ウィーン④ホーフブルグ宮殿 宮廷分岐コレクション | T-Life アカデミー 校長   加藤 淳子ブログ
2018-11-23 00:09:48

ウィーン④ホーフブルグ宮殿 宮廷分岐コレクション

テーマ:ブログ

かつてのハプスブルク家の居城であり、ハプスブルク家の歴史と栄華が偲ばれる。

旧王宮と新王宮からなり、旧王宮には皇帝の部屋・シシィ博物館・宮廷銀器コレクション・

宝物館・スペイン乗馬学校・王宮礼拝堂・宝物館・国立図書館・スイス宮など、新王宮には

5つの博物館などがあります。

 

 ハプスブルク王朝の終焉とともに、宮廷銀器、食卓調度保管室の所蔵品はオーストリア共和国の財産となりました。

 現在、皇帝家の日常生活に用いられた豪華な品々は、宮廷銀器、食卓調度コレクションと

して一般公開されており、

高価なグラス類、銀器、磁器、などに加え、テーブルクロス類や、厨房で用いられていた調理用品の数々も展示されています。

 また、王宮銀器コレクションでは、豪華な祝宴の模様、食文化、ディナーのデコレーションなど、当時の宮廷生活の多彩な側面も見ることができます。

 展示品のハイライトは、ハプスブルク・セットと呼ばれる磁器セット、全長30mに及ぶ

センターピース、ヘレンド、セーブル、

ミントンなどの磁器セット、ウィーン宮廷の銀器シリーズ、伊万里コレクション、

名高いグラン・フェルメイユ、

ウィーン会議に用いられたセットなどです。

 さらに、エリザベート皇后の食卓セット、マリア=テレジア女帝の食卓用品、

歴代皇帝の愛用品などの展示があります。

まさにテーブルウエア好きにはたまらないコレクションの数々

1日では回りきれませんあせる

 

スペイン乗馬学校の皆様

外でお散歩🐎

 

宝石赤1572年に創立された世界で最も古い乗馬学校で、学校名である「スペイン」の名称は

脚力が強靭なスペイン種の白馬にちなんだものです。

 高度なテクニックを誇る乗馬学校として、その名を世にとどろかせたのは、

マリア=テレジアの父、カール6世(在位1711~40)時代で、当時最も高度な技術とされる

スペイン式馬術を取り入れたのがきっかけです。

 

宝石赤宮廷銀器・食卓調度コレクションの最初の部屋には、王朝時代に製作された樫の木の

ショーケースが並んでいます。

 

その中には、当時のウィーン、ハンガリー、ボヘ ミアの磁器工房で生産されたセットの

一部や、個々の食器、更にボヘミアで生産 された白地に金模様の衛生用磁器などが見られます。 注目に値するのは、様々なカット・パターンによる美しいグラス・シリーズで、

これはウィーンの老舗ロープマイヤーで生産されたものです。グリーンのグラスは、ライン

地方で生産されたワインに用いられました。 部屋の中央にあるショーケースには、皇帝家の

銀製ナイフ・フォーク・セットが見 られます。これらのセットは、現在も国賓を迎える公式

ディナーに用いられていま す。最初の大規模なシリーズは、1837年以前にシュテファン・

マイヤーホーファー が生産したものです。その後は、後継会社である「マイヤーホーファー

とクリンコ シュ」商会に注文が出され、最終的にはヨーゼフ=カール・クリンコシュが、

皇帝 家ご用達の業者となりました。 興味深いのはナイフ・フォーク側面の装飾で、

バイオリンのような曲線と流麗なラ インは、今日も愛されています。

 

 

 

宝石赤1718年、ハプスブルク王朝の栄華のウィーンに誕生した

「ウィーン磁器工房 アウガルテン」。
アウガルテンの白磁は、繊細かつ優雅なフォルムに魅せられますラブラブ

 

こちらのマリアテレジアの絵柄は、エレガントな花柄を18世紀に流行したハンティングの

シンボルであった

もみの木の色だけで彩色したシンプルで重厚な作品です。

当時女帝マリアテレジアの狩猟の城であったアウガルテン宮殿のディナーセットとして

贈られたものであり、 

アウガルテンの大いなる支援者であった女帝マリアテレジアに敬意を表してこの名前が

つけられたもので、

今日においても世界的に愛されています。

細部まで精巧を極めた細工などにより世界中で高い評価を得ています。

その器が、食器棚にびっしりと並べられていて、クギ付けです!!

 

 

宝石赤1738年フランスのセーブルに設立された王立磁器工房の傑作

 

緑のリボンが鮮やかなディナー・セットは、フランス王ルイ15世から、マリア=テレジア女帝へ贈呈されたもの

これは大きな犠牲者を出したオーストリア継承戦争以来の敵対関係を克服し、新たな友好関係を築くための第一歩だったのです。

波打って交差する緑のリボンが、セットの主な装飾で、そのパターンはバロック時代の金細工に遡るものです。

リボンの合間には、画家フランソワ・ブーシェの作品に基づく、繊細なロココ風シーンが描

かれています。
これらは、愛、ポエジー、音楽、絵画、彫刻などを象徴し、あるいはホーマーからモリエールに至る世界文学をテーマとしています。

 

こちらが、グラスを冷やす容器です。

 

宝石赤銀器・食卓調度コレクションで、疑いも無く最も重要な展示品に数えられるのが、グラン・フェルメイユです。

フランスにおける金細工の最高峰を示すこのセットは、当初40点の食器からなるものでした。

これに1850年頃ウィーンの銀工房で追加品が制作され、食器は140点となりました。

今日、この豪華なセットは4500点の食器からなり、重さも1トンを越えるものです

。全て銀器に熱金メッキを施したもので、この技法がフランス語で「フェルメイユ」と呼ばれています。

このセットにまつわる物語も興味深いもので、ナポレオンの出世から失脚に至る運命と密接に結び付いています。

1808年に注文された豪華なセットの注文主は、ナポレオンの義理の息子ユジーヌ・ド・ボーアルネと考えられています。

制作を担当したのは、パリのマルタン=ギョーム・ビエネとミラノの金細工師エウジェニオ・ブルーサです。

セットは、1805年から1814年までイタリアの副王であったボーアルネが、ミラノの宮廷で

用いるため注文したのです。

 完成したセットはミラノに届けられましたが、ナポレオンの失脚後、ロンバルジア=ベネト王国はオーストリア領となりました。ウィーン会議での取り決めによりフランツ皇帝は、

ボーアルネからセットを買い取らねばなりませんでした。

1816年、皇帝はカロリーネ=アウグステとの4回目の結婚に際し、セットをウィーンに取り寄せました。このとき、食器に刻まれたイタリア王ナポレオンの紋章が、フランツI世の紋章と取り替えられました。 

 

宝石赤

「ホーフフォルム」と呼ばれる歴史的な食器シリーズは、ウィーンの磁器工房で生産され、

王朝が消滅してからも2000年まで、

公式の国家的ディナーに用いられました。かつて宮廷の食卓で料理に用いられた銀製の皿は、

共和国では単なる受け皿となりました。”

この芸術的なナプキンのたたみ方は、皇帝の臨席するディナーにのみ用いられ、宮廷の極秘として、代々選ばれた担当官にのみ口伝えで受け継がれました。このたたみ方は現在も、

国王あるいは国家元首を迎える公式ディナーでのみ用いられます。

たたみ方の秘密を知っているのも、たった2人の担当者のみです。

 

宝石赤エリザベート皇妃が、コルフ島に建てたヴィラ「アキレイオン」

古い時代の銀器セットが全く残っていないのには2つの理由があります。第一の理由は、銀器が常に厳しく点検されたためです。使い古されたり流行遅れになった食器は熔かされて、

新たな食器に作り変えられたのです。第二の理由は、財政危機の場合に、食器も銀貨に変えられたためです。とりわけ18世紀末からナポレオン戦争の時代には、軍事費調達のため、

オーストリアに存在したほとんどの銀製品が貨幣となりました。宮廷の調度品も、言わば戦争の犠牲となったのです。銀貨となった食器に代わって、ウィーン磁器工房の製品が導入されました。漸く1830年から1835年以降、少しずつ銀器が補充されるようになりました。先ず、

シュテファン・マイヤーホーファーに注文が出され、その後は「マイヤーホーファーとクリンコシュ」商会、あるいはヨーゼフ=カール・クリンコシュが、ディナー・セットを生産しました。

とりわけ、フランツ=ヨーゼフ皇帝とバイエルン公爵家のエリーザベトが結婚した1854年以降、多くの銀器が追加されました。

 

宝石赤伊万里磁器

 

 

まだまだコレクションはありますが、数が多すぎて全てはご紹介できません💦

又ゆっくり時間をとって、訪れたいと思いますラブラブ

 

宝石赤フランツ=ヨーゼフ皇帝とエリーザベト皇后の華やかな晩餐会のテーブル

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