意識は自分に加算され、同時に還元されるものである | 独眼竜 ゆーすけの言語録

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このエントリーは最近個人的に想う事も視野に入れて、また偶然発見した記事で構成してます。


意識とは、常に己がしてなければ所属している団体(学校や会社など)にマイナスを与え、そこに所属する自分の仲間や友人、先輩後輩にもマイナスのレッテルが張られる。


これは、私自身がマナーに対して考えている事である。

アメーバのニュースに関西学院大学のマクドナルド出禁のニュースにてつくづく考えさせられた事である。


自分は、ファーストフード店は長くても50分辺りが限界なのが正直です。

なんか、個人的に落ち着いてられない環境に感じるのと落ち着いて飯が食えない印象が強くて早く出ることが多いです。けれど…ニュースから、これは他人事でいいのかなぁと思います。


自分も大学生です。しかし、同じ大学生として情けなさも感じました。

他の利用者を考えて店舗を利用するなら、わかります。しかし、自分勝手でいいのでしょうか。

勉強は家でも学校の図書館や大学内でもできるような気がします。


私は、学校や家で基本的に勉学に打ち込める環境で勉強してます。

たまの休憩で飲食店を夏季の試験で友人と訪れたこともあります。

その時は勉強の悩みや不安を語り、大体滞在が1時間前後で共感し合いお互いにモチベーションを高めあいました。


マナーは参加メンバー全員気をつけてました(当然夕食時だったので)


たまに、わからなくなります。

自分はONとOFFを使い分けれているのかもそうですが、周囲の目は一体どう見ているのかと気になります。


昨日、こんな事がありました。

仲良くさせてもらっている友人から、「俺と俺の友達の一人は私(←友人)のなかで再試確定してる」


と言われました。当然、私はおかしいんじゃないのと思い反論がありました。

腹は立ちましたが…俺は言い返しませんでした。


そこで言い返すべきではないと判断したからです。

言い返したら、そこで同レベルじゃないのかと感じたからです。


その時の俺は他の友人達と勉強し合ってました。その場でそういった事を言うのは常識外れだと思います。

一生懸命勉強し合っている場をみだしたからです。


俺は試験に落ちて再試でもかまいません。ただ…一生懸命やってる中でこいつとこいつは落ちると言うと言うことは努力の否定だと思います。

一生懸命頑張ってきた努力を踏みにじったのと同じ事です!


どんなに地道で無駄かもしれなくても、努力している事に変わりはないからです。

それを否定する=見下すだけでなく傷つけるのではないのだろうか?

個人個人の努力は自分が真似のできないものも中にあります。

それをリスペクトして自分のものにするだけでなく、お互いに伸ばし合う事もできます。


俺は、昨日本当に悔しかったのは当然です。

同時にその人は、本気で本を読んだことがあるのかと気になりました。


私は本が好きです。

試験が終われば、2年越しで購入した立浪和義の『負けん気』という本や長谷部誠の『心を整える。』、杉内俊哉・和田毅の『サウスポー論』とスポーツの本を購読するために先日購入しました。

当然、スポーツは競う世界です。そこでの論理だけでなく本を読みとおして、「友人同士でもお互いに士気を高めあうためには」など多くの事を個人的に学ぶつもりです。


漫画にはキン肉マンやキャプテン翼、スラムダンクにもきっと自分の学びたい事があると思います。

キャプテン翼は、文庫は終盤近くまである機会の時に購読した事がありますが、キン肉マンは途中までしか読んでませんが…youtubeでアニメの名シーンで感じさせるシーンがありました。


なかでも、キン肉マンのマンモスマンvsロビンマスクの回でのシーンにロビンマスクとキン肉マンの友情を示唆したような台詞がありました。

これは、お互いに無かったものを認め合った友情を意味してたのではないかと解釈します。


自分はキン肉マンについて深く語れません。

ただ…お互いを認め合う友情の大切さを再認識は大切じゃないのでしょうか?


そういった意味で、試験に落ちるといった友人が俺は許せません。

反骨心で勉強しました。結果は明日分かりますが…落ちても落ちなくても俺の怒りは変わりません。

けれど言いたい奴に言わせます。最後に後悔するのは“言った方ですから!!”


とにかく、そんな人間にならないように試験が終われば、本を読んで学ぶ以上(俺の成長のための修行)