と、まぁこんな感じです(どんな感じやねん)
写真も無い記事にお付き合い戴きまして感謝します。
このお話は、実在する人物をモデルに 裁判というのが実際にはとても不公正に行われている、というテーマで書きました。
御覧になった(あまりいないとは思うけど)人には
「自業自得」とか
「語ってるよwww」とか
「これくらい何だ!俺なんて・・・」などと云った感想を持たれたかと思います。
それは人それぞれなので反論しません。
僕が主張したいのは、裁判は法に則って(のっとって)進行し、
そこには(被害者・被疑者)の意思などは取り上げられないもの、であるということ。
通り魔に罪無きわが子を殺された親御さんの無念も
前述のA子さんが抱えていた苦しみも
裁判という決められたシステムの中では、
また検事、弁護士、裁判官が進めるシナリオの中では
全くといって良いほど小さく、か弱いのです。
実例を挙げれば
愛知県豊川市で起きた村瀬翔くん殺害事件
物的証拠、状況証拠、目撃証言は全く無いのに”自白”のみで有罪判決
(懲役18年)
※なぜかWikiが存在せず
鹿児島県の志布志事件
村人数名を選挙からみで逮捕。後に警察署長のポイント稼ぎに利用されたことが判明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%B8%83%E5%BF%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6
高知白バイ警官死亡事件
白バイがスクールバスに衝突。
隊員が死亡しスクールバス運転手が逮捕される。
しかし乗っていた生徒らは
「バスは動いていなかった」と証言したが黙殺される。
富山連続婦女暴行冤罪事件
これだけ冤罪がある。
もちろんA子さんの場合は外傷を負わせた事にマチガイはなく
弁解はできない。
しかし中編で「法的には弁解できるはずの機会」が実際には存在しないことや
証言内容が精査されていない実態を考えると
日本の司法がいかに歪(いびつ)な姿をしているのがわかる。
いずれも裁判員裁判が施行される以前の事件だ。
もしこれらの事件もA子さんの事件も裁判員裁判で行われていたら
どういう判決が出ていたのだろう?
自分は大丈夫!だと100%言い切れるだろうか?
A子さんも幸せを夢見ていただけなのに、
豊川市の男性は車に寝ていただけなのに
高知の男性はスクールバスを運転していただけなのに
「人生一寸先は闇」
どんなに注意していても闇に足をとられることになる。
「ただ、不幸だった。それだけだ。」
その時あなたは、すべてを受け入れ納得できるだろうか?