昨日、訪問看護の初出勤だった。


それまでに、この仕事でやり直すことや目的をはっきりしておいた方が良いよー!ってアドバイスをもらって。


過去にどんな体験を味わい尽くしたかったのか?


この仕事での私の欲は何だろう?って。


そして、私なりの訪問看護の仕事のゴールを設定した。


それを引っ提げての昨日一日という時間は濃厚で。


懐かしい手応えと、戻る記憶と忘れてしまった知識とに喜びを感じた。


で、振り返って思う。


自分が何を欲しているのか。

自分が何を恐れているのか。


これをはっきり自覚して、きちんと持ってるかどうかって味わう時間が短くても濃度が倍以上に感じられる。


自覚と意志の度量で時間の概念覆るのかもって思った。


同時に、自覚と意志を自分で保つ工夫がいるとも思った。


私はいつも維持できなくて、忘れ惚けて元の位置に戻った経験を苦く思い出す(笑)


特に恐怖の取り扱いには注意が必要だなぁって思う。


いとも簡単に、あっという間に引き戻されてしまう。


そんな恐怖、特に過去の恐怖ってまた目の前にやってきた時ってそれを自分の中に溶かせる時なんだなぁって思う。


そうやって過去の恐怖をひとつひとつ自分の中に受け入れる。


そして、自分の一部に溶かしてしまう。


そうした時になんだか身体が喜ぶ感覚があった。


身体が緊張しないで緩む。


なんでか「おかえり」ってお母さんのように迎える心地。






ふっと訪問先で談笑していて思った。


同僚の動きやその行動の元になる想いや、利用者さんの反応のやり取りをリラックスして見られる私。


以前だったら、見逃さないように、1人で次にできるように、できなかったらどうしよう?受け入れられなかったらどうしよう?
…なんて頭グルグル忙しかったと思う(笑)


目的がなかったから、逃さないポイントが分かってなかったからだなぁって思う。


それだけで自分に余裕ができる。


そしてこの仕事に戻る為に、私が過ごした時間に感謝した。


自分の弱さを怖いながらも少しずつ受け入れて、自己肯定できるようになったこと。


それが、あの場に私のままでいさせてくれたことを実感できた。


弱いことを認められるって、こんなに自分を堂々とさせるんだって思った。


こうして同行してくれた同僚と"同じ"じゃなくて、"私"のままでいることを自分に許せるようになったんだって、嬉しかった。


自分に自信がなくて、すごいと思える誰かになろうとしてたから仕事は楽しくなかったし、知識も入ってくることはなかったんだって。


だって、なりたい私じゃない(笑)


そう思って、過去には残らなかった知識を"私のままで活かす為に"調べるとサクサク見つかるし、無理矢理覚えようとしてたカケラの記憶と結びついて入ってきた。


生きる知識ってこういうことなんだって思った。


自分が欲する意志と体験が結びつくからこそ私の知恵になるんだって。


そして、そうやって動いたことが私の自信にもなる。


過去の私とは違って、私の存在を肯定して、更なる欲を叶えていくことができるんだなぁって体感した。


たった1時間の訪問先での時間と前後の90分が、普段の時間より濃密だった。


あっという間に過ぎたのに、身体に刻まれ残ったものが多い。


そして、何より私自身の幸福度が高い。


コロナで他者との関わりを最小限に、自分と過ごした時間が効いてるなぁって思った。


同じ環境にあっても、誰かの目線にとらわれることが格段に減った。


とらわれかけても、すぐにそんな自分に気付けるようになった。

身体が身構えて緊張していないのを感じる。


そう思うと。


新型コロナウィルスでさえ、私にとっては恩恵なんだと改めて思う。


恐怖をみすえること、恐怖の正体をみること。


そんなことを教えてもらえた気がする。