相談できる人たち | 自立への7年計画

自立への7年計画

無職を隠した夫◇不倫◇家庭内別居◇相手は名古屋から東京へ◇離婚調停中

調停がようやく動きだし

どうやら離婚しても生活していけそうだけれど


お義母さんを死ぬまで住まわせるように

この条件については考えどころです。

帰りながら調停離婚した友達にLINEすると

私ならやだわー

と明快な返事が返ってきました。


私としては拒否反応はありませんでした。

結婚するときからいずれ同居、と覚悟して

実際に同居してから15年以上

ちょっとしたことはあっても不満はないからです。

でもなんだかもやもやする…


実家の母に相談すると

大丈夫、家をもらっときな。と即断回答。

ただし介護はしない、と一筆もらいなさい、

万が一責任を負わされたとしても

「今は昔とは違う、役所が助けてくれる」

「東京ならセンターも多いでしょ」

相続放棄して家を出たのに

義母の最期をみとった母の言葉は重いです。

そして

自分のほうが5歳以上も年上なのに

「あのお義母さん案外早くぽっくりいくよ」ねー


結局は母の助言に背中を押してもらい

基本的には受け入れよう、と思いました。


私には娘がふたりいます。

友達も、娘さんだけがいる場合が多いのですが

高校時代の3人組で、夜食事をしたときに

息子さんをもつその友達が

「もし息子が離婚して、嫁にそんなこと言うと考えたら悲しい」

「見捨てられる気がする」

と言いました。

この見方はしたことがなかったので

興味深いと思いました。

お義母さんだって傷つくのです。


夫に

これからの同居人として、お義母さんと相談したいので私から話してもいいですか

とLINEすると

私から切り出します

と返事がきました。

どうせ言うはずない、とわかっていますが

ではよろしくお願いします。

前日までにお義母さんから話がなければ聞いてみますね

と布石を打って、あとは考えないことにしました。


義理の両親と同居している友達は

まあそうなるだろうね、という感想でしたが

荻窪に付き合ってくれた友達は心配性なので

とても心配してくれているようでした。

そして夫に対してずるい、ととても怒っていました。

後日感動的なLINEを送ってくれます。


娘には、少し後で報告しましたが

おかあがいいなら文句ないけど…

(おかあはそれでいいんだね?)という反応で

長女などは、私が平然としているので

母親にも弱味があるのか?と疑ったようです。


結婚して転勤を何度かして

この家で生活を始めたとき

まさか離婚するとは思いもしませんでした。

お義父さんが早く亡くなることも

大震災が起きることも

コロナという感染症で生活様式が変わることも

なにひとつ想像したことはありませんでした。


そのたびに「まさかこんなことが」

と思いました。

けれどなんとかこなしてきました。


つらかった自分を思い返すと、私は孤独でした。

ひとりで閉じ籠り、自分の考えだけにこだわり

同じ思いをぐるぐる繰り返しました。

健全ではありませんでした。


心を健康に保ち

何かが起きても真摯に向き合えば

たいていのことは何とかなるものだと

今はそう考えています。

相談にのってくれる人は何人もいて

ありがたいことに私の味方がいるのです。


ランチしてくれる友達もいっぱいいますニコ


なんとかなると思えるようになったのは

この次の、5回目の調停が終わってからのことですが

4回の後でも、もう気に病む私はいませんでした。

本来私は楽天的なのです。


気持ち的には、離婚したと同じようなもの。

生活費は変わらずもらえていたので

本当にこれは稀なことですから

ありがたいと感じていました。