1817-フワンソワ・ドービニー★ | バルビゾンの風

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バルビゾン派(バルビゾンは、École de Barbizon)は、
1830年から1870年頃にかけて、フランスで発生した絵画の一派である。
フランスのバルビゾン村やその周辺に画家が滞在や居住し、
自然主義的な風景画や農民画を写実的に描いた。1830年派とも呼ばれる。

【1817-フワンソワ・ドービニー(1817~1878)★】※印象派の先駆者


パリ生まれ。父Edmond François Daubigny、
叔父Pierre Daubignyも風景画家であり年少時より教育を受けた。

1834年にフォンテーヌブローの森などで作品を制作して以降、
多くの土地を旅行してまわり、戸外での観察を重視して風景画を多く描いた。

1857年からは、自身の所有する小舟「ボタン号」をアトリエとして使用し、
オワーズ川やセーヌ川に浮かべて舟の上から制作する事もあった
(このアトリエ舟での制作手法は後にモネに受け継がれた)。

1860年以降はパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズに住んだ。
1868年にはサロン(官展)の審査委員を務め、モネなどの後に印象派を
形成する事になる若い画家たちを積極的に評価した。

バルビゾン派の一人に数えられ、
印象派につながる重要な先駆けを果たしたと言われる。
1857年にレジオンドヌール勲章を授与されている

1870年に普仏戦争が起こると、一時的にロンドンに移り、
同じく同地に移っていたモネとピサロに、
後に印象派の画商として知られるポール・デュラン=リュエルを紹介した。

1872年には、オーヴェル=シュル=オワーズにてセザンヌと出会い、その才能を評価した。
オーヴェル=シュル=オワーズにあるドービニーの家の庭を1890年にゴッホが描いている


【作品名】風景
【サイズ】15号


【作品名】オーヴェールの林檎の木(1877年)
【種類】エッチング
【サイズ】14×23.8cm


【作品名】日没(1859年)
【種類】エッチング
【サイズ】11.5×18.4cm Salmon(刷師)


【作品名】ウール河畔 ポン=ド=ラルシュ (1877年)
【種類】板に油彩
【サイズ】38×66cm

※管理人感想
ウール河畔 ポン=ド=ラルシュの作品に寄せて
画面の中央より、やや左側にある大きな木の陰影が川の手前の灌木の茂みにまでかかっている。その陰影と空の白い雲との光のコントラストが実に眩しいほど鮮烈に描かれている。俄かの雨が通り過ぎた雨上がりの後の様に、空気が澄み渡り雲の合間に青空が見え隠れしてきている。移り行く時の流れが悠然と通り過ぎて移り変わっていく様子が、人の歩いている姿にも感じられる 


「雪」1873年作・Salon de 1873出品

★バルビゾン七星とは?★





マント橋(1867年作)


川辺の風景
キャンパスに油彩
47.0×80.0cm

ドービニーの作品に付いて

オランダのゴッホ美術館が当館としても美術史上
とても大事な展覧会を開きました。
それは、「ドービニーとモネとゴッホの風景の印象」と
言うタイトルの展覧会です。

 これは、この題名にあります風景の印象とは
どういうことなのか、それこそ非常
に意味深いものがあります。

 まず印象派の印象と言う言葉が一番大事になります。
そもそも風景の印象とはこの風景は
どう思うかと言うことに発しています。
もちろんご存知のようにモネは正に印象派の代名詞であります。

それにドービニーは印象派の魁と呼ばれます通り
バルビゾン派の画家でありながら印象派にも
多大な影響を与えた画家であります。

ですから印象派と言っても過言ではありません。
それに若い頃のモネやルノアールやシスレーと
言った印象派の代表格を育てた画家であります。

しかしゴッホは違います、
ゴッホはポスト印象派と言われ後期印象派の画家です。

そこにはドービニーやモネとの画家としての接点がありません。
では、なぜドービニーとモネとの風景の印象展なのかと言いますと、
その前に、印象派の名前の由来はモネの
「印象日の出」の作品から来ております。

がゴッホは印象派ではなく印象派の前、いわゆる前期印象派の画家たち
すなわちバルビゾン派の崇拝者なのです。

そのゴッホがバルビゾン派の画家たちの様な
あんな美しい絵を私には描けないと最大限の賛辞を送っています。

特にバルビゾン派の巨匠であるジュール・デュプレには
あの色彩はまるで絵画のヴェートーベンとまで言い切っています。

そしてドービニーについては生涯尊敬していました、
ドービニ‐亡き後ドービニーの住まいがある
オーヴェル=シュル=オワーズで人生最後の時間を過ごし、
70点もの作品を描いたことで知らています.

そして、絶筆の作品であろうと言われます
「ドービニーの庭」と言う作品を
2点描いております。そのゴッホが
ポスト印象派と言われ印象派とは
まるで違った作品を展開しております

表現主義的な激しいタッチでありながら筆運びは
或る意味整然と色彩を華やかに色合いで
並べたキャンバスになっております。

ゴッホは弟テオに宛てた手紙では私には
バルビゾン派のあんな美しい絵は描けないが
私の絵として自分の絵を描いてゆくと言っております通り
その時には日本の葛飾北斎の浮世絵からヒントを得て
北斎の特徴をすっかり自分の絵にしているのです。

そうまさに印象派から脱却した絵を描いております。
ドービニー、モネ。ゴッホは或る意味非常に関係が深いのです

それらは作品に対する感覚の鋭さは同じでキャンバスに対する
自覚した色彩のタッチそれぞれの印象の表わし方の違いだけなのです。

 この前期印象派から印象派そして後期印象派と
言われるポスト印象派への移り変わりの変化を
特徴付けている展覧会でした。

その中に会ってドービニーの作品がいかに
彼らに影響を及ぼしたかが分かるほど素晴らしい作品群でした。

半分以上のドービニーの作品は圧巻で
ドービニーが果たした役割は絵画史上
特記されるべきものでありましょう。

ドービニーのこの作品は
淡い光を帯びて照らす川面の情景の静かさと沈みゆく
陽の名残りの色合いを暮れなずむ丘の樹陰が
しっかりと堅牢な空気感を浮かび上がらせている。

まさにドービニーの真骨頂の作品です