高木神社、下宮、上宮、本宮とお参り | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

とある月曜日の午後、桂川町土師(けいせんまちはじ)の老松神社、

 

嘉麻(かま)市の臼井(うすい)地区の日吉神社とお参りし、

 

水神宮へとやって来ました。

 

 

 

西郷川の畔にあって、社は無く、祠だけの神社ですが、龍神を感じる神社で

 

嘉麻市方面に来たときはお参りしていく神社です。

 

 

 

天津祝詞、神社拝詞、大祓詞、龍神祝詞を奏上しお参り、

 

それから、今年になってから水神宮の近くにあった事に気づかず

 

道を通っていた時に呼ばれ、最近参拝し始めて間もない

 

光代地区の貴船神社へとやって来ました。

 

 

 

この神社も水の神様で祝詞も龍神祝詞まで奏上し、空に龍神を感じ

 

感謝の気持ちを込めて境内で法螺貝を吹き鳴らしました。

 

 

 

貴船神社を出て天之御中主が祭神の北斗宮が思い浮かび、

 

そのまま車を走らせ行ってみました。

 

 

 

いつもは車で鳥居をくぐり境内の駐車場に止めるのですが

 

神社横の専用駐車場に車を止め、鳥居之祓を奏上して鳥居をくぐり

 

境内へと入りました。

 

 

社務所に男性方がいるのに気づき、会釈をして200数十段の石段の手前に

 

置いてある賽銭箱に賽銭を入れて一礼をし、長い石段を登って行きました。

 

 

登り終えて境内を見渡すと強い雨と風が吹いたようで

 

折れた枝が散乱し、のぼり旗が倒れているのが目に留まり、

 

寝かせてあるのかなと思いましたが拝殿前の3本だけは立っていたので

 

風で倒れたことが分かり、枝を集めて境内の林の脇に除けて

 

10数本の旗をコンクリートの旗立てごと起こしていきました。

 

 

 

 

気を静めて拝殿に立ち、感謝の気持ちを込めて祝詞を奏上しました。

 

 

 

前回参道の石段を下りずに拝殿の向かいから玉姫稲荷大明神の立札が目に留まって

 

参拝していたので、裏参道の道から降りて北斗宮の神木の大楠、大楠神社、

 

玉姫稲荷大明神とお礼参りしたのでしたが、稲荷大明神で

 

神社拝詞を奏上しようとしたとき玉姫稲荷と名前が出てきませんでした。

 

 

仕方がないので「稲荷神社の大前を拝みまつりて…」と奏上し、お参りを終えた後

 

鳥居まで出てきて案内板を見て確認したのです。

 

 

 

 

 

 

まあ、玉姫稲荷大明神には参拝の意は伝わるだろうと思い、次回は

 

名前を間違えずにお参りしますのでご容赦をと念じたのです。

 

 

 

 

そのまま裏参道を抜けると石段横に出て来るので200数十段の石段を上るより

 

勾配も少なく楽に拝殿に行けるので、こちらから参拝する人も

 

いるのだろうと思ったのです。

 

 

 

社務所の方に一礼して北斗宮を出ました。

 

 

信号から国道に戻り、この先に鮭神社があるのですが、思考には

 

高木神社の下宮のことが思い浮かんでいて、鮭神社の鳥居を通りすぎる時

 

また別の機会にお参りしますと念じながら通り過ぎ

 

ほどなくして普門寺地区の高木神社へとやって来ました。

 

 

 

 

 

前回拝殿下の掃除道具を借りて参道を掃掃除させてもらいましたが、

 

境内はやっぱり初参拝の時から既視感があり、枯れ枝、葉を搔き集めるときも

 

ここら辺に集めでと違和感なく掃除したのでした。

 

 

 

祝詞を奏上し、感謝の気持ちで法螺貝を吹き鳴らし、これより上宮へ参ります

 

と述べ、また述べなくも神はすべてを見ていて知っているのですが、

 

それも気持ちの問題なのです。

 

 

 

神社を出て上宮の高木神社へと嘉麻峠続く道を登って行きました。

 

 

 

神有地区への案内を通り過ぎ、その先の農道から入って

 

桑野上の高木神社前にやって来ました。

 

 

入り口には害獣除けの鉄筋の柵がしてありますが

 

パソコンを習いに来られている生徒さんが宮柱の役をされていて、

 

開けて入って良いと了解を得ているので、鉄筋の棒を立てかけて中に入り

 

鳥居之祓を奏上して参道を入っていきました。

 

 

山の中の神社でも賽銭泥棒は居て、普段は誰も参拝に来ないことから

 

泥棒にとっては入りやすく、そのために誰でも入れないようにしている

 

という現状があるのです。

 

 

 

賽銭も神には直接必要ありませんが、それを祀っていく地域の氏子が

 

神社を維持管理して行くには、必要な事なのです。

 

 

 

 

車で教室まで40分ほどかかるところから習いに来られ、神社の事や氏子、

 

宮柱の役の事など話していくうちに祭神である高皇産霊之神と

 

ご縁が繋がったと感じ、村社で参拝すると良いと受け取り、

 

熊ヶ畑地区、普門寺、この桑野上地区、そして小野谷の本宮へと

 

お参りするようになったのです。

 

 

 

この高木神社4社は県社の本宮でも法螺貝を吹くように意識に出てきて

 

村落集落の家も少なくその音を聞く人も少ないと思いますが、

 

霊峰英彦山とのつながりも深く山の神々や天空の神々に届けと

 

法螺貝を吹き鳴らすのです。

 

 

 

そして法螺貝を吹いている時、時折ゴォーと強く吹く風に龍神を感じ

 

同調するように鳴く鳥や虫たちに神の働きを感じるのです。

 

 

 

初参拝の時には拝殿の扉には鍵がかかっていて少しでも私にできる範囲でと思い、

 

扉の前にお賽銭として風で飛ばないようにお札に硬貨を重し代わりに置いていたのを、

 

それを見つけた氏子の方から聞いておられ、拝殿の扉の鍵は閉めずに

 

開けておくようにしてもらったのです。

 

 

 

 

扉を開けて賽銭箱にお札(さつ)と一掴みの硬貨を入れ、扉を閉めて

 

祝詞を奏上しました。

 

 

 

それから小野谷の本宮へと行ってお参りし、目的の神社への参拝は終えましたが

 

その近くの宮吉八幡宮へとお参りしたところで財布が空になり、

 

気持ちよく自宅へと戻ったのです。

 

 

 

お賽銭はいくら入れて使おうとも、不思議なことにまた入ってくるのを

 

何度も感じていて、生きていく上でお金、経済的には絶対にある程度

 

必要なものですが、ケチったり、惜しんだりしない心でお参りすると、

 

それは神には必要がないから、また神社仏閣に参拝するという徳を積むから、

 

財布に入れてくれるように感じるのです。

 

 

 

 

目に見える硬貨やお札といったお金を大事にする、大事に使う

 

といったことも大切ですが、それ以上に物質的なものを財産として、

 

自分のものだとつかんで離さないというエゴに捉われないことが、

 

心が満たされる、満足感を得られる豊かさを生み出すように感じるのです。

 

 

 

どちらにしても何かの都合や考え、人から言われたとか、

 

他人の意思で使うのではなく、自分でこう決めて使う

 

ということが大切に思えるのです。

 

 

 

それが自分を大事にすることだとハイヤーセルフは答えたのです。

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

 

 

 

 

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