タレントでグラビア活動をしていた
上原 美優(うえはら みゆ)さんが5月12日深夜に自宅マンションで自殺した。
本名、藤崎 睦美(ふじさき むつみ・1987年5月2日ー2011年5月12日)
既にTVやメディア各方面で取り上げられているので詳しいことは省く。
彼女が亡くなるまえに自分のブログで韓国芸能界での自殺を取り上げたばかりで
なにか因縁めいたものを感じます。
1日中真相は何かを探っていたが、近づくことは出来ても核心は掴めないまま。
走り書きの遺書らしきものが見つかったと報じられているがおそらくニセモノ。
本物がいつかは出てくるかもしれない。
彼女が付き合った男はことごとくダメ男だったらしい。
上原美優 語録
★「ギャンブルで負けた腹いせに殴られた」
★「根性焼きを入れられた」
★「家財道具を勝手に売られた」
★「飼ってたチワワを売られた」
★「姉と浮気された」
★「嫉妬からパンツを3枚履かされた」 等々
鍵となる記事→http://matome.naver.jp/odai/2130515686804751401
知っている情報で「彼女を追い詰めた原因」を書いてもいいが、
それを書くと他のタレントの傷を深くするだけなのでひかえたい。
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現在の日本で自殺する人はとても多い。
彼女も耐え切れない辛さや悲しみから逃れたいと、自ら死を選んだと思う。
感情的に、物理的に、孤独、ひとりぼっちで傷つき、重荷を背負って
それを誰にも理解してもらえない、頼るべき術も無い。
これらは確実に絶望を生む。
終わりの無い絶望に直面していると逃げることしか考えられなくなる。
だが逃げることはできない。
逃避したと思っていても、それは背中に張り付いている。
そして、いつか別の形で立ちふさがる。
その因(もと)を作ったのは大抵本人だ。
逃れられない苦しみに直面した時、多くの人は心の中でつぶやく。
「なぜ、自分は生まれてきたのか?」
苦しみの原因(もと)を行き過ぎ、【生まれてきたこと】そのものに疑問を感じて死を選ぶ。辛いことを避けたいと願うのは当然だ。だが、
魂は経験を避けるために宿ったのだはなく、経験を得る為に宿ったはずだ。
人は過去の【生】で取り組まなかったことに、現在の【生】で取り組む。
やり残したことを終わらせるために・・・それは魂の課題と言ってもいい。
逆を言えば、自殺しても次の世で同じ事を繰り返すという意味でもある。
(それを選ばなければ、話は変わってくるが)
聖書の中で 弟子がキリストに「神の国とはどんなところか?」と聞くと
キリストは「神の国とはカラシの種のようだ。
一粒が実をつけ、やがて多くの人の心に実をつける」と説いた。
教会ではこれをキリスト教拡大の象徴のように誇らしく語るが、
俺は違うと言いたい。
唐辛子の種はとても小さい。床に落ちるとゴミにしか見えない。
だが、ゴミのように見える種でも大地に落ちれば
芽を出し 花を咲かせ 実をつける。人の可能性も同じじゃないか?
わずかな可能性でも場所が変われば花を咲かせることもできるんだ。
場所を変えることは逃げることではない。自分の【生】への権利だよ。
なのに、なぜ簡単に「仕方ない」と片付けてしまうんだ。
彼女は昨年母親を亡くしている。遺された父親や兄弟、
そしてファンの悲しみは計り知れない。
本来、彼女が持つべき【生】を誰かが(間接的にでも)奪ったのならば、
ソイツは自らの【生】を縮め、差し出すことになるだろう。
それがこの世の理(ことわり)というものだ。
ともかく、上原美優さんの御霊が神の身下で安らかにあらんことを祈ります。
合掌。