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今回からは愛知県知多半島のお城を紹介。その第一弾は徳川家康関連から。緒川城は知多半島東岸の付け根に位置する重要な場所で、対岸は三河と面しており、ちょうど尾張と三河の国境付近でした。この地を支配していた水野一族は緒川及び刈谷を支配する支配する領主であり、両国の関係を語る上で重要な存在でした。

 その水野氏が居城としていたのが緒川城であり、徳川家康の生母・於大はこの城で享禄元年(1528)に第4代城主水野忠政の娘として生まれ、その後岡崎城主松平広忠に嫁ぎ、竹千代と呼ばれる少年を出産するも、実家が織田についたことで離縁となり、息子と離れ離れになったのは周知の通り。忠政の息子信元の代には水野氏は織田と松平の間の取次として活躍。なお、天文二十三年(1554)に起きた今川方が水野の砦を攻めた村木砦の戦い時には援軍に駆け付けた信長がこの緒川城を訪れた記録が残っています。その後、慶長11年(1606)に最後の城主である水野分長が三河に転封となったため、緒川城は約130年の歴史に幕を閉じました。

 

〇武豊線で行く緒川攻め

まずは名古屋から東海道線で岡崎方面へ。そして大府駅で武豊線に乗り換えます。武豊線はかつて非電化のローカル線でしたが、近年は名古屋近郊の通勤路線として利用客が増加。今ではすっかり電車が名古屋まで直通する通勤路線となっています。

緒川駅にて下車

 

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緒川は近くにイオンモールも立ち、利用客の多い駅です。
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ただ、こんなに利用客の多い駅でも無人駅なのが寂しい所でもあります。近年では鉄道会社は軒並み無人駅化を進めており、大都市近郊でも珍しくなくなりました。

丁度外を出た所で貨物列車が通過する光景を目にしました。
緒川城は駅から西へ出て国道366号線を超えた先にあります。
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狭い街路の道を抜けていきます。それにしてもこれは車は非常に入りにくいな…
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狭い住宅街を突き抜けていき
 
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辿り着いた古城公園、ハイ、こここそがまさに緒川城跡そのものなのです。公園内はありふれた遊具がある公園ですが…
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その一角に僅かに残る緒川城の遺構である土塁と
そして石碑、案内板が立ちます。
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緒川城は例によって例のごとく住宅街の開発によって殆ど遺構は残っていません。既に江戸時代にはこの城は畑となっており、昭和時代には宅地化で多くが削られ、僅かに残っているのがこの土塁の断片のみです。
 
かつては海に近く、海岸沿いの段丘に築かれた水野氏の城は今は土塁の一角がかつての往時を偲んでいました。
 
 
〇アクセス
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JR武豊線緒川駅から徒歩15分
 
「緒川城に狼煙が一本…」