔵庫、トンビの旋回。
それらは臆病過ぎる私をいつも慰めてくれた。
人の思いに触れることが怖かった。
人の口から発せられる音が形になって意味を持つことが。
世界はいつも傷だらけだった。
人の心の中には、天使だけじゃなく、悪魔が住んでいることを私はずっと認められなかった。
家の二階にある弟の部屋からは、山が見えた。
泣きたい時はいつもそこに行って、窓を開け放って泣いた。
太陽をゆっくりと飲み込んで行く山が、静かに闇を連れてくる。
私はそれを眺めて、死にそうな一日が終わることに安堵していた。
それでも夜は夜で、安心できなかった。
目を閉じると自分がいなくなる。
身体は疲れを癒そうと動かなくなるのに脳だけが暗闇の中でぱっちりと覚醒していた。
それは金縛りになり、時に夢遊病になった。
きっかけは日航ジャンボ機墜落事故だった。
一瞬で大切な人がこの世の中からいなくなってしまう怖さ。
大好きな祖父の膝の中は、さらに孤独な空間になった。
もうこんな心はなくなってしまえばいい!
私は静かに壊れた。
それでも淡々と日常は過ぎた。
私は病んだ心のままでそれに抗うことを諦めた。
小学三年生の私は死んだまま、生きることにした。
言葉もなく、姿を変えていく季節だけが、私に呼吸を思い出させた。
雨がザーザーと降る。
その音を聴いていると、なんだか心地よい。
本当は夕立ちが好きだ。
濃いグレーの雲の間から、束の間の晴れ間が差して、風景には明暗差ができる。
虹が空に橋を架ける。
雷が雲を割く。
車を走らせる。
今はカメラが私の相棒だ。
とっくに私が死んでいることを束の間、忘れさせてくれる。
いや。
苦しみや悲しみや虚無こそが、生への限りない執着なのだと、もう知っている。
だから、笑うこともできるんだ。