生きたほうがいいのでしょうか?

先日、SHARPのツイッターの方が「生きづらさ」についてツイートしていました。

このブログのテーマは「人間の使命」と「現実というものの本質」ですが、生きづらさがあるのでどうしても「死」を考えてしまいます。

 

なぜ「死」というポータルを作ったのでしょうか?

死なないという選択はなかったのでしょうか?

前にも書きましたが、5次元には「死」という概念はないでしょう。

時間さえも物理的な力として存在しているので、「寿命」という概念すらないのです。

一個体の生存可能期間はあるかもしれません。

でも、それすらすでに科学の力で克服しているでしょう。

なぜなら、時間すら扱えるからです。

 

でも、それによって停滞が起きるでしょう。

問題がないのに、わざわざ大変な思いをする必要もないのです。

私たちの意識は5次元の意識の投影だと以前にいいました。

脳は5次元の意識の受信機です。

5次元がそう思っていることが、私たち3次元の意識なのです。

では、なぜわざわざこんな大変な思いをしているのでしょうか?

 

わざわざこういう世界を作らないといけないくらい、5次元では世界が停滞しているからです。

文字通り時間が止まっているのかもしれません。

静止した時のなかで、すべてが終わっているのだと思います。

なので、わざわざ「何かをなすべきせ世界」を作ったのです。

 

ところが、私たちの5次元の意識は、必ずしも「何をすべきか」はわかっていないのです。

なので、匙加減ができなかったのです。

環境設定が大変すぎるということをわかっていなかったのです。

毎日会社で遅くまで残業している方は特にそうでしょう。

 

そういうものですから、私たちはことの重大さ、過ちに自ら気づき、方向を修正しなければなりません。

人生というシミュレータですべきことがあるなら、それをしないで社畜として生きることは、将来後悔しか残りません。

将来とは、死んだ後に戻る5次元での世界での意識です。

それもまたわかっているから、生きていることが辛いのです。