大野和士 東京都交響楽団 リーズ・ドゥ・ラ・サール(ピアノ) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。

1013日、東京芸術劇場コンサートホール)

 東京都交響楽団名誉指揮者ジャン・フルネ没後10年を記念するフランス・プログラム。大野和士がプレトークでフルネの思い出を語った。

『フルネ先生は1913年生まれ。音楽史的に重要な年でストラヴィンスキー「春の祭典」が初演され、ドビュッシー「遊戯」が作曲された。ルーアン生まれの先生は195845歳で初来日。ドビュッシー「ペレアスとメリザンド」の日本初演は偉業。1978年初めて都響を指揮。団員が崇拝する全身全霊の魔術のような指揮。デュティユー「チェロ協奏曲」日本初演、フローラ・シュミット「詩編」「サロメの悲劇」日本初演もされた。わたし(大野)は藝大時代都響のリハーサルをされる先生を何度も見た。左右の手を同じように動かすシンプルな指揮。練習は厳しく同じリズムを刻む部分を合うまでNo!とダメ出しをして何度でも続けた。ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」のフルートが終りかけるところに管弦楽が入ってくるところは信じられない美しさがあり、いったいどう指揮したらああいう響きができるのか不思議だった。あの部分は指揮者が何かしたがるところ。余計なことをすると音楽は逃げていってしまう。先生は血となり肉となったものが自然に身体から出ていた。ベルギーにいたときフルネ先生の奥様から先生の書き込みの入ったスコア5冊を送っていただいた。いまは都響に大切に保管されている。今日はロビーに展示されているのでご覧ください。』

 

 コンサートはフルネが引退コンサートでも指揮したベルリオーズ「ローマの謝肉祭」から始まった。鋭い切れ味、都響の高い力量が発揮される。ただ大野和士の弱点である色彩感が不足する。

 

 リーズ・ドゥ・ラ・サールを迎えたラヴェル「ピアノ協奏曲」。ラ・サールのピアノは瞬発力があり、硬質な響き。安定のテクニック。右手のトリルは美しい。大野和士都響は第1楽章冒頭を駆け抜けるような速さで進む。トランペットはその速さによくついていった。大野和士の切れ味が発揮された演奏。ラ・サールの粒立ちが良い磨き上げられたピアノは第2楽章を隅々まで明解に聞かせた。アンコールはドビュッシー「前奏曲集より《パックの踊り》」。文字通り飛び跳ねるような軽快なピアノ、繊細なコーダ。

 

 後半はドビュッシー「管弦楽のための《映像》より<イベリア>」と、ラヴェル「《ダフニスとクロエ》第2組曲」。2曲とも都響のうまさが際立っていた。木管、金管、弦と隙がない。大野和士は《ダフニスとクロエ》第2組曲の終曲「全員の踊り」を引き締まったアンサンブルを引き出し、強烈な盛り上がりに音楽を運んでいく。しかし、ここでもその鋭角的で明晰な指揮と音楽に違和感を持つ。

 ドビュッシーもラヴェルも、もっと音と音の間に余裕があってもいいのではないか。響きはもう少し立体的で奥行きも必要ではないか。色彩感が感じられないのはなぜだろう、という疑問が次々と湧いてくる。

 大野和士の全ての音を完璧に鳴らそうという意図が強ければ強いほど、本人がプレトークで語ったとおり、音楽の大切なニュアンス、味わいが失われていく。大野和士がどの作品を指揮しても、この違和感はぬぐうことができない。

 都響は大野和士の指揮に献身的に応えており、両者の関係は良好だと思うだけに、残念で仕方がない。

写真:大野和士(c)堀田力丸