Lの字型のカウンターの短い方へ座ったぼくの前に、日本酒をベースにしたサムライロックが置かれる。ギイには琥珀色のグラスを差し出す矢倉は
「デートコースに選んでいただけて、光栄だな」
カウンターの中から、愉快さを隠さずに添える。
島岡さんの話によれば、この店のオーナーとギイは、親しいそうだ。本業とは違う、採算は度外視してもオーナー自らが気軽に楽しめる店が欲しいと聞いたギイが、新しいアルバイトを探していたオーナーに矢倉を引き合わせたら、その場で採用が決まった。そうして、ギイもまた、時折この店を訪れるようになっていた。
「俺じゃないよ。託生の付き添いで、連れて来られたんだ。」
「へえ。葉山が来るの、初めてだろ?」
頷いたぼくは、カウンターの向こうにあるふたつのビリヤード台を見た。
「ここなら、ビリヤードができるって聞いたから」
グラスに口をつけかけたギイが、チラリと視線だけを向ける。誰から?訊く瞳には応えずに、ぼくもグラスを持ち上げた。ワイルド名前に惹かれ選んだグラス中で、崩れた氷がカラリと小さな音を立てる。
「葉山がビリヤードね。ギイに習ったのか?」
「これから習うんだ。だから、どこに行けばいいのか、わからなくて」
できるだけ平静を装って話すぼくを、ギイと矢倉は示し合わせたようにプッと吹きだし、顔を見合わせる。
ふたりとも、なんだよ。
「デビューに選んでもらえるなんて・・・なおさら光栄だな」
「俺も光栄だよ。よもや託生からそういうことを聞かされようとは、今年は“忘れられないクリスマス”になるじゃないか。」
ホントに?ギイ 
グラスを置くふりをして、隣をそっと盗み見る。淡いオレンジ色の光の中で、ふわりと溢れるように微笑むギイがいた。キラキラと、弾ける光が零れ落ちるように、微笑むギイ。
「新入生歓迎会の日、ぼく、出掛けてただろ。だから、見られなかったんだ」
「ああ、あの日のギイ、格好よかったぞ。見逃しちまって、残念だったな。負けても格好いいんだから、ギイはズルいよなあ」
「おいおい、負けたって、こっちは真剣だったんだぞ」
「そんなに格好よかったんだ」
カウンターに片肘をついてギイを睨む矢倉の顔を、間近に見上げた。
「クラスのみんなと、ギイはまたファンを増やしたなって、話したくらいにはな」
「でも俺としては、早くあの場所から抜け出したかったんだ」
残響のように、手のひらから、続きの言葉が聞こえた。ぼくの頭を撫でるギイの、柔らかな眼差しが心を捕らえる。
あの日、ぼくは意地になってもいて、“ひとりでも行こう”そう決めていたから、神様がイジワルをしたんだ。
「見せてやろうか? 葉山」
後悔が過ぎったとき、矢倉がつと申し出た。
えっ、小さく声を出したぼくと、撫でる手を止めたギイが、同時に矢倉を見つめた。
「ちょっと、待ってろよ」
そう言ってカウンターから出ていく矢倉の背中を、ふたりの目が追いかける。フロアへ出た矢倉は、ビリヤード台とテーブル席のちょうど真ん中辺りに立って、パチパチと手を鳴らした。店内の注目が矢倉に集まる。ざわめきが止まり、ボサノバを歌う女性歌手のアルトに混ざるショット音が視線の先で響いた。コトリと落ちた球の音がやけに大きく耳に届く。
矢倉はぐるりと辺りを見渡して
「誰か、ギイと、勝負してやってくれないか」
静かに切り出した。
名前を出され一瞬驚いたギイは、矢倉につられたみんなが振り向いた時には、微かに、しかし惜し気もない自信を刻む笑みを美貌の上に浮かべていた。矢倉からギイに移った視線がその表情を認め、弾かれたようにひとつふたつとゆっくり逸れていく。そしてついにぼくたちを見る人がいなくなり、店内は何事もなかったように、そこはかとなくざわついていく。