娘の受験日が迫ってきた。

最初の倍率が出て、
志願変更の期間も終わり、
見事、定員割れが確定し、
きちんと受験さえすれば
合格できる見通しと相成った。

明日は滑り止めの私立の受験。
来週のバレンタインデーには
公立の受験、翌日は面接。
それが終われば
月末の合格発表を待つのみ。

高校入学のメドがつき、
私も半分放心したような心持ちで
毎日を過ごしている。
体調不良だけは避けたいので
夜更かししないよう、
それだけは娘に言っているけど
あとはもう何も言っていない。

公立に入学して
念願のスマホを手に入れる娘には
今後もう本当に何も言うまい、と
思っている。

本当は知的好奇心を育てたり
学びの楽しさを知ったり…
本当はそんな風に育ってほしかったけど
下の娘は全然興味がなかった。
だから、最後の方は
高校入学だけを最終目標に据え、
口うるさく勉強、勉強、と
これまで言い続けた。
でもそんな日々もやっと終わる。

言っても言っても
受け入れてもらえないのも
もう嫌というほど経験したけれど
一般的な常識や価値観は
教えてきたつもりだ。
(本人が常識的に行動できるかは別)

もう義務教育でもないのだから
あとは自分の思うように
好きに生きていけばいい、
そんな心境になった。
西原理恵子の「卒母」のイメージ。

早くも気が抜けたのか、
急に心が落ち着いてきた。

毎日、宿題やれだの何だのと
言わなくていいって
本当に平穏なんだな。
自分の事だけ考えて暮らす。
自分のために1日を過ごす。
なんだろう、この不思議な気持ち、と
思っていたら、
「ねばならない」がなくなったのか、と
気がついた。

幼い頃から
人生は長いレールだった。
決まったレールを
次の駅、その次の駅、と
走り続けていた。

次の学校に行くから勉強しないと。
友達に嫌われないようにうまくやらないと。
学校を出たから就職しないと。

結婚、出産、子育ても
次から次へ現れる駅。
全部、「やらねばならない」と
思ってやってきたことだった。

息つく暇もなく、
過ごしてきた気さえする。
特に子どもが学校に入ってからは
勉強や生活態度をめぐって
邪魔ばかりしてくる(ように思える)
夫との生活に神経をすり減らし、
毎日が孤軍奮闘だった。

でももう、全部終わり。
下の娘の高校入学が
終着駅でいいよね。

今日、ポケッとテレビをつけたら、
ドリアン助川が出ていて、
映画にもなった「あん」の
一節が字幕になっていた。

「この世を見るため、聞くために
    生まれてきた」

どこかで聞いたような、と思ったら
自分の出た高校の校歌だった。

「われわれは昨日の闇からやってきた
    明日の光を浴びるために
    われわれはやってきた
    世界を見るため、聞くため、ふれるため
   そして生きるために」

在学中はウルトラマンの歌みたいだと
歌うたび、
みんなクスクス笑ってたけど
そっか、
私の生きる意味は
私のこれまで歩いてきた道
全てにあったんだな。

迷いも、涙も、
やり切れなさも、
喜びも、みんな…
私が見て、聞いて、触れて
感じることが、生きる意味なのか。
闇から光、
光から闇の繰り返しの中
いろんな感情を持つことこそが
生きるってことなのか。

いつも急き立てられるように
あれもこれもとやってきて
自分の感情に呑み込まれることはあっても
向き合うことはなかったかもしれない。
自分の人生を
生きてなかった、ってことなのかな。

でもこれからは
もう自分の気持ちだけを考えて
生きていっていいんだ。
家庭を回すため、
フツウに見られるための
「ねばならない」は
もう終わり。

今やっと、私、
光が見えてきたんだな。

校歌は青い鳥だった。
大切なことは
すでに高校で教わっていた。