連載小説・第54回です。

小説始めます。「手書きのタイムマシンneo」手書きのタイムマシンneo 53.温胸爆弾 まで。

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第54回「作戦発動」

「どうすればいいの? 千里さん…」

現実に引き戻される。

彼女がもうほんの少し”大人”なら、見つめるだけでやり方がわかっただろう。

そして彼女は迷いなく、その通りに、まっすぐに俺に口づけしただろう。

そして、そのあとは?

くらくらと…甘さが、息詰まる匂いが頭に侵入してくる。

全身の毛がそそり立った。

媚術…彼女は自覚していない超能力を持っているのだった。

股間のものが立ち上がり、彼女のお腹にあたっていた…はっと我に返る。恥ずかしい。いったん離れたい。

そういえば、ここはホテルの部屋なのだ。見たこともない広さではあるが。どうしたって、ここは「寝る」部屋なのだ。ベッドの存在感があまりにも大きい。今更のように、心臓の脈動が強く、大きく音を立てている。


やんわりと押し返す。

離れない…

「凛… 大人のお付き合いには、順序があるんだ。一足飛びはいけないよ…」

「私ではだめですか? 私とは夫婦(めおと)になれませんか?」

とうとう、彼女ははっきりと望みを口にした。

凛のことは、とても好ましい。魅力に負けてしまいそうになる。

俺はなぜ、この据え膳を食ってしまわないのだろう。何が引っかかるのか。

 

恐怖。

彼女の実家は、それは巨大な広がりを持つ、雅やかで煌びやかな世界。今の様子だと、俺はもろ手を挙げて受け入れてもらえるだろう。

しかし――その世界が大きすぎて、想像できないことに怖さを感じている。

彼女の「もの」になることで――おそらく逆には見られないだろう――あの一族の「社会」に組み込まれるかもしれない。そうなれば出ていくことはできまい。自分の力で何者にもなれず、人のレールに乗るしかない。

途中で降りて、凛を、いや一族を失望させれば、もちろん俺もただでは済まないだろう。恐らく二人とも社会的に立ち直れないほどの傷を負う。

 

かつて「大企業」に失望した数々の瞬間が目にフラッシュする。

自分を殺すこと。言いなりにならなければ、何者にもなれない。人に決められたルールで仕事をし、しかも成果に対して自分の力を感じることは、難しい。しきたりやルールはあらかじめ定められ、従うことはありこそすれ、自分が作ることなど夢のまた夢。先輩たちの、死んだような眼…

今の自分は、嘱望された会社を辞めてまで、自分の力で、自分が何ものかになろうと、足掻いているのだ。

世界と戦うにはあまりにも不確かな、自分の力だが、一寸の虫たる俺のちっぽけなプライドがある。

 

…こんな俺が凛を幸せにすることが、できるのか。

いや。凛は愛しくても、凛と結婚する未来は、俺には受け入れがたい。

ようやく自分の思いが焦点を結んだ。

 

凛との間に何も起こすまい。俺は逃避することに決めた。体は感応しており、息は上がっていて、実に格好悪いけど。

 

…自然に、できるだけゆっくり。見つめあったまま。後ずさる。

 

婚約者偽装を発動させよう。何が起こるかは分からない。しかも外池には無断だが…緊急事態だ。

 

「凛… 実は…」

 

“自分には真美と別れた後、もう彼女がいる。それを隠して凛とも会っていた…”と話して聞かせた。

 

「最低だろ?」

 

凛はふうぅ、とため息をついた。

がっかりしてもらえたか。ちょっともったいない気がするのは男のダメな性か。

 

凛が口を開く。

「ほっとしました」

 

「え?」

 

「千里さんは素敵な方ですから…思いを寄せられる方はそりゃたくさんいらっしゃるでしょうね」

ニコニコしている。

「誰も寄せ付ける気がないというわけでなくてよかった」

雲行きが怪しい。

 

「私、正妻じゃなくてもよろしいです」

 

!?

今なんて言った?

 

「お妾としておそばにおいていただければ十分幸せです」

(続く)