皆様いかがお過ごしですか?

 

2020年はすごい年になると前々から色々な人に言われていましたが

それにしてもすごい年になりそうですね。

まさに変革の歴史の真っただ中にたっている感覚です。

 

今回のコロナ事件は

沢山のことを考えるいい機会となりました。

何よりも良かったのは

まだ手つかずにいた父母の最期の遺品整理の時間が出来て

手紙やら資料に目を通せたことです。

 

母の遺品の中から

私の育児日記が出てきたのも収穫でした。

私はオギャーと生まれですぐに

ピチピチ跳ね回ったそうです音譜

どれだけ元気だったのかしら・・・有難いことです。笑

 

私は北海道の赤平市で生まれました。

父が務めていた住友石炭という会社の

炭鉱の町です。

父は地質学が専門で

地質の本も出していましたが

北海道で石炭の鉱脈を探す仕事をしていたそうです。

東京生まれ、東京育ちの母にとって

かなり心細かった様子が育児日記につづられていますぐすん

 

北海道には3歳までいましたが

確かな記憶はなく

なんとなく広がる雪景色が

イメージとして目に浮かぶのみです。

でも北海道という大自然豊かな地で生まれた、ということが何となく嬉しく

私にとっての宝物になっています。

実はその後一度も赤平の地を訪ねたことがなく

いずれは行きたい、と思いながら

今日にいたっています。

 

3歳の時、父の勤め先が住友商事に代わり

東京に引っ越します。

最初、板橋で川のそばに立っている家に住んでいた記憶があります・

ある時川が大雨で氾濫し

怖くて押し入れに避難していた記憶があるのですが

どうなっていたのやら・・・

 

その後吉祥寺に引っ越して

4歳の時東京音楽院の池田敏雄先生にヴァイオリンを習い始めます。

戦後でまだまだ貧しい時代をすごしていた両親は

女の子にも手に職を、と思い

ヴァイオリンを習わせたそうです。

ピアノにしようかヴァイオリンにしようか迷ったらしいのですが

ピアノは高価で手が届かずヴァイオリンにした!そうです。

何にも知らなかったのですね・・・・

 

池田先生は芸大を卒業したばかりのバリバリの意欲溢れる先生で

楽しくレッスンしてくださいました。

私の最初の発表会デビューは

武蔵野公会堂にて

バッハメヌエットでした!!

そうか、デビューはバッハだったのね・・・と、今気が付きました 笑

 

私は何しろボーっとした子だったようです、

母は一生懸命、日々の練習をさせようと必死でしたが

私がボーっとしているのに腹を立て

弓をぼきっと折ってしまったのを

子供心に覚えています。

何を怒られているのかさっぱりわからずでしたが

とにかくよく怒られていたらしいあせる

 

妹が言うには

ヴァイオリンの曲を聴くと

いつもお姉ちゃんが怒られて泣いていたことを想い出して

楽しめない、そうです汗

 

でも本人は全く覚えていないし

ヴァイオリンは大好きなので

ヴァイオリンを習わせてくれた両親には大々感謝です。

 

ヴァイオリンの練習は

朝幼稚園に行く前にやっており

迎えに来た友達が

椅子に並んで座って聴いてくれていたのを覚えています。

 

とにかく私のヴァイオリン人生はこんな風に始まりましたドキドキ

いつもボーっとしながら夢の世界に想像を張り巡らせ

心ここにあらず、ヴァイオリンとともに過ごす楽しい時間が始まったのでした

 

自己紹介 その2 につづく。。。