命の対話師まつだまゆみです。





先日、祖母が亡くなった。




この祖母は私の目から見ても相当変わった人で。




トラブルメーカーといった存在に映っていた。




自分勝手で周囲を振りまわす…母がその間で困り、涙していた場面からそんな印象を抱いていた。




そして、両親から先に繋がる家系のトラブルや不仲な親戚付き合いが本当に嫌だった。




それに伴い、生まれ育った土地や風土も嫌いだった。




今思い返すと嫌なところしか目に入ってなくて、自分のルーツを消し去りたかった。




その最期の象徴のような、祖母が亡くなった。




しかも不思議なタイミングで。




私は必要なものだけを祖先から引き継ぎ、不要なものは引き取らない!




と、決めたタイミングだった。




その2日後くらいに祖母が急逝した、と連絡が来た。




同時に何故か喪失感を感じた。




「あー、祖母が私にとって不要なものを全部持っていってくれた」




そんなことを思った。











いつの頃からか親戚のゴタゴタに必ず巻き込まれるのが当たり前になっていたけれど、今回はそうならなかった。




いつもの癖で首を突っ込みかけたけれど、グッと堪え。




コロナも手伝って葬儀の為に帰省しないことになり。




「親世代で解決することはやってもらえば良い」



って、余計なお世話をしたがる私を引っ込めて。




それができたら、あーだこーだと報告を受け、相談されるという流れがプツンと途絶えた。




容易にあれこれ問題は予想できるのだけれど、入ってこないし、私からも聞きはせず。




あー、こうしていれば良かったんだなぁ…としみじみ思う。




私は本来こんなに身軽だったし、これで良いんだって。




自分から厄介ごとを探して、それに尽力して感謝される自分に存在意義を見出し安心してた。




そう思うと、アレもコレもと過去の思い出が走馬燈のように…。




なんて恥ずかしいんだ。




まるで自慰行為を晒していたことに気づいたような恥ずかしさ(笑)










なんか色々と身軽になってみてふと思う。




あれだけ毛嫌いしてた自分のルーツへの嫌悪感が消えていること。



むしろ、感謝の念さえこんこんと湧いてくる!




本当に不思議。










そして逆に引き継ぎしたものが見えてくる。




逆境から這い上がる生命力、しぶとさみたいなもの。




どうしても繋いでいきたいものを繋ぐ意志と実行力。




かつて繁栄していた記憶。




私の身体の優れた感覚や感性。



人の汚い部分や暗い歴史を見てきたからこその私の感性。




だからこそ見える希望や価値観がある。




そう思うと私のルーツの選択はアリなんだと納得する。




様々な思惑やご縁で繋がれてきた私のルーツ。














その光と影に彩られた全てが愛おしく感じられる。




まるで極彩色の塊が今生きている私達なんじゃないか?と思う。




影に見えているそれも、光の一面で。




その影を内包しているからこその美しさが私達ひとりひとりには在る。









それを沢山見たいと思う。




誰かの中に眠る、認められていない極彩色のソレを。




その生命の輝きをあなたとの対話を通して見たい。





ただ、私の欲の為に仕事をしたいと思った。




美しいものを沢山並べて、それを眺めたい。








そんな美しい生命の存在と出逢いたい。








そんな己の欲望に素直になれている自分にもびっくりする(笑)




誰かの為なんかじゃない。




私の判断基準も行動基準も「私の為」。




これに変な罪悪感がくっつかなくなった。




そうして思う。




祖母がまさにそういう生き方をしていたんじゃないか?って。




それがしたいくせにできないから勝手に嫌悪してただけ!




そう思うと笑うしかない(笑)




これはもう降参して、そのように生きるしかないわけで。




祖母やそこから繋がる家系の全てに幸福を流すしかないなと思う。




私の感じる幸福が何よりの供養になるし、ルーツ全体の養分になる気しかしない。




というわけで。




私は私を幸福にする!