五稜郭 | ルアーマンのブログ

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自分で釣った魚でやる一杯は最高!

12月20日、いよいよ 五稜郭 へ入城。

 

完全にフラットな土地に造られています。

 

箱館戦争(戊辰戦争のうち、特に箱館での戦いのことを箱館戦争とも言います)の立役者、

新政府軍の黒田了介と、旧幕府軍の榎本武揚。

 

図の右下が五稜郭タワー

そのそばの現在地から半月堡の前を通って城内へ。

 

一の橋を渡る。

 

半月堡周囲の堀  結氷してます。

 

半月堡の周囲は石塁で囲まれている。

 

半月堡と石塁の間には空堀がある。

 

半月堡によじ登れないよう、はね返しと呼ばれるせり出しがあります。(武者返しとも言う)

ねずみ返しの人間版ですな。

 

半月堡へ上がってみる

 

先端部分

 

二の橋を渡って内部へ。

 

近くで見ると、星型のヨーロッパ式 稜堡式城郭とはわからない。

 

石垣の上に土塁を乗せた構造。砲弾が石垣に当たっても、砕けた石が飛び散って怪我をしないようにするためのもの。

 

堀(写真より右)と、石垣でできた本塁(写真より左)の間にある塁壁

そんなに高くない土塁です。

半月堡も五稜郭本体も、本塁と塁壁で2重に守られている。

 

門には箱館奉行所の文字

 

門番所跡

 

門から突入すると、見隠し塁(みかくしるい)にぶち当たる。

突入部隊は左右に分散せざるをえなくなります。

 

江戸時代末なので石垣は切込み接(きりこみはぎ)だが、四角ではなく五角形など複雑に切り込んだ石ばかり。

 

目隠し塁  石垣の上に土塁を乗せた構造。

 

堀のすぐ内側の石垣上に登れます。

 

石垣は複雑に折れ曲がっているが、星型とは想像できない。

 

石垣上から見た蔵。

真ん中の蔵の前に 日本100名城スタンプがあります。

 

蔵の前には大砲

左:イギリス製、台場に設置されたもの、射程1000m

右:ドイツ製、新政府軍の軍艦朝陽に搭載されたもの、射程3000m

五稜郭は海上からの攻撃を避けるために海から2.5kmほどの場所に造ったのだが、

結局 最新式の大砲では砲弾が届いてしまう距離になってしまったんですね。

 

五稜郭中央の箱館奉行所

 

1857年、五稜郭築城に着工

1864年、江戸幕府により箱館奉行所を設置

1866年、五稜郭完成

1868年、旧幕府軍が五稜郭を占領

1869年(明治2年)、土方歳三討死、旧幕府軍が新政府軍に敗れ、五稜郭を明け渡す

1871年(明治4年)、箱館奉行所を含めた建物を解体

1985年(昭和60年)、箱館奉行所の発掘調査開始

2000年(平成12年)、箱館奉行所復元構想がスタート

2006年(平成18年)、箱館奉行所の復元工事開始

2010年(平成22年)、復元された箱館奉行所が完成

 

 

入ってみましょう

 

長い廊下と、多くの「〇〇の間」

川越城に似ています。

 

向こうの人たちは、無料ガイドの解説を聞く人。

 

 

鉄砲玉に比べると、大砲の玉のデカいこと!

 

この形の砲弾の方が、球形よりも指向性が強くて正確に命中するんでしょうね。

 

箱館戦争についての解説

 

四稜郭の解説もあった。

五稜郭よりもずっと小さく、数時間で落城。

 

四稜郭の空撮

五稜郭の北4kmほどの場所。

行ってみたかったが、数100mの場所でクマが畑を荒らしていたので、訪問断念。

 

発掘調査で出た瓦や釘隠し

 

箱館奉行所の復元までのお話し

 

トイレもあった。

「使用しないでください」と お決まりの表示。

 

井戸跡

 

四方からも見ておきましょう。

 

一番高いのは太鼓櫓

新政府軍の軍艦からの標的になってしまいました。

 

だたっ広い  駿府城のような感じ。

箱館奉行所の東側には何も無い。

 

所々に石垣や土塁の変化があるが、内部から星側の城郭であることは感じない。

 

広くて迷子になりそうな時は、五稜郭タワーを目指せば大丈夫。

 

はね返しと、五稜郭タワー

 

次回はこんな姿を見に生きたものです。