「ものは言いよう」といいます。

 

言い方ひとつで

 

コミュニケーションは円滑になるものです。

 

 

 

例えば最近ぼくは周りから、

 

失念する

 

という言葉をよく聞きます。

 

 

 

単に忘れただけやんけと

 

思いはしますが

 

それもものの言いようのひとつであり、

 

また

 

一種の配慮と言えましょう。

 

 

 

「あの人が忘れたから…」と言えば

 

どうしても忘れたという事象に

 

意識が向かいます。

 

剥き出しの言葉は

 

責任の所在を明確にする意図があり

 

どことなく

 

他を見下す気持ちも見え隠れするような。

 

 

 

一方で

 

「あの人が失念して…」と言えば

 

発話者がつむぐ言葉には

 

場を上手く収めようとか

 

ことを荒立てないようなどの想いが

 

そこはかとなく滲み出ます。

 

 

 

忘れてしまった人に対する敬意も

 

隠し味として仕込まれるでしょう。

 

 

 

そうしたことを考えるに言いようとは

 

やはり配慮であると思うわけです。

 

 

 

二重敬語「おっしゃられるように」や

 

カタカナがインスタントに敬語と化す

 

「おビール」などの言葉も

 

相手に対する配慮にほかなりません。

 

 

 

言葉のルールからすれば少し違うし

 

違和感を感じることもあるはずです。

 

しかし

 

気持ちの中に慮るものが無いよりも

 

はるかにマシなのです。

 

 

 

もっとも

 

「お飲み物、何になさいますか?」

 

と問われ

 

「とりあえずおビール」

 

と返すのは少し違う感じもしますが。

 

 

 

あと生ビールに「お」をつける場合

 

「お生ビール」がいいのか、

 

それとも「生おビール」がいいのか。

 

これは検討すべき案件です。

 

 

 

なんにせよ

 

言葉を選ぶ際には

 

配慮の気持ちを添えて。

 

 

 

ものは言いよう。

 

言葉を発する時の気持ちで

 

言いようは変化するのかも知れませんね。