大黒天は元々ヒンドゥー教の三大神の一人であるシヴァ神の化身「マハーカーラ(Mahākāla)」でした。
破壊神シヴァ神の夜の姿、もしくは世界を灰にする時の姿とされています。
「マハー」は「偉大」、「カーラ」は「時間、暗黒、死」を表します。
後に仏教にも取り入れられることになるのですが、その時に「マハーカーラ(大いなる暗黒)」という名前から「大黒天」と名付けられました。
仏教に取り入れられた際も恐ろしい神としての性格は変わらず、武装した姿をしていることが多くあります。
しかし、仏教が伝播していく過程で地域によっては財の神や食糧の神としての信仰へと変化していきました。
日本には9世紀に密教とともに伝わりましたが当時も戦闘神と財の神の両方の性格を持ち合わせていました。
ただこの頃から財の神としての性格が特に強調されていたようです。
日本伝来後、大黒天は日本神話の神「大国主(おおくにぬし)」と同一視されることになります。
これは「大国(だいこく)」と「大黒」の音が同じこと、五穀豊穣の神である大国主と食糧の神である大黒天に共通点があることが理由です。
当初は破壊神としての性格も持っていましたが、時代と共に豊穣の神としての面だけが残っていったようです。
大国主と習合後、現在よく見るような優しい表情で作られるようになりますが、険しい表情のものも「観世音寺(福岡県)」の「木造大黒天立像」など稀にあるようです。
現在の大黒天は福袋と打ち出の小槌を持って米俵に座っていますが、これも日本だけのもののようです。
三面大黒天(さんめんだいこくてん)は文字通り顔が3つある大黒天です。
3つとは「大黒天」「弁財天」「毘沙門天」です。
全てお馴染みの財福の神様ですね。「三面六臂(さんめんろっぴ)」といって3つの顔と6つの腕を持っているのが一般的のようです。
豊臣秀吉が足軽の時から三面大黒天を信仰していたことは有名で、いつも持ち歩いていたと言われています。
下層民から天下人へと上り詰めたのには三面大黒天のご加護が働いていたのかもしれませんね。
現在も京都市にある圓徳院(えんとくいん)には秀吉の三面大黒天が秘仏として祀られているとのことです。
その他に三面大黒天がお祀りされているところは
・四天王寺(大阪府大阪市)
・比叡山延暦寺(滋賀県大津市)
・大龍寺(兵庫県神戸市)
等があります。