こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

 

 

みんなが 

 

「自分の頭の中だけの劇場がある」

 

ってことを認識していれば、

コミュニケーションロスも減って、

 

建設的な人間関係が構築できるのかな、って

思いながら書いています。

 

 

 

先日、グループセッションで

夫婦関係についてのご相談がありました。

 

「(良好な関係を築くためにも)

1人になったり自由になる時空間を持つことが

大切だと思っているのに、旦那さんはそれを

理解してくれず、自由にさせてくれない。」

 

と思っている女性と、

 

「奥さんが自由になりたいのは

自分から離れたいからだ。」

 

と思っている旦那さん。

 

 

 

コミュニケーションロスの大きな要因の1つは

 

『みんな、自分の頭の中だけの劇場があって、

その劇場のストーリーこそが「真実」だと思い、

そのストーリーで自己完結している』

 

というのと、

 

もう1つは、

 

『互いにヴィジョンやゴールの共有が

できていない』

 

というものかなと思います。

 

 

 

案外「自分の頭の中だけの劇場」のストーリーで

自己完結しちゃってる場合が多いんですよね。

 

自分の頭の中劇場のストーリーで

創り上げたキャスティングに、

旦那さん、奥さん、子ども、友達、

両親、仲間、ビジネスパートナーを当てはめる。

 

で、かなりの確率で自分の頭の中だけのことなので、

相手からしたら、

別の角度から客観的にみたら、

 

全然違うwwww

 

 

 

 

もし、

この先の未来も、

目の前の相手と時空間を共有したい、

関係性を築いてゆきたい、と思うなら、

 

自分と、

そして相手の

 

頭の中の劇場がどんなストーリーなのか?

互いに1つのテーブルの上に挙げてみると

いいのかもしれません。

 

どれだけ違うかを互いに認識し合う、ということをゴールに、

互いに1つのテーブルの上に挙げてみる。

違いを認識することがゴールだから、

良いとか悪いとかジャッジせずに。

 

するとですね、

違う、ということにまぁまぁ笑えるものです。

 

 

 

頭の中だけの劇場って言わば「思い込み」です。

思い込みを手放しましょう、とか

書き換えましょうとか、

自己啓発の世界ではよく言われることだけど、

 

互いの頭の中の劇場のストーリーを

テーブルの上にあげてゆくだけで、

 

「自分の頭の中が全てではなかったんだな」

 

て気づけるし、その結果、 

 

「そのストーリーじゃなくても良いかもな」

 

ってなったら、「思い込みを」ギュギュッと握りしめていた

手元が緩みます。

 

 

 

 

これだけ実践するだけでも

誤解し合ったまますれ違う、というロスが

かなり減るんじゃないかな、って

思います。

 

次回は、

 

ヴィジョン、ゴールを共有する

 

ということをお伝えしたいと思います。

先日の未来リーディングヒプノ講座での1コマ。

 

 

 

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こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

  

 

前回「選択の自由」について、

 

『お金、時間、働き方などの自由以前に

「選択の自由」が肝だよ〜』的な内容で

お伝えさせて頂きました。

 

【「選択の自由」について。①】

 

今回は、この「選択の自由」を

さらに掘り下げようと思います。

 

 

 

前回のブログ内でもお伝えした通り、

わたしたちは、無意識でいると、

 

過去の記憶を頼りに、コピペ的に

自動採用してしまい、

 

真には

「自分の意思で選択していない」

ということが多々あります。

 

過去がどうだったか?ということは関係なく、

毎瞬毎瞬、真新しい選択肢を並べて、

 

その中から「自分の意思で選択する」

ということが「選択の自由」であり、

 

「精神的自立」とイコールだろうな

と思います。

 

 

 

「自由」と「責任」は表裏です。

責任の伴わない「自由」はあり得ないわけで、

 

「選択の自由」とは同時に

「結果について責任を取る」ということでもあります。

 

そういう意味で、

「精神的自立」=「選択の自由=責任を取る」

 

ということであり

「我が人生のイニシアチブは自分がとる」

 

ということなんだと思います。

  

 

 

「我が人生のイニシアチブは自分がとる」

 

というのは「選択の自由」と

「選択結果に責任をとります」

 

ということなんですが、同時に

 

自分以外の他人の選択肢は

他人の意思に委ねられることでもあるのです。

 

 

 

こういうと

 

「そんなことはわかってる」

 

と反応する人が多いんじゃ無いかと思いますが、

多くは、頭ではわかっていても、

 

実際にはそれを実践できていないんです。

 

 

 

 

自分の意思で選択している(と思い込んでる)ようで、

コピペ的に自動採用していたり、

 

他人からの選択肢を無思考に採用し、

その結果、

悪い結果であれば他人のせいにする、

 

なんてことはないでしょうか?

 

 

 

前回のブログでもお伝えした通り、 

 

真に「選択の自由」を自分に与えていれば、

我が人生のイニシアチブは自分がとれているので、

 

同時に、他人のイニシアチブは

他人に委ねられるのです。

 

 

 

例えば、わたしは講座の中でも

度々みんなに共有しますが、

 

「わたしが言ってるからといって、

全てを無思考に鵜呑みにしないでね。

 

わたしはみんなにいろんなことを

共有しているけれど、

 

わたしの考えや哲学を、

テーブルの上に一旦置いてるようなもの。

 

だから、そのテーブルの上から

自分の意思で選択するのも自由だし、

選択しないも自由なの。」

 

と言ってるし、

 

我が子に対しても全く同じスタンスです。

 

 

 

逆に、相手がどんな権威性の高い存在であっても

わたしはわたしのイニシアチブで

選択するもしないも決めるんですね。

 

 

 

誰かによって選択肢を押し付けられ

それを採用したり、

 

過去記憶をコピペ→自動採用したり、

 

意識して選択できてない場合って

エネルギーが奪われている状態だから、

 

どこかでエネルギーを奪い返そうとして、

結果、誰かに選択肢を押し付けたり、

別のカタチだと「期待」というもので

相手に対して在り方を押し付けます。

 

 

 

なので、先ず 

 

①『「選択の自由」を自分に与える』と決める 

 

②誰かからの提案や選択肢も一旦はテーブルの上に挙げる

 自分の意思において選択するしないを選ぶ

 その他の選択肢を自ら増やすも良し

 

③自分の意思で選択した結果は

 全て自分が受け入れる 

 

③誰かへの提案やアドバイスも、一旦はテーブルの上に挙げて

 「あなたの意思で選んでね」というスタンスをとる

 

②〜④を繰り返し

 

こんな感じです。

 

 

 

自分の意思で選択できて
結果を自分で引き受けることができる。
 
これこそ真にゆたかでハッピーではないでしょうか。 


ぜひ、意識して実践してみてください^ ^

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こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

  

 

新年初めての更新だから

「あけましておめでとうございます」

ですね。笑

  

 

 

さてさて、

巷では、「自由」というものについて語られたり、

 

「自由になりたい」

と願う人も多いのかな、と思います。

 

わたしも自由についてよく講座や

プログラムの中で語ることが多いですし、

 

昔は「自由になりたい」と

思ったものでした。

 

 

 

いまは、自由とは得るものではなく、

もう既に在る、というか、

わたしたちは自由なんだ、ということに

気づくことなんじゃないかな、って

思っています。

 

いろんな考え方、捉え方があっていいと思うし、

あくまでも、わたし藤原理恵の捉えなので、

程よい距離感でお付き合いくださいませ^ ^

 

 

 

「自由」と聞けば

 

「時間の自由」

「お金の自由」

「働き方の自由」

 

などがすぐピンと思いつくでしょうか?

 

以前のわたしなら、上記のように思いました。

自由になるために勉強もしましたね。笑

 

けれど、これら上記の自由の前に、

大事な自由があることに気づいたんです。

 

それが「選択の自由」です。

 

時間やお金、働き方が自由になっても

選択を自由にできないと、いつまでも精神的に

不自由なままです。

  

 

 

日々、わたしたちは選択の連続です。

だから、当たり前だけど、

 

「自分の意思で選択してる」

 

って思ってると思うんですよね。 

 

けど、選択肢が初めから1つしかなくて、

しかも、その選択肢は、いつかの誰かわからない

自分以外の他人から刷り込まれたものを

自動採用しちゃってるとしたら、、、?

 

 

 

無意識でいると、

わたしたちは過去からの連続を生きがち。

 

だから、何かを選択するときも、

過去からの記憶のコピペを再コピペしてしまう。

 

それが良いとか悪いとかではなくて。

 

コピペも良いけれど、

それを一旦意識して、コピペ選択肢以外に

他の選択肢があるとしたら、、、?

って、真新しい選択肢をテーブルの上に挙げて、

 

「さて、自分のために、どれを選びたいかな?」

 

っていうチョイスができる、というのが

 

【選択の自由】

 

です。

 

 

 

で、「自分のために」は、実はわたしたち、

子どもの頃はそれを素でやってたんですね。

 

理性のある大人の【選択の自由】は、

 

『自分や、自分を取り巻く大切な存在のために

何を選ぶことがベストか?』

 

というものなのかなと。

 

大事なのは自分を不在にしないこと。

自分を不在に自分を犠牲にすることは

全く美しくもなんともありません。 

 

「自分」の人生の玉座に

自分を座らせることは大前提です。

 

 

 

意識して、真に自分の意思で選択ができたら、

それが如何に自由であるかに気づくことでしょう。

 

選択の自由に気づき実践できたら、

他人の選択の自由を奪うこともありませんし、

他人に選択を押し付けることもありません。

 

逆に言えば、他人に何かを押し付けたり

期待し過ぎたりしている自分に気づいたら、

 

まだまだ自分が選択において自由ではない、

ということ。

 

 

 

これから、もっともっと

真に自分を自由にしていかれるあなたへ

 

ほんの少しでもお役に立てたなら幸いです。

 

次回は「選択の自由」をさらに掘り下げて

いきたいと思います。

 

*シェア歓迎です。

 

 

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こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

 

 

潜在意識や自己啓発、

スピリチュアル系の発信をしている人たちの中には

「エゴ(自我)」がネガティブなものとして

手放されるべきものだったり

ときには否定的なものとして扱われることがある。

 

わたし自身、エゴから自己を解き、

相対→統合してゆくことを良しとして

情報発信をしているわけだけれど、

 

エゴそのものを否定することは 

 

「人間やめなきゃねwww」

 

くらい苦行なことだと思う。

 

 

 

なので、エゴを否定しないで、むしろ

それを認めて受け入れることで、

自分の内側の相対が統合され

調和されてゆくのだと思います。

 

 

 

他人さまのエゴに対して

 

「あの人、バリバリエゴやん!!」

 

とかって反応してる人だって、

その反応こそ自分のエゴだってことを

わかってるのかな?

(あ、自戒も込めてwww)

 

 

 

例えば、日本ではまだまだ 

 

「お金儲け」

「お金を稼ぐ」

 

というワードを聞いただけで

「嫌悪」を示す人たちがたくさんいる。

 

先日、イタリアに行ったとき、

何百年経っても色あせない名画や

歴史的建造物などを目の当たりにして、

 

レオナルドダヴィンチ、ミケランジェロ

ドナテッロ、ラファエロ、ジョットなど

 

プレイヤーだけでなく、彼らの才能を

支援してきたメディチなどのパトロンなしでは

 

わたしたちが彼らの作品を見ることはなかったはず。

 

 

 

芸術を愛する、というのは

そういう歴史的背景をも受け入れる、

ということ。

 

プレイヤーは良いけど

パトロンはダメ

 

なんて相対があれば

 

自分をこの世に生み出してくれた

両親や先祖の存在を否定するくらいの相対で

 

完全に自己不一致です。

 

 

 

何が言いたいか、というと、

外側の世界に対する相対は

内側、自己の相対を強めるのです。

 

つまり、自己不一致が強まる、ということ。

 

それが良い悪い、ということではなく、

他人に対する相対的反応は、

 

自分の内側にある善悪や正邪に対する

価値観を点検するきっかけになります。

 

例えば、 

 

「お金儲け」

「お金を稼ぐ」

 

ということに嫌悪があれば

「嫌悪」は「愛好」と表裏なので、

関心がある、ということです。

 

嫌悪があるから不一致なのです。

 

だから、自分もホントは関心があるんだ、

ってことを認めることができれば、

 

お金儲けという役割がある人と手を組んで、

価値の循環を図ることもできるし

 

自分が儲ける、ってこともできる。

 

 

 

他人さまのエゴに対する反応で

自分の相対に気づくことができれば、

 

自己一致させることもできる、

ということですね。

 

先日、京都御所から見た満月。

 

 

 

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こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

 

 

「信じる」っていう言葉やその状態って、

その人の現在地によって

全く次元違いなものだなぁ〜と思っていて、

 

じゃあ、その違いってなんだろう???

 

って考えたら、

わたしなりのロジックでは

 

自分次第=自分軸

相手次第=他人軸

 

なのかな〜と思います。

 

 

 

「わたし、理恵さんのこと

 信じてますからぁ〜〜〜!」

 

って言われたとき、

 

(ぉ、重い、、、www)

 

って感じたことがあります。笑

怨念に近かったです!!

(「怨念」はわたしの中の流行り言葉w)

 

今にして思えば、それこそ

 

自分次第=自分軸ではなく

相手次第=他人軸だったんだろうと。

 

つまり、

 

「わたし、理恵さんのこと

 信じてますからぁ〜〜〜!」

 

を翻訳すると、こんな感じです。

 

「わたし、理恵さんのこと

 わたしが思った通りの、

 期待した通りの人じゃなかったら

 信じられませんから〜〜〜!

 それはわたしのせいではなく

 理恵さんのせいですからね!!」

 

ですね笑

 

ま、「知らんがなw」ですけどね( ・∇・)

 

「信じる」が相手次第=他人軸の人に限って

信じられなくなる時も全て相手次第=他人軸です。

 

なのでおきまりのセリフは

 

「わたし、信じてたのに!!!

 あなたに裏切られたわ!!!」

 

です。笑

 

 

 

相手次第=他人軸の「信じる」って

自分が期待している通りの、

 

もっと言えば、自分が都合よく作り出した

錯覚とでも言いましょう。

 

 

 

一方、自分次第=自分軸の場合、

 

「(相手を)信じる」ということも

 

『相手を信じてる自分の感性を信じる』

 

みたいなニュアンスかなと思います。

 

 

 

なので、もし、信じられないようなことがあっても

自分の感性の感度を点検したり、

自分が相手に対して

「○○な人」ってラベリングしてたんじゃないか、

って自問してみたり。

 

 

 

結局は、どれだけ自分自身に対して

信頼を寄せられているか?

 

ってことなのかなって思いますね。

 

そして、「信じる」ってことは

不信の先からも得られるもの。

 

筋肉に負荷を与えたら

鍛えられるて筋力がつくのとおんなじで、

 

「信じる力」も

育まれ、鍛えられるんだと思う。

 

だから、安心して、いろんな体験をしたら

いいんじゃないかなぁって思います。

 

Def Tech

Cloud9 2019 tour @Tokyo

 

最高にカッコよかった(๑>◡<๑)

 

 

 

 

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こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

  

 

昨日、Facebookで

 

「わたしは高尚な人間じゃないから

きれいごとでは動けない」

 

みたいな記事を書きました。

  

 

 

「おもしろい」ことが大好きで

そう感じられる体験に対して価値を感じてるので、

 

「環境浄化」

「世界平和」

 

っていうのも、ただただキレイごとだと

ピンとこないんですね。

 

もちろん、環境はキレイな方がいいし

世界は平和な方がいいに決まってる。

 

わたし自身は、自分の内側を整えたり、

自分の身を置く環境(空間、人間関係も)を

整えたりはしてるけれど、

 

わたしのことだけでなく

わたしの子どもや、大切な存在のために

より良い未来への種まきとして

恩恵を与えてくれている自然に対して

 

『いま自分にできること=やりたいこと』

 

と考えたとき、

 

「おもしろい」を紐づけた方が

断然やりたいレベルは上がるし

スピードも上がる。

 

だから、結果的には

環境浄化も、わたしにとって

「おもしろいこと」なのです。笑

 

『おもしろいことをし続けてたら

地球がキレイになってきた』

 

みたいな感じ。

なんかよくないですか?

(自己満足ですw)

 

 

 

職業柄、

よく人に、やりたいことや

叶えたい理想を聞くことがあるんだけれど、

 

よくよく掘り下げてみると

 

ホントにやりたいことではなく、

 

『抽象的な概念』

『世間一般的に聞こえの良い「良いこと」』

『正義感』

 

だったりで、つまり

 

コアの自分の「want to」じゃなくて

いつの間にか無意識に刷り込まれたであろう

「have to」なのですね。

 

 

 

「have to」=「証明」

 

がしたいわけです。

 

 

 

『わたしは正しい』

『わたしは善人』

 

 

 

誤解のないように言うと

これが「アカン!!!」っていうわけじゃ

ありません。

 

ホントにやりたいことに気づく

大切なプロセスだとも思う。

 

 

 

「証明」しようとすると

そのプロセスで、相対は必ず生まれる。

 

正しい、善い、が前提だと

 

それをしていない人を攻撃したくなったり

ジャッジしたくなる。

 

 

 

だから、そんな気持ちになったら

 

『自分は証明しようとしていた』

 

ってことに気づけるよね^ ^

 

 

 

だから、なんでもアリなんだけど。笑

大好きなイタリア・ローマ。

 

 

 

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こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

 

 

自分や人生を

 

「変えたい!」

「変わりたい!」

 

って、生きてたら誰しも思うもの。

そう思えるのって、前程として

 

「自分を諦めていない」

「人生を諦めていない」

 

から「変えたい」や「変わりたい」は思うものです。

 

そうです。

 

いま、このブログを見ている人で

 

「変えたい!」

「変わりたい!」

 

って思っている人は

自分や人生に諦めてないんです^ ^

 

 

 

諦めないで!

(こんなCMがあった気がするwww)

 

 

 

わたしの親友の秦由佳さんが

つい先日

 

【変化、変わる、なんだ?】

 

って内容でメルマガ書いてました。

 

こっそり秦さんのメルマガ楽しみにしてる私です。

↓ ↓ ↓

秦由佳メルマガはこちら

 

 

 

さてさて

 

「変わりたい」

「変えたい」

 

と思うと、起こりがちなのは、

 

「人の変化はわかるけど

自分の変化はわからない。」

 

とか

 

「自分は変化してないんじゃないか」

 

っていう気持ちになること。

 

 

 

前程として、

人は変わるものなのです。

 

見えないレベルですけれど

細胞も新陳代謝しているし、

1秒前の自分と今の自分は

同じ自分ではありません。

 

 

 

「理恵さんはこの数年でめちゃくちゃ

変わりましたよねー!!」

 

って言われますが、

わたしの場合は、2年おきのペースで

住むところを変えているので、

 

視覚から入って来る情報も

出会う人も、それまでのご縁も、

 

ガラリと変わります。

 

だから、ダイナミックに変えたい人は

環境変えるのが一番ですよ^ ^

 

 

 

ただ

「変わる」

「変える」

 

って具体的にどうなることなの?

って問うならば、

 

「コアの自分に戻ってゆく」

「本質の自分を思い出してゆく」

 

ってことなのかなって思います。

 

コアの自己に

本質の自己に

 

長年かけて地層のように、薄皮のように

被さってきた、概念や思い込み、

今の自分にはもう不要な信念を

 

1枚1枚剥がしてゆくようなことです。

 

今までの自分が自分にとっては当たり前すぎて、

自覚できる自分はほんの数パーセント、

無自覚な自分が大半なんです。

 

そして、

「変わる」

というのも無自覚なうちに起こることだから、

わからないんです。

 

無自覚なうちに変化は起こり、

それが当たり前になる。

 

だから気付けないんです。

自分では。苦笑

 

 

 

なので、

 

「自分の変化がわからない」

 

ことに嘆くのは無意味です!笑

だってわからない、っていうのが本当ですから。

 

 

 

で、ですけど、

 

「どう変わったか」

 

わかる必要あるのかな?って

思うんです。

 

 

 

こういう心配も

人との「比較」からと、

あと、変化することへの期待値の高さからかも

しれませんが、

 

どう変わったか?

 

って人生で重要じゃありません。

 

 

 

だって、重要なのは、

結論

「あ〜〜〜幸せ^ ^」

 

って感じれることだから。

 

 

 

なので

人生や自分を

「変えたい!」

「変わりたい!」

 

と思ってて、

 

もし、

「自分の変化がわからない」とか

「○○さんは変化してるのに、、、」とか

思うときは、

 

それこそ、

「自分」という中心から離れているとき。

 

他人と比べたり

変わる「べき」に寄っているとき。

 

 

 

なので、

いい意味で、変化はわからないものなんだ、

 

って諦めれられたらいいかもしれません。

 

 

 

けれど、

薄皮も1枚1枚剥がれてゆくと

数ヶ月、数年経ったときに、

 

わかってきます。

 

 

 

そのときまでの

お楽しみに^ ^

イタリア・コモ湖の

友人所有のお城から見た景色。

 

 

 

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こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

 

振り返るとこの数年間、

ビジネスやイベントで

いろんな方々とコラボさせて頂いたり、

応援という形で関わらせて頂きました。

 

ビジネスとかマーケティングに疎いわたしですが、

こんなポンコツなわたしでも、

関わらせていただく方々があまりに凄い方ばかりで、

 

おかげさまで

ポンコツなりに成長させて頂けてるのかな、

って思います。

 

 

 

ありがたいです(๑>◡<๑) 

 

 

 

今まで、コラボさせて頂く中で、

自分は一体何を基準にコラボさせて頂くことを

決め手にしてきただろう?って考えると、

 

「面白そう!!」

っていうのが一番ですが、

 

じゃあ、何を基準に「面白そう!!」って

感じるのか?と言えば、多分、一言で言うと

 

『ベネフィット』

 

なのかなと思います。

 

 

 

ベネフィットって

商品やサービスによって得る

利益、恩恵などのこと。

 

提供するものによって

参加者や購入者が何を受け取り、

どうなってゆかれるか?

そのものとの出会いによって

参加者、購入者の人生に

どんな彩りを添えるのか?

 

そういう「ヴィジョン=世界観」が描け、

その世界観に面白さや心地よさを感じたとき、

つまり、臨場感を得たとき、

 

わたしにとってビンゴなんですね。

 

  

 

先日、初のハワイ島リトリートを

主催させて頂きました。

 

ハワイ島のカロコの森を

伐採の手から護る日本人・菅原真樹さんによる

2泊3日のリトリートを

この5月に初体験したわたしは、

 

「丁寧に生きる」

 

ということと

人生の中で初めて向き合った気がします。

 

そこで得たプライスレスな気づきを

もっと多くの人にも得て頂きたい、

 

と思いました。

 

菅原真樹オフィシャルWebサイト

 

菅原真樹さんとのコラボのリトリートは

運営メンバー、参加者合わせて20人ほど。

 

集めた、というよりは

集まった、という感じです。

 

  

 

真樹さんから頼まれたわけでもなく

主催させて頂きたい、と思いました。

 

真樹さんと関わり

ハワイ島カロコの森を訪れた人は

必ず、大切な何かに気づき、

 

「本質の自分へ還る」

 

というプロセスに置かれるのですね。

 

これは決してお金では買えないものです。

 

 

 

リトリートでは

参加者全員が想像以上の体験、気付きの連続で、

 

「次も来たい!」

「大切な人に伝えたい!」

 

という声をたくさん頂きました。

 

 

 

おかげさまで

また次回も開催することになりました。

 

 

 

さて、

「決してコラボすることはないな」って思うのは

 

『ベネフィットが全く見えない』

 

ってものです。

 

 

 

商品がどんなものか

どんなプログラムかに焦点があたっていて

 

主役が参加者や購入者じゃなく

 

「こんな凄い商品なんだよ!ドォ〜〜〜ん!!」

「こんな凄いプログラムだよ!ドォ〜〜〜〜ん!!」

 

っていうものに対しては正直、

 

「。。。。。だから???」

 

ってなってしまいます。笑

 

 

 

簡単に言えば、

それって「自慰」なんですよね笑

 

「お一人でどうぞw」

 

って思ってしまいます。

 

 

 

商品やプログラムに罪はないので、

やはり、それを扱う人の在り方でしょうか。

 

 

 

これからも、

圧倒的な臨場感を想像させるような

面白いことや素晴らしい人たちを

ご紹介したり、大切な人たちにつなぎたいな、と

思います(๑>◡<๑)

京都で開催したヒプノセラピスト養成講座。

13人集合笑

  

 

 

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人生を真にゆたかに楽しむための

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こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

 

先日、

【「Being」を大切にすると「期待」という概念から解かれる。】

というブログを書きました。

 

今回はその続きです。

  

 

 

「どう在りたいか?」

を大切にすると、

人の期待を生きようとしたり、

人への期待が良い意味でなくなるのですが、

 

そうは言っても

「期待」という概念から解かれるというのは

どういうことなのかイマイチぴんと来ないですよねw

 

 

 

「期待」って

人さまの期待に応じようとするときは

人さまのコントロール下に自分をおくし、

 

人に期待するときは

自分のコントロール下に人を置く、

 

ってことでもあるんですね。

 

 

 

例えば、

自分が持ってる「球」があるとします。

 

人さまの期待に応じようとし

人に期待するとき、というのは、

 

「どんな球を投げたら相手は受け取ってくれるだろう?」

「どう受け取ってくれるだろう?」

「球を受け取ったらどう返してくれるだろう?」

 

にフォーカスがいきます。

 

すると

そもそも、自分がその球をどうしたいか?

は置き去りになってしまいます。

 

だから見返りを求めるのですね。

 

それが悪い、ということではなくて、

「期待」寄りに生きると

 

自分を不在にしてしまうので苦しいのです。

 

 

 

なので、わたしの持論ですが

  

 

 

『投げた球は投げっ放し論』

なのです。

 

 

 

自分が投げたいときに投げる。

投げたいように投げる。

投げたくないときは球は放置。

 

けれど、投げた球は

自分の手から離れた瞬間自分の球じゃなくなる。

 

故に、相手がその球をどうしようと構わない。

相手が受け取ろうが受け取らなかろうが構わない。

 

どう受け取ろうが構わない。

返そうが返さなかろうが構わない。

 

投げたいから投げるのであって

応じてくれるために投げるのではない。

 

 

 

これが

『投げた球は投げっ放し論』です。笑

 

 

 

娘に対してもこの持論でいきます。

 

例えば、たまに親らしいことを娘に言うとき、

 

「ママ、今から親っぽいこと言うけど、

これはママが言いたいから言うだけ。

 

なので、

受け入れようが受け入れまいが良いからね。

どうしたいか?は自分で決めるでしょ?」

 

  

 

こんな枕詞で話します。笑

 

 

 

けれど、そのとき、

娘はしっかり聞いています。

 

その上で、

わたしが投げた球をどうしたいか?

 

彼女は自分の選択をします。

 

そこに委ねる。

そこに預ける。

 

 

 

『投げた球は投げっ放し論』

 

で生きるようになってから、

親子の信頼関係も別次元になったし、

 

おかげさまで、

以前にも増して、いろんなことを

忘れっぽくなりましたwww

 

いろんなことが忘却の彼方w

  

 

 

けれど、それでとても幸せなので

なんの問題もありません。

 

わたしが何気なく言ったことも

聞いた相手にとって大切なことなら、

その人が覚えていてくれるし、

 

わたしが覚えておく必要もありません。

 

 

 

『投げた球は投げっ放し論』。

 

皆様の人生の中でも少しお役にたてるようなら

幸いです^ ^

 

ぜひ実験してみてくださいね。

京都の自宅バルコニーから見える空がいつもギフト♡

 

こんにちは^ ^

藤原理恵です。

 

 

わたしたちは無意識のうちに

誰かから与えられた枠や役割に応えようとする。

 

他人の期待に応えようとするんですね。

 

それが愛や評価を獲得する術だから、

『自分がどうあるか?=Being』よりも

『どうするべきか?=Doing』寄りになってしまう。

 

 

Doing寄りになってしまうとバランスを取ろうとして

結局は人に対して期待をしてしまう。

 

期待=コントロールでもあるので、

期待通りにならなくて

結果ストレスになります。

 

 

 

「どうするべきか?=Doing」が

悪いということではなくて、

 

やはり「バランス」なのかな〜と思います。

 

 

 

『自分はどう在りたいか?=Being』寄りでいられると

概念や役割に縛られることなく

「自分はどう在りたいか?」を自問できます。

 

そこに「自由」がありますよね。

 

すると、他人に対しても

いい意味で期待しなくなります。

 

  

 

わたしは、

Being寄りに生きるようになってから、

人に対して期待がなくなり

人の期待を生きようとしなくなって

期待の代わりに「希望」を持てるようになりました。

 

「○○で在りたい」

「○○というヴィジョン=世界を実現したい」と。

 

期待している間は

常に期待している事柄に執着して、

結局叶わないことも多かったけれど、

 

希望には執着がないので

結果叶うのです。

 

 

 

100で言うと

51:49くらいの割合でいいので、

意識的に「Being」に寄ると

 

「期待」「コントロール」という概念から

自分を解放することが可能になります。

 

 

 

明日以降で

「期待しないとはどういうことか?」

 

具体的な内容をお伝えしようと思います。