小さきもの 日本のミニマリズム | バザラスからのアジアン紀行

小さきもの 日本のミニマリズム

日本人は小さきものが大好き
だった。
 
「何も何も 小さきものは皆うつくし」
清少納言『枕草子』
 
小さきものは、いとをかし、
いとかなしと愛着を持って
大切にされていた。
 
幼子も勿論だが、更に縮めて
竹の中から生まれた姫、桃の
中から生まれた太郎、
 
老夫婦が授かった一寸の法師等々、
小さきものをお伽噺に登場させた。
 
更に数奇者は、大きなもの、過剰なも
のと思われるものを削ぎ落した。
マクロコスモスをミクロコスモスに
封じ込めたとも言える。
 
庭に茶室に盆栽に。
 
和歌に連歌に俳諧に。
 
削ぎ落し切って、そのものの
本質を剝き出しにするが、
 
凡人には、その削ぎ落され尽くした
本質が見えにくい。
 
日本を代表する削ぎ落し切った
歌舞劇の能だって、我々凡人に
は解り難い。
 
人間が演じる能より、小さな人形
で物語る文楽の方が馴染みやすい。
 
等身大より、小さな雛人形の
方が皆に愛でられる。
 
そんな小さきものに惹かれた
日本人の生活も慎ましく、
小さな日用品に囲まれた
空間に生きていた。
 
ミニマム・ポッシブル(minimum possible)。
 
これは、明治時代の学僧、清沢満之の
言った言葉で「可能な限り最低限の生活」
という意味だ。
 
日本人の小さきものを愛でる
感性には、美しさ、麗しさ、
高潔さを感じます。
 
派手さや過大な無粋さとは
無縁で純粋な美しさ。
 
豊かさの衣を被った貧しい現代
だからこそ、純粋なる核心、物事
の究極を探求するものでありたい
と思います。