こんにちはバルコアです。歯

 

この「空(くう)」、すなわち神、仏の心は、無限の愛であり、慈悲であり、すなわち生命を生命たらしめるものである。

その慈悲と愛は、自分で自分を始末出来なくて、宿業(カルマ)のどん底に蛆虫(うじむし)のように蠢(うごめ)くのみの、限りなく「悪性(あくしょう)」の「悪人」の自分であればある程、却(かえ)っていよいよ深い愛と育みを惜しみなく垂れて下さる、大きな母の心である。

 

親鸞が「悪人正機(あくにんしょうき)」、悪人こそ弥陀仏(みだぶつ)の本願の目的であると説いた浄信(じょうしん)が、しみじみ本当だと肯(うなず)かれる。

更にこの時、生命の扉が開かれる前の元の自分を振り返る時、広大無辺の宇宙の片隅に、粟粒の様な微粒子として、無智無能な自分が居ることが認められる。

 

今まで此の微粒子を、これこそ自分の自我だと主張を続けて来た昔の自分が、笑止千万だったことが省みられる。

生命の扉が開かれたことは、神のふところに抱かれて、何もわきまえずして、泣いたり、笑ったりして居る赤児(あかご)としての自分の再発見である。

 

泣こうと、笑おうと、糞小便を勝手に垂れようと、赤児(あかご)には罪はない。

神の赤児(あかご)としての人間には、初めから罪はない。

 

この事を、キリスト教では罪の赦されindulgence(インダルジェンス)と云う。

神の赤児(あかご)としての自己の発見を、revival(リヴァイヴァル)、resurrection(レザレクション)と云う。

 

このrevival(リヴァイヴァル)を、聖書は「人々は之を殺さん、かくて三日めに甦へるべし」(新約マタイ伝第十七章)と説いている。

自己絶望は肉なる自己の死である。

 

この絶望の後に「復活」が訪れる。

 

丸ブルー

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