【人の輝きに出会うインタビュー3】

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【人の輝きに出会うインタビュー】


「こういう事が聞きたい!」という目的を持ったインタビューではなく、「相手のお話の背景にあるメッセージや、隠れた魅力を感じ取りたい!」という人の輝きに出会うためのインタビューを目指して。。。


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三人目のインタビューでは、世界を旅ゆく画家、伊藤ノリヒコさんにお話をお聞きしました!


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伊藤ノリヒコさん

―文化学院卒

―個展「文明の光景」など

―NPO法人:AAICアジア・アフリカ国際文化交流センター理事長


伊藤ノリヒコさんの生み出す絵、お話、空気感は、そこにいる私まで一緒に旅をしているかのような感覚にひたることができ、まさに「時と場所を自由に旅する画家」という言葉がぴったりな方でした。


私は絵について全く詳しくありません。

しかし生まれて初めて、絵を見て涙が溢れてきました。


伊藤ノリヒコさんの絵は見る人に、その場の感情や歴史、人々の思いをまっすぐ届けてくれるので、一瞬にして時空を超えてその場に飛んでいきます。


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「私の知らない世界はこんなに沢山あるんだ・・・。」


臨場感に浸りながら、私はそれぞれの絵に思いを馳せていました。


そんな衝撃を受けた後、伊藤ノリヒコさん自身の口から、旅のお話や、人生についての考えをお話下さいました。


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◆これまでの人生


今年で77歳になり、喜寿を迎える伊藤ノリヒコさん。

そんな伊藤さんに、小学校時代から人生を振り返って頂きました。


「ちょうど終戦の時に小学一年生でね。貧しい成長期を過ごしましたよ。朝飯はおかゆで、昼は学校給食のコッペパンとミルク。夜は麦飯っていう感じでね。そういう体験があるからさ、貧しい人たちには、できることがあれば協力させて頂きたい。そんなお金があるわけではないけど、食うには困ってないし、絵もかけるからね。」


伊藤さんは、チャリティー個展を何度も開催し、収益をトルコで起きた地震のお見舞いや、エチオピアなどの貧しい国に寄付しています。


自分も体験したからこそ、わかる苦しみ。貧しさ。


難しい問題に、自分のできる範囲で協力を続けている伊藤さんに、人間としての美しさを感じました。



そんな伊藤さんが初めて異文化に触れたのは、終戦後の、小学1年生の時でした。


「終戦後、スコットランド兵隊が、広島の田舎町にいきなりきたんです。それまでは自分たちの周りの田舎が世界のすべてだったんですからね、それはもう驚きですよ。チェックのスカートをはいた兵隊が町を行進したり、洋画がばーんと入ってきたりね。」


「洋画はよかったですよ。アメリカの戦後教育には映画鑑賞が組み込まれていてね。自分の目で見て外国を想像できる体験でした。私は一生懸命そういうものを吸収するために、一週間に一回は映画館へ行きましたよ。」


こうして少しずつ異文化に触れて、海外への関心を高めていたそうです。


そして、それとともに伊藤さんは、自然と絵の世界にも足を踏み入れていきました。


「小学生のころから絵がすごく好きでね。写生大会ではいつも賞をもらってた。田舎だから周りに絵を描いてる人なんて誰もいなくて、ずっと我流でやってたんだ。ある時、伯父から油絵の道具をもらったことをきっかけに、油絵を始めて、その後、県美展なんかではよく入賞してたな。」


そうして少しずつ絵の才能を発揮し始めていた伊藤さん。


高校卒業後はもう少し広い世界が見たいと、上京を決意したそうです。



東京へ来てみると、あっという間に復興は進み、伊藤さんも当時流行っていたジャズの雑誌の編集者として就職が決まりました。


しかしジャズ人気の下降とともに会社を辞め、フリーのデザイナーに。 奥様のお兄さんの協力の下、デザイナー事務所も構えますが、「やはり絵の道を進みたい」と思い直して40歳の時、今の画家の道一本に絞ったそうです。


「僕にはやっぱり絵の道しかないのかなーと思った。音楽とかデザインとかやっていた時も、
絵の道から完全にそれてたわけじゃないけど、原点帰るしかないなーって思ったんだ。」



それからは、すべてを捨てて赤坂の小さな画廊で個展を始め、少しずつ売れ出した時に、銀座の松坂屋の美術部の部長さんに認められて、デパートで個展をやることが決りました。


そのチャンスを生かすために、伊藤さんは当時日本で人気だった中国の桂林を描いた日本画を、油絵で描いてみることを決意。実際に中国で取材して描いた絵は人気が出て、個展は大成功しました。


「一度目の個展にしては、結構売れたんですよね。それでだんだん勢いが出て、次はヒマラヤを描くためにネパールへ。そしてまた更に知らない世界がわかってきて、じゃあ次はインドへ行こう、と。それを毎年毎年繰り返して気がつたら、トルコ、イタリア、スペイン、リスボンと広がっていったんです。」


「それで、大きな展覧会やって区切りがついたから、次はいよいよアフリカだな、と。」



そして、アルチュールランボーという詩人に興味が湧いて向かったエチオピアで、伊藤さんはさらに新しい世界に出会ったそうです。


「エチオピアの急流地帯が、猿から人間になった最初の骨を発見した場所っていうことがわかったんだ。今は肌の色も文化も違うけど、出発はみんな同じ。そういうことを知って自分と同じモンゴロイドたちが移動した跡を自分も辿ってみたくなったんだ。」


そうしてさらに旅路を進め、マヤ文明に触れたり、インカ文明に触れてマチュピチュへ行ったりしたそうです。もはやそこまで行かざるを得なくなった、と言って笑う伊藤さんは、ワクワクに満ちた少年のような顔をしていました。


これからはもう旅をするつもりはない、と仰っていて、今はこれまでに見てきた世界を描くことに集中しているそうです。



◆画家という生き方について、伊藤さんの思うこと


「私はね、悠久なる時間を楽しみながら、一つのストーリー性を持って絵を描いてるわけですよ。そうしないとつまんないからね。でも決して最初からそうだったわけじゃないんだ。若い時は新しい流派とか流行りのイラストをやったりもしてた。だけど結局最後は、そういうものは飽きちゃう。」


「色んな出会いを経て、やっぱり絵を始めた頃の原点に帰ってくる。図柄だけじゃ面白くない。楽しいものでないとやっぱり続かない。いやいや金になるからやるんじゃなくて、自分にとって楽しいもんじゃなきゃね。」


自分の心の声に従って、時と場所を自由に旅しながら絵を描く伊藤さん。


絵や言葉に現れるその世界観は、誰にも真似することができない独特の輝きを放っていました。



その生涯を絵の世界ですごしてきたと言っても過言ではない伊藤さんに、評価を得られなければ生活できない芸術世界の難しさをぶつけてみました。


「絵の道も定まってるものじゃないからね。これでいいってことはないんです。私は見る人のことまでは考えてない。自分が楽しけりゃいい。それがみんなに喜んでもらえればいいくらいにしか考えてない。ただ、100年残る一つ一つの絵を全身全霊かけて描く。それだけですよ。」



自分の心が望む絵を描くことに、すべてをかけている伊藤さんだからこそ、あれほど強いメッセージを持った、人を感動させる絵を描けるんだろうな、ということを実感しました。


これからの目標について尋ねると、


「とにかく未完の絵をすべて完成させて、必ず訪れたすべての国の絵を描きたい。今も倉庫に100枚以上の絵があるけど、残った絵が必要とされるかどうかまでは考えない。」


と仰っていました。



そのアーティストとしての潔さ、作品にかける思いに胸が熱くなりました。


伊藤さんのお話は、まるで私も一緒に旅に行ったかのように感じられる、臨場感あふれるものでした。

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「世界を知る」ということの魅力を余すことなく伝えて下さる絵や、お言葉に感動の連続で、「私も世界を見なければ!見たい!」とワクワク胸の高まりを感じています。


様々な経験を経てきたことによる心の広さや暖かさ、豊かな感性に、物事の本質を見抜く鋭い眼差し。すべてがとても刺激的で、たくさんの学びを得ることができました。


心から感動する絵がたくさん飾ってある「伊藤ノリヒコ・ミュ―ジアム」に、ぜひ一度足を運んでみて下さい。


絵はもちろんのこと、伊藤夫妻の人柄や素敵なおもてなしに、自分の世界が大きく広がること間違いなしです。


伊藤ノリヒコさんのHP↓

http://norihikoito.com/