父と母 | 悩めるおばちゃまの✩心情の吐露✩

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辛口で自己中気味のblogです~(^^;)っp

私は父の事をあまり知らない。
うっすらと面影が浮かぶくらいだ。
私が幼少期、確か5歳の時に離婚したからだ。
今でこそ、離婚は珍しくもないことだろうが、当時はかなり噂もたったようだ。
母は逃げるようにして私達を連れ、生まれ故郷の実家に戻ってきたのだ。
後々分かった事だが、父が事業に失敗し借金を作ってしまった事が原因だった。

母の実家は幸いにして地主の裕福な家、そして6人兄弟の末っ子だった。
母が両親(祖父母)や兄(叔父)や姉(叔母)の前で、泣いている姿をよく見かけた。
みっともない、とか、恥だ、とか、仕方ないとか、そんな単語が出ていた記憶がある。

しかし、不憫に思った両親(祖父母)は、家と土地を与えてくれ、定期的な援助をしてくれたので
金銭的な事で困ったことはなかった。
後で知ったことだが、「おんぶにだっこ」を決め込む母に、
兄(叔父)が叱責し、その後2人の間にわだかまりが生じたらしい。
叔父は既に他界したが、今でも母は叔父の話はしない。
結局、母は猛勉強をし、栄養士の資格を取得後、公務員になったのだが。

私達姉妹は、母から父への恨み辛みを毎日聞かされ、
そうして、父の人物像は徐々にモンスター化されていった。
父は恐ろしい人。父の姿は真っ黒い得体の知れない影になっていったのだ。

悪戯をすると「あなたはお父さんそっくりね!」「あぁ、そういう顔、お父さんと同じ!」
今でこそ、そりゃぁDNA引き継いてるんだから当たり前じゃない?とも思えるのだが、
子供だった私は深く傷ついた。
得体の知れない影に、自分もなってしまうのではないかと不安だった。

私は努めていい子でいた。成績も良かった。父と同じ!の恐怖の言葉を聞かされないように
母が決める事に服従していった。服も髪型も母の思い通りに従っていったのだ。
父と同じと言われないように・・・・・
周りは、赤や黄色の可愛い服を着ているのに、私は紺のチェック柄のワンピース、
白いブラウスに紺のリボン。
でも段々と羨む事もなくなっていった。
母の言う事を聞いていればモンスターにならないのだから。

ある日、ピアノが我が家にやってきた。
大枚叩いて購入した、さぁ、あなたはピアノを弾きなさい。
・・・ピアノなんて弾きたくない・・・・本音だった。
友達と野山を駆け回りたい。ままごとをしたり、絵を書いたりしたかった。
初めて反抗した、その時の母の般若のような目を今も忘れられない。