[ 内容 ]
最も「態度の悪い」哲学者が贈る知のエクササイズ!!
知的興奮のありかを探る。
[ 目次 ]
第1章 コミュニケーションの作法
第2章 身体は知っている
第3章 社会システムの盲点
第4章 出会いとご縁
第5章 作品からの「呼び声」
第6章 メメント・モリ
[ 問題提起 ]
私に限らず、書評者にとって書評しやすい本というのは、「主題がはっきりした」本である。
「日本の品格」から「日本共産党」まで、本entry執筆時点でのAmazonの新書ランキングTop 10は、すべてそうである。
タイトルを見ただけで、「何に関して書かれているか」がわかる本である。
内田先生にも、こういう「主題がはっきりした本」がないわけではない。
たとえば「寝ながら学べる構造主義 」などがそうだ。
これが実に退屈で、私は寝ながら構造主義を学ぼうとして眠ってしまった。
これを教科書に使ったらその授業はさぞ寝心地がいいだろう。
ところが、先生のblogは面白い。
本blogもしばしばネタを拾わせていただいている。
こういうとりとめのない、主題がはっきりしない、書いている本人にもどこにたどりつくかわからない文章こそ、内田先生の持ち味である。
「寝ながら学べる構造主義」以降、内田先生に関しては、「越えられない壁」という公式が出来上がってしまい、↑の「態度が悪くてすみません」も最近まで購入してなかった。
購入したのは、別の本を買いたくて、しかし Amazonの送料を払うのもなんなので、「もう一冊いっとく?」の過程で、本を肴にだべるある会合で話題になっていたのをふと思い出し追加した結果なのだ。
面白かった。
それがなぜかというと、とりとめがなかったから。
[ 結論 ]
本書は実はblogの「コンピレーション」本ではなく、さまざまなところ以来されて先生が執筆した文章の寄せ集めである。
食べ物に例えれば、雑炊。
そこがよかった。
特に、先生自身イチオシの「私のハッピー・ゴー・ラッキーな翻訳家人生」は面白い。
これだけで定価724円は回収できる。
本を肴にだべるある会合でも話題になっていたのはこれである。
しかし、このことはむしろ↑の公式の脳内強化にもつながった。
印税を期待するとこのことは欠点でもあるが、原稿料ということを考えるとこれはあまり欠点ではない。
ストックの質はイマイチでもフローの質がよければ、執筆依頼に困る事はない。
そもそも内田樹は執筆家である以前に大学教授であり、執筆は主ではなく従なのだから、これでよい。
内田樹の「すみません」の現象学。
「態度が悪くてすみません」というタイトルは三日前お風呂にはいっているときに思いついたのであるが、よくよく考えるとなかなかに滋味深いタイトルである。
これを見て「屁理屈」、そしてそれにTBした私のEntryを「屁の応酬」と評した人がいるのだけど(comment欄とかではなくて、リアルでね)、その通りだと思う。
[ コメント ]
屁も極めれば、ムーランルージュなのだから。
しかし本にするほどの屁というのはなかなか溜まらない。
blogに嗅いでしまう、もとい書いてしまうのが一番いい。
そして本書は、blog外の、自発的ではない、他者からの依頼による「屁cast」である。
内田ファン必嗅である。
[ 読了した日 ]
2010年1月14日