さきほどラーメンと餃子を食べてた時、何かの拍子にラー油が目に入り
のたうち廻ってきたスミスです。 まだイテェ。
ブルーベリーさんが期待しているのでは書かねばなるまい!
この話は僕の母がまだ幼かったときの話
母には弟がおりまして、仮に次郎さん(故人)としておきましょうか。
母の住んでいた村(現在は町)の外れに3つのお墓がありまして、
次郎さんは当時3歳くらいだったそうです。
何も知らない次郎さんにとってはただの石なもんで、
悪気無しにそのお墓に”おしっこ”をひっかけた。
ところがその夜から原因不明の高熱にうなされ、
おまけにキンタマが異常なくらいに膨れあがったwww。
「 んが(おまえ)、なした!?(なにをした!?)」
「 (村の)はずれの石さ、ションベンした・・・」
「なして、すったらごど すだば!(なぜそんなことをした!)
あら、おせむれの墓だ!(あれは、お侍の墓だ!)」
急遽、近くのお寺の住職を呼んでお供えや線香をたき3日程お経をあげ供養したらしい。
その甲斐あって次郎さんは熱もひき、キンタマの腫れもひいた。
前回のお話覚えていますかね。 公家と2人の侍のことを・・・計 何人ですか?
ちょっと御国自慢(あんまし関係ないけど)
母達が呼んだ近くの住職がいたのがこのお寺
宝福寺概要: 宝福寺の創建は正応年間(1292年頃)修験者によって開かれたのが始まりと伝えられています。当初、西越村大谷地にありましたが明応元年(1492)に法光寺2世安葩昌舜和尚が現在地に移し中興開山しています。【 青森県三戸郡五戸町 】
へ~え
母は「 とてつもなく古い 」なんて言ってたけど 本当だったんだ。
1292年といえば鎌倉幕府の時代wwww。
もし、母の見たビジョン(映像)が本当だったとして、
3つの墓が彼らの墓だったとしたら・・・。
何か因縁めいたものを感じずにはいられません。
例えば平家と源氏。
東北に平家も源氏も、いね~よwww
なんて言い切れるだろうか。
前回登場のN女史に言わせると、
「歴史では1行2行になるが実際にはかなりの時間争っていた。
それが北上し青森でも小競り合いが続いていた。
その名残りが青森にある独特な苗字なの」 という。
霊視なのか推測なのか冗談なのか・・・真実は闇の中、時間の彼方である。
ちなみに、僕が見た武士の姿っていうのは
山伏の太賢氏によれば、
「 武士の霊がたまたま、そこに居ただけwww」
との言葉を頂きました。 あざーす、ほっとしました。
というわけで オカルト話はこれでおしまい。
しかし、これらは本当に僕の周りで起きた事です。
じつは、まだまだあるんですがね・・・・
それはまたの機会にしましょうか。 ノシ