https://ameblo.jp/barankoizumi/entry-12543269474.html (1980年 山下泰裕対遠藤純男の引き分け試合)
柔道王・山下泰裕の203連勝に疑問符を打つと言われているいくつかの試合がある。いくつかの試合とはいっても1980年の対遠藤純男戦(遠藤の奇襲・蟹挟みで山下左足骨折)と、もうひとつぐらいだ。ここではそのもうひとつについて考える。勿論、当事者ではないため以下に述べる記述の半分以上が「かも知れない」の世界である。断定はできない。
1985年4月全日本柔道選手権 山下泰裕VS斉藤仁
勝敗は僅差、山下の判定勝ち。
試合開始からお互いの実力は伯仲、気迫も互角、五分五分の勝負をしている。
試合時間は10分。
4分過ぎ、試合は動いた。
背が山下(30番) 向こう側が斎藤
勢いは充分。
柔道ファンの記憶の上で、山下が初めて「まともに畳に背を叩きつけられた」瞬間であることは間違いない。
その勢いは「一本」に見えた。自分が主審だったら技あり、または一本を宣告したかもしれない。
仮に一本であれば決まり技は支釣込足返し。(ささえつりこみあし・がえし)
理屈の上では、支釣込足すかし。
山下の支釣込足は左足で斉藤の右足をつまづかせる。支える。その支える足が空振りし、斎藤が体を浴びせて山下を畳に叩きつけているのだから『すかし技』とも言える。
この強烈な斉藤仁の返し技は、当日、実はノーポイントだった。柔道をかなりやっている人でも「えっ!」と驚く判定だった。
主審も副審もコールしない。
審判はこのシーンを山下の自爆と判断した。1985年当時、自爆はポイントにならない。
「柔道はどういう投げ方をしても相手の背を畳につければ一本」と考えている人は今でも多い。極端に言えばプロレスのダブルアーム・スープレックスでも、サンボのビクトル投げでも背中さえつけてしまえば一本になる、と。この考え方は勘違い、もしくは言い過ぎである。柔道の技じゃなくても、それ相応の効果があれば確かに(柔道の試合でも)一本にはなるが、柔道の投げ技には基準が設けられている。
・相手の体を制して,それ相応の、相当の強さ、速さで相手の背中が畳につくように仰向けに叩きつけた(投げた、倒した)とき ← これが柔道の投げ技の基準。「制する」とは「コントロールする」「意のままには動けなくする」という意味である。上体を固めるとか、重心・バランスを取れなくして制御してしまうという技術を「制する」という。
「斉藤仁の返し技は一本または技ありであり、山下泰裕最後の試合は誤審である」と考える人は「山下の肩が畳についた」「山下が背をつけて仰向けになって倒れた」、ここだけを見る。何度もVTRをスローで見直すと確かにそう見えるが、そういう見方は「柔道はどういう投げ方をしても相手の背を畳につければOK」と考えている人の見方だ。
投げ技の基準である要素のうち、相手を仰向けに倒すこと、それ相応の強さと速度で投げること、相手の背を畳につけること、斎藤の返し技は確かに、ここは満たしているが、「相手の体を制して」いたかといえば疑問である。
何故なら斉藤仁自身が「手応えは充分だが、仕留めたとは思っていなかった」と言っていたからだ。
あの返し技が山下の体を制していたのであれば左手は離していないし、うつ伏せに転がって逃げられてもいない。自分の体の下に巻き込んで抑え込んでこそあの返し技は柔道の投げ技なのである。そして山下封じの完成形なのである。
柔道には崩し・作り・掛けがあるが、4つめに「極め」がある。斎藤の返し技には「キメ」が浅い。浅いと言うより、無い。キメる余裕がなかった。
生放送で見ていたら「一本」とは思わない。何か足りない。山下が死に体になっていない気がする。
支釣込足は捨身技に近い要素がある。反って投げる。自爆はあり得る。
巴投げで跳ね上げられそうになる足を避けて相手を倒した場合、巴投げ返しになるだろうか。考えてみて欲しい。ならないはずだ。それと大外返しの中間が斎藤の返し技である。微妙な判定になっても仕方がない。
斉藤仁が山下泰裕の大外刈りを返したのであれば問題なくポイントになった。大外刈りに来たと思って返した技は支釣込足だった。そのズレが「体を制していない」とみなされたのである。
なお、山下の師・佐藤宣践さんは「あれは斎藤の返しを取る技、取ってもいい技です」と言っている。これは残念ながらビデオがないが、山下引退1年後ぐらいだっただろうか、「斎藤の左手が、かーっと、手首が効いて、かーっと、泰裕の体を返しています」と言っている。数少ない、斎藤の返し技を『投げ技の基準満たす』と判断した人だ。「だからあれは有効・技ありと言われてもしょうがない」と佐藤宣践さんはおっしゃっている。残念ながらここは私の記憶だ。記憶だが90%の自信がある。現在確認できる佐藤宣践談は「斉藤有利だったシーンです、あれは。審判は自爆と見たのでしょう。あと何もなければ斎藤の勝ちです」 ここまでである。
柔道はスポーツだ。
審判は山下の自爆とみた。
だったら斎藤の返し技は無効である。
山下を叩きつけた斎藤の大外返し(支釣込足返し、支釣込足すかし)については以上。
「山下の背がついているのにポイントにしないのはおかしい」という人こそおかしい。
ノーポイントであっても斉藤有利だったシーン。電光掲示板に現れない、大きなポイント。
山下は焦る。「しまった」と思っている。軸足の怪我も完治せず、ここまで追いかけてきた斉藤仁に自分は今日負けるのか、それもいいかも知れない、と思ったかも知れない。
ところが。山下に神風が吹く。
有利だった斉藤仁が「待った」(タイム)をかける。
山下は願ってもない物をもらった。考える時間だ。
貴重な時間、山下は考えた。
答えは「斎藤を投げずに攻める。自分が返されずに怒涛のごとく攻める。斎藤に技をかけさせない」
この作戦は功を奏する。
内股で跳ね上げず、浮かす程度で元に戻る。
斎藤が反撃しそうな気配を感じたら、軸足の遠い大内刈り、大外刈りをかけては離れる。
これを繰り返す、ヒット・アンド・アウェイ戦法。
山下が初めて見せた、「一本を狙わない柔道」だった。
攻めなければ斎藤は反則を取られる。
百も承知だが斎藤が攻められない。
鬼神の表情で死にものぐるいの反撃をマシンガンの如く繰り出す山下の前に、ただ立っているだけの斎藤。気迫で負けていた。また、自分にはビッグポイントがあると思うからこそ、冒険をしなかった。あの支釣込足返しが斎藤に冒険をさせなかった。方やあとがない山下は多少の冒険は覚悟の上で技を繰り出した。
ただ立っているだけで防御一辺倒の斎藤は反則の指導を受ける。
それでも斎藤は攻められない。
試合終了。10分間の死闘が終わり、判定は3対0で山下の勝ちになった。
これが山下泰裕最後の試合である。
反則の指導を受けたとき、斎藤は「まだ自分が勝っている」と思っただろうか。
思っていても仕方がないほどの渾身の一撃、4分過ぎに見せた返し技だった。
両者ポイントなしで片方に指導が与えられた場合、判定では負けになる。この試合、指導が教育的なもので、ポイントとして判定の材料にならないルールだったにせよ、審判が「指導(攻めなさい)」と言っている、言わば審判が山下の攻めを認めたシーンである。方や斎藤には4分過ぎの、審判によるコールなし返し技しかない。斎藤の技を審判が明確には(協議、ジェスチャー、コールによって)認めていないのであれば、斎藤は後半も気迫で負けることなく、投げる技でなくても手数足数を出すべきだったと思う。
野球で「ボール」と思ったタマが「ストライク」と判定されたなら、それは3つ同じコースに続けば全部「ストライク」とコールされる。2つストライクが続いて「おかしい。ボールなのに・・・!」と思っていても、3球めも同じコースに来たらバットを出さなければならない。3球めが、初球や2球めより少し外れていればボールになるかもしれないが、追い込まれているならバットを出し、カットするべきである。
斉藤仁はそれをやらなかった。
やらなかったのではなく、出来なかったのかもしれない。
「どうせこのままなら負けるんだ」と覚悟して「為すべきこと」をし、自分を信じた山下と、「きっと審判はあの返し技を、山下を超える効果ある技と認めてくれる」と試合終了まで勝手に人を信じた斉藤仁。
私がこの記事を作成した理由は、
「斎藤の返し技で山下は肩、背を畳についているからあれは一本(もしくは技あり、有効)だ。明らかな誤審である」「その誤審は山下泰裕という名前、無敗記録保持者という冠・看板がそうさせたのだ」という意見への反論である。そういう人を愚かだとは言わない。当時のルールと、投げ技とは一体何かを考えてからそういった考えを述べてほしかった。また、「明らかな誤審」というならば、その根拠を述べてほしかった。
最後に、どっちが勝っていたかについて語ると「斎藤が勝っていた」という意見が当時も今も柔道経験者の間では多く、自分もそうだと思っていたほうである。斉藤仁の山下泰裕研究と、死にものぐるいの稽古は凄まじく、それを「あそこまで見事に試合で決めていて、負けにされてたまるか」と思った。
だが、「どっちに旗が挙がっても良かったのでは有りませんか」という山下の言葉と、「もうちょっとうまく攻めていれば」「どうして後半攻められなかったのかな」「これが地力なのかな」という斉藤仁の言葉を聞いて、「あれは山下が勝っていた」という結論に達している。結論なので動かない。
以上。