2/11(木祝)ひょうご五国博覧会は、MBSスタジオと繋がって、生配信でzoomのインタビュー出演もあります。

事前に動画を制作し、そちらがメインになるみたいで、ちめいど雄介としても撮影編集をなんとか無事間に合わせることができました。


いま、わからない何かを握りしめて、かろうじて踏ん張っている感覚なので、心がフッと切れるスパンが多くなったように感じます。

すなわち弱い自分に負けている。ということです。

特に経済的な不安は、前々から将来がきっちりと約束された職業ではありませんが、コロナ禍で確実に生きにくくなっていることは間違いなく、

だからこそ進化を求められている時と、思います。

コロナがなければ、実際に歌の特訓の時間は取れていなかったと思います。他に優先すべきことがあると勘違いをし、核となる「歌」そのものの間違いに気付けなかったからです。
危ない。

しかし、気付いているにも関わらず、それを現実として受け止めきれない自分がおり、

現状に感謝するどころか、自身の歌の未熟さを環境や誰かのせいにしようとする卑怯な心が出てくるのです。

特訓は特訓。鍛錬の時間と芸術の表現の舞台を一緒にしてはいけない。

配信であれ、対面であれ、
そこに聞いてくれるお客さんやファンのみなさんがいるのなら、歌い方がどうこうにとらわれてはいけない。

歌の技術を意識すると、自分の表現が制限され苦しい。下手な、また音がしっかり出せていないことに気付いてしまったら、気になって心が入らない。

だからといって、そこから逃げて何か変わることもない。やはり向き合って、戦っていくしかない、弱い自分と。


今はこうかもしれないが、いつか理想の姿で表現したい


迷子になっても、行きたい場所がはっきりしているなら、わかっているなら辿り着ける。

行きたい場所がわからないのに、誰かに道を聞いても当然、教えることはできない。どこへ導けばいいかもわからない。


諦めずにやり続けよう。
例え誰に何と言われようとも、自分の使命を曲げない。全部使命に変える。


やることなら腐るほどもある。
やる気になれ。



人と話をし、人に触れることで、元気になる。
電話やオンラインでは伝わりにくいこともあるかもしれないが、手紙もある。


直接会わずとも、確認しあえる絆はある。
みんな生きている。



雄介