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ビーツ ヘッドホンのブログ

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(プレジデントオンライン)

PRESIDENT 2013年1月14日号 掲載

「霊長類最強の男」と言われたロシアの英雄、アレクサンドル?カレリンの記録を抜いた前人未到の「世界13連覇」――。レスリング女子55キロ級?吉田沙保里のあまりに輝かしい偉業の達成に、私たち凡人は目が眩んでしまうが、吉田は決して完璧な人間ではない。

2002年、それまでずっと勝てなかった先輩?山本聖子を破った吉田は、一気にアジアチャンピオン、世界チャンピオンの座に上りつめた。そして、勢いそのままに04年アテネ五輪へ。本人曰く、「イケイケ」だった。

世界選手権2連覇を含め、国際大会16回連続優勝。外国人相手に70戦無敗の記録を引っさげ、怖いもの知らずの21歳は、あっさりと金メダルを獲得すると、さらに連勝街道を驀進した。

だが、挫折は突如訪れる。北京五輪イヤーの08年、その前哨戦であるワールドカップでまさかの敗北を喫し、吉田の連勝記録は119でストップしてしまう。

吉田は一晩中、泣き続けた。食べ物も喉を通らず、体調を崩すほどだった。しかし、立ち止まらなかった。挫折を「神様がくれた贈り物」と考えたと吉田は述懐する。時計を分解掃除するように、自分の技を見直していった。

「五輪前に負けてよかっBeats 有名人 モンスターハートビーツ 、そう思いました。自分の中にどこか甘さがあったのでしょう。あの負けは、自分の意識を変えてくれました。精神的にも強くなれたし、技術的にも進歩できました。連勝中なら絶対にそんなことしないでしょうけど、初心に戻って練習に打ち込みました」

1回の敗北を真摯に受け止め、成功体験を躊躇なく捨てる――。吉田の勝負への執念が、私たちに問いかけてくる。普段は陽気にはしゃぎ、誰にでも明るく笑顔で接する吉田だが、レスリングの話になると様子は一変。厳しい表情で、1つひとつ確かめ、かみ締めるように話す。

北京五輪までの7カ月間、吉田は猛練習を続けた。結局、北京では1ピリオドも失わず、決勝戦では得意のタックルから鮮やかなフォール勝ちを決め、五輪2連覇を達成。表彰台から降りてくるやいなや、あっけらかんと、「ロンドンで五輪3連覇します」と宣言した。

■試合が終わったときに、勝っていればいい

ライバルたちも吉田を研究し、猛烈に追いかけた。11年の世界選手権ではカナダのトーニャ?バービックに1ピリオド奪われ、同年末の全日本選手権では高校生の村田夏南子に追い詰められた。そして、ロンドン五輪目前の5月、ワールドカップではロシアのワレリア?ジョロボワに敗れ、再び連勝記録が止まった。

なぜ、またしても負けてしまったのか。吉田が1番の理由として挙げたのが、「慣れ」である。

「あの試合を振り返って1番思うのは、慣れの怖さですね。なぁなぁの気持ちで、なんとなくマットに上がってしまいました。試合が始まっても、ガムシャラに攻めず、相手の出方を見たり、時計をチラ見したり。世界選手権で1ピリオド取られたシーンが頭をよぎったりしました。タックルに入ろうとしても、躊躇する自分がいたんです」

負けなければ、わからないことがある。吉田は敗戦を、冷静に自己分析した。

吉田の最大の武器は、レスリングの正攻法であるタックルだ。父?栄勝さんは、「返しの吉田」と呼ばれ、鉄壁のディフェンスと冷静なカウンター攻撃で全日本選手権を制した選手だった。ところが、チビッ子レスリングの指導者となると一転。子どもたちにはタックルの重要性を教え、基本を反復させた。娘?沙保里が3歳になってレスリングを始めたときも、最初に教えたのはタックルだった。「タックルを制する者が、レスリングを制する」。それが今も変わらない父の口癖だ。

北京五輪前、吉田は正面からのスカッドミサイル?タックルに加え、片足タックルをものにした。連勝を止められた原因はタックル返しにあり、それを受けないようにするためだ。ロンドン五輪前、吉田は自分が豪快にタックルに飛び込んでいける離れた間合いだけでなく、接近戦を中心とする新スタイルも取り入れた。


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