5:6 むなしい言葉に惑わされてはなりません。これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです。
5:7 だから、彼らの仲間に引き入れられないようにしなさい。
5:8 あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。
5:9 ――光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。――
5:10 何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。
5:11 実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。
5:12 彼らがひそかに行っているのは、口にするのも恥ずかしいことなのです。
5:13 しかし、すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。
5:14 明らかにされるものはみな、光となるのです。それで、こう言われています。「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
5:15 愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。
5:16 時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。
5:17 だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。
5:18 酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、
5:19 詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。
5:20 そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。
優柔不断な私は自分で物事が決められません。でも、一度決められると、途中で止めることなく、続けられます。昔は聖書を自由に読んでいたころ、読んでも、だらだらと読んでいることも多かったのですが、ある時から、教会で朝・夕の礼拝で読まれる聖書箇所を読むようにしています。聖書の箇所が決まっているので、その箇所についてゆっくり黙想できます。人によりけりですが、私の場合、ある程度、ルールを作って読むほうがいいみたいです。聖書をじっくり読む習慣も付くので最近聖書を読んでないとかいう心配がなくなります。聖書の箇所をゆっくり食べるように読みます。結構疲れます。その後何度も読んで、黙想して、祈って、心に響いたことを素直に書いています。神学的にどうかとかいうことでなくて、私が日々どう生きていくかを目的に読んでいます。よく生きるために聖書を読んでいるのです。御ことばは私の口と心にあるということですね。
さて、イスラエルが停戦を告げました。ガザでは多くの犠牲者が出ているとの報告を毎日聞きます。歴史的な政治的な複雑な理由があるのですが、理由がなんであれ、報復の連鎖がとぎれることがないのは心が痛みます。報復の基準は善悪の判断から来ます。私は仮に自分たちが正しくても、相手に報復しないほうが全体の益になると思うのです。人間の正義感から来る報復よりもみんなにとって損か得かを選んでお互いにとってよい道を求めるほうが、いいのではないかと思います。自分のことでいっぱいのときは、人の話を聞けません。だから、それに輪をかけるように、正義を説明しても、相手は聞きません。とうとう、正義の暴力で押さえつけることになり、相手をより追いつめ逆上させます。言われたら言い返す、やられたらやり返す、この中に人間の弱さや限界があるのです。わたしは近頃思うのです。仮に相手が自分のことを悪く誤解していて自分に攻撃してくることがあっても、議論して争うよりは相手にそう思わせておくほうが周りにも得かもしれないと。相手が冷静に受け止められるようになったら、そのとき和解をすればいいと思います。仮に悪い噂から誤解されても、それが原因で騒がれたら、光に当てられたとことになるからです。言うのもはばかるようなことに光が当てられれば、神はあらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。最も暗い闇が光となっていくのです。復讐は神様の仕事です。その仕事を人間がしてはなりません。また、神は何もしてくださらないと享楽主義に走ってしまうのも違います。
とはいうものの、人間は待てません。正しいものを求める力があるゆえにしんどいのです。イスラエルの歴史を見ても報復の連鎖です。人間に直接正しさを求めて闇に引き込まれることの繰り返しなのです。正しさは神のみにあるのに見えないから不安になってしまいます。正しさをもって行動するとき、相手に正義という名で相手を支配しようとする思いがないか、見つめる必要があります。支配は神のみがします。人が支配するとき暴力を生みます。時が必ず与えられます。すべてのことが明るみになって行きます。それまで辛くてエネルギーも消耗しますが、それでも、私たちの命が毎日与えられるなら、それ自身が神さまの計画の中にあるという意味だと思います。無理せず、焦らず、神様に素直でいればいいのだと思います。神様のご計画は私たちの思いを越えてはかりしれないのです。こんなに弱くてどうしようもない私たち、報復しあってぼろぼろになるよりも、十字架にかけられたイエスさまを仰ぎ見て生きたいと思います。一時は屈辱的な状態になってすべてに負けたようになったイエスさまは、永遠に復活され、生きておられます。その恵みのゆえに全てのことが感謝に変えられるのです。