【川辺の風景】
シャルル=フランソワ・ドービニー(1817~1878)
キャンパスに油彩 47.0×80.0cm
ドービニーの作品に付いて
オランダのゴッホ美術館が当館としても美術史上
とても大事な展覧会を開きました。
それは、「ドービニーとモネとゴッホの風景の印象」と
言うタイトルの展覧会です。
これは、この題名にあります風景の印象とは
どういうことなのか、それこそ非常
に意味深いものがあります。
まず印象派の印象と言う言葉が一番大事になります。
そもそも風景の印象とはこの風景は
どう思うかと言うことに発しています。
もちろんご存知のようにモネは正に印象派の代名詞であります。
それにドービニーは印象派の魁と呼ばれます通り
バルビゾン派の画家でありながら印象派にも
多大な影響を与えた画家であります。
ですから印象派と言っても過言ではありません。
それに若い頃のモネやルノアールやシスレーと
言った印象派の代表格を育てた画家であります。
しかしゴッホは違います、
ゴッホはポスト印象派と言われ後期印象派の画家です。
そこにはドービニーやモネとの画家としての接点がありません。
では、なぜドービニーとモネとの風景の印象展なのかと言いますと、
その前に、印象派の名前の由来はモネの
「印象日の出」の作品から来ております。
がゴッホは印象派ではなく印象派の前、いわゆる前期印象派の画家たち
すなわちバルビゾン派の崇拝者なのです。
そのゴッホがバルビゾン派の画家たちの様な
あんな美しい絵を私には描けないと最大限の賛辞を送っています。
特にバルビゾン派の巨匠であるジュール・デュプレには
あの色彩はまるで絵画のヴェートーベンとまで言い切っています。
そしてドービニーについては生涯尊敬していました、
ドービニ‐亡き後ドービニーの住まいがある
オーヴェル=シュル=オワーズで人生最後の時間を過ごし、
70点もの作品を描いたことで知らています.
そして、絶筆の作品であろうと言われます
「ドービニーの庭」と言う作品を
2点描いております。そのゴッホが
ポスト印象派と言われ印象派とは
まるで違った作品を展開しております
表現主義的な激しいタッチでありながら筆運びは
或る意味整然と色彩を華やかに色合いで
並べたキャンバスになっております。
ゴッホは弟テオに宛てた手紙では私には
バルビゾン派のあんな美しい絵は描けないが
私の絵として自分の絵を描いてゆくと言っております通り
その時には日本の葛飾北斎の浮世絵からヒントを得て
北斎の特徴をすっかり自分の絵にしているのです。
そうまさに印象派から脱却した絵を描いております。
ドービニー、モネ。ゴッホは或る意味非常に関係が深いのです
それらは作品に対する感覚の鋭さは同じでキャンバスに対する
自覚した色彩のタッチそれぞれの印象の表わし方の違いだけなのです。
この前期印象派から印象派そして後期印象派と
言われるポスト印象派への移り変わりの変化を
特徴付けている展覧会でした。
その中に会ってドービニーの作品がいかに
彼らに影響を及ぼしたかが分かるほど素晴らしい作品群でした。
半分以上のドービニーの作品は圧巻で
ドービニーが果たした役割は絵画史上
特記されるべきものでありましょう。
ドービニーのこの作品は
淡い光を帯びて照らす川面の情景の静かさと沈みゆく
陽の名残りの色合いを暮れなずむ丘の樹陰が
しっかりと堅牢な空気感を浮かび上がらせている。
まさにドービニーの真骨頂の作品です
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【遠くに風車の見える収穫する農夫のいるモンマルトル風景】
ジョルジュ・ミシェル(1763-1843)
キャンバスに油彩 59.2×73.5cm
政治家でもあり、ロマン主義文学の指導者でもあった
シャトーブリアンは、18世紀の末に、早くも芸術家たちに、
自然の中へ出て行って、自然から直接学ぶことをすすめていた。
彼は同一の風景を一日の異なった時間に、
同一の風景を異なった季節に描くことをすすめていた。
彼の忠告はイギリスのコンスタブルやターナー、
フランスのバルビゾンの画家たちの絵によって具現されるが、
彼らよるも早く、同一の場所を様々な時間帯に、
さまざまな角度から、自然に即して描いていた画家がいた。
モンマルトルに住み、心にしみる荒涼たる
モンマルトル風景を数多く残したジョルジュ・ミシェルである。
若い頃から17世紀オランダ風景画家たちに
ひかれていた彼は、つくりものではない、
現実的な風景を最初に描いたフランス人といわれている。
時代に先行しすぎていた彼は、生存中はほとんど世に受け入れられず、
死後、ルソーとデュブレによってはじめて、正当な評価を与えられたという。
彼の絵には、初期の作品を除いては、
サインが入れられていない。「私は自分の絵にサインをしない。
絵はそれ自身で語らなければならないから」と言明していた
ミシュルの絵は、彼の時代の中で、際立った特徴をみせている。
光りを含む黄褐色の色調、荒々しい筆致、
風車のあるモンマルトル風景、どれひとつとりあげても、
十分にサインの役目をするものであった。そしてそれゆえに、
当時のアカデミーに受け入れられるものはなにもなかった。
彼はほとんどモンマルトル付近の風景しか描かなかったが、
自分のすべてを描くためには、丘へ登り、そこからつづく
小さな森の中を歩き、その近郊を訪れるだけで十分だと信じていた。
1810年頃からはサロンへの出品もやめてしまうが、
彼の絵はその後ますます力強くなっていったといわれている。
彼の絵は、1879年にルーヴル美術館に抑え入れられ、
近代風景画の先駆者として名を不滅のものとした。
バルビゾンでの制作はしていないが、
バルビゾン派の画家、バルビゾン派の先駆者ともいえる。
飯田昌平著・バルビゾンの画家たち 村内美術館名品選より。
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19世紀の優れた版画彫師による
バルビゾン派巨匠版画作品展
【彫師一覧】
彫師・・・版画を制作する際、
画家本人が行う場合と専門の彫師が行う場合とあります。
一般的には彫師が彫って擦る場合が多いです。
制作
・ルフォ-ル作LEFORT(1825-)
・ジュール・アドルフ・ショベ Jules-Adolph CHAUVET(1828-1898)
・テオフィル・ショヴェル作 Theophile Chauvel"(1831-1891)
・ダマン作Benjamin-Auguste-Louis・DAMMAN(1835-1925)
・G.グル―作G.GREUX(1838-1919)
・ラギ-ユレルミ-作Frederic Auguste LAGUILLERMIE(1841-1934)
・A.ブラ-ルAuguste BOULARD Jr.(1852-1927)
・ジャナン Frederic=Emile JEANNIN(1859-1925)
・19世紀ジョルジュ・プチ画廊
(フランス1877年からバルビゾン派や
印象派の画家たちに貢献して1933年閉店)
・レシニュ作L,LESIGNE
・ブソ-作BOUSSOD グ-ビル商会関係者
(19世紀のフランスで活動した美術商会社)
・ロドリゲス RODORIGUEZ
・クロ-ド・フェヴル Claude FAIVRE
(1)画家名 コロ-(1796-1876)
作品名 ワジェ通り
種類 エッチング
シ-トサイズ 39.6×43.0cm
彫師 F-E・ジャナン Frederic=Emile JEANNIN(1859-1925)
〈左下に”コロ-作画”、下部中央に”ドゥエ-近くのワジェ-ル通り”、
右下に”F.Eジャナン彫版”の文字有り〉
(2)画家名 コロ-(1796-1876)
作品名 イタリア風景
種類 ヘリオグラヴュール
シ-トサイズ 40.2×29.6cm
彫師 作者不詳
(3)画家名 コロ-(1796-1876)
作品名 夕景
種類 エッチング
シ-トサイズ 18.7×26.2c
彫師 テオフィル・ショヴェル作(1831-1909)
〈作品下部左に”C.コロ-作画”、下部中央に題名、
下部右に”T.ショヴェル彫版”の文字あり〉
(4)画家名 トロワイヨン(1810-1865)
作品名 家路に就く羊飼い
種類 エッチング(1884年作)
シ-トサイズ 28.8×41.0cm
擦師 G.グル―作G.GREUX(1831-1891)
〈作品下部左に”トロワイヨン作画”
下部中央に題名、下部右に”グル―彫版” の文字あり〉
【5】画家名 ジュ-ル・デュプレ(1811-1889)
作品名 近づく嵐
種類 エッチング
シ-トサイズ 29.6×41.2cm
擦師 G.グル―作G.GREUX(1831-1891)
〈作品下部左に”デュプレ作画”、
下部右に”グル―彫版”の文字あり〉
【6】画家名 ジュ-ル・デュプレ(1811-1889)
作品名 千し草を積んだ荷車
種類 エッチング(1879年作)
シ-トサイズ 26.4×39.5cm
擦師 テオフィル・ショヴェル作Theophile CHAUVEL(1831-1909)
〈作品下部左に”デュプレ作画”、下部右に”Th.ショヴェル彫版” の文字あり〉
【7】画家名 ジュ-ル・デュプレ(1811-1889)
作品名 潮流
種類 エッチング
シ-トサイズ 25.5×33.5㎝
擦師 ルフォ-ル作LEFORT(1825-)
〈作品下部左に”デュプレ作画、下部右に”ルフォ-ル彫版”の文字あり〉
【8】画家名 ジュ-ル・デュプレ(1811-1889)
作品名 水飲み場
種類 エッチング
シ-トサイズ 27.5×18.3cm
擦師 ラギ-ユレルミ-Frederic Auguste LAGUILLERMIE(1841-1934)
〈作品下部左に”デュプレ作画”、下部右に”ラギ-ユレルミ-彫版の文字あり〉
【9】画家名 テオド-ル・ルソ-(1811-1867)
作品名 フォンテ-ヌブロ-の池
種類 エッチング(1876年作)
シ-トサイズ 30.0×42.0cm
擦師 テオフィル・ショヴェル作(1831-1909)
〈作品下部左に”TH.ルソ-作画”、下部中央に題名、
下部右に”T.ショヴェル彫版”の文字あり〉
【10】画家名 シャルル=エミ-ル・ジャック(1813-1894)
作品名 水飲み場
種類 ヘリオグラヴュール
シ-トサイズ 22.3×17.2cm
擦師 ジョルジュ・プチ画廊版(フランス1877年から
バルビゾン派や印象派の画家たちに貢献して1933年閉店)
【11】画家名 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
作品名 ブドウ畑の休息
種類 エッチング
シ-トサイズ 26.5×37.4
擦師 レシニュ L.LESIGNE作
〈作品下部右に”レシニュによる彫り”の文字あり〉
【12】画家名 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
作品名 薪拾い
種類 ヘリオグラヴュ-ル
シ-トサイズ 39.3×38.8cm
擦師 ショヴェ作Jules-Adolph CHAUVET(1828-1898)
〈作品下部左に”J.F.Mの版上サイン”、
下部中央に”J.Chuvetによるヘリオ”の文字あり〉
【13】画家名 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
作品名 休息する羊飼い
種類 エッチング(1865年作)
シ-トサイズ 29.3×42.3cm
擦師 ダマン作Benjamin-Auguste-Louis DAMMAN(1835-1925)
原画: グレヴィルの断崖、パステル、
43.7×54㎝1871年作大原美術館蔵
【14】画家名 ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
作品名 洗濯する女
種類 ヘリオグラヴュ-ル
シ-トサイズ 28.8×20.6cm
擦師 ブソ-作BOUSSOD(グ-ビル商会関係者)
【15】画家名 シャルル=フランソワ・ドービニー(1817-1878)
作品名 水飲み場
種類 エッチング(1889年作)
シ-トサイズ 25.4×38.0cm
擦師 A.ブラ-ル作Auguste BOULARD Jr(1852×1927)
〈作品下部左に”ド-ビニ-作画”下部右に”ブラ-ル彫版”の文字あり〉
【16】画家名 ジュリアン・デュプレ(1851-1910)
作品名 囲いの中
種類 エッチング(1890年作)
シ-トサイズ 28.4×39.0cm
擦師 ロドリゲス作RODORIGUEZ
〈作品下部中央”ロドリゲス エッチング。
下部右上に”ジュリアン・デュプレ”の版上サインあり〉
【17】画家名 オット-・ウェバ-(1832-1888)
作品名 放牧
種類 エッチング(1889年作)
シ-トサイズ 27.1×36.5cm
擦師 クロ-ド・フェヴル作 ClaudeFAIVRE
〈作品上部に”オット-・ウェ-バ-”、下部左に”
CL.Faivre"(クロ-ド・フェヴル)彫版、下部右下に”
A.サルモンとアルダイユ印刷所の文字あり〉
*** Otto WEBER 1832年ベルリンに生まれ、
1888年ロンドンにて没。
ドイツの画家。
フランスのポンタヴェンのブルトン村で制作をした最初の
画家の一人であった。