期末テスト一週間前になると全ての部活動が活動停止になる。美術の授業を選択していない克樹はこれで嶺亜との接点がなくなってしまう。嘆かわしいが、勉強に専念しなくてはならないという思いもある。受験勉強はこれから迎える夏休みが勝負だ。

梅雨が明けきらず、その日も朝から黒い雲が空を覆っていた。ひと雨きそうな雰囲気で湿気が鬱陶しい。礼拝堂は一応クーラーが効いているから足早になだれ込んだ。

「くぁ…ねむ…毎朝毎朝礼拝とかだりーなー…」

前の席では大光が欠伸をしながら机に突っ伏している。信仰心のない大光にとってこの時間は睡眠時間になっている。克樹も決して礼拝は好きではないが、あまり不真面目な態度だと牧師に目をつけられて神学の成績に影響してしまうから表面上は真面目に参拝している。

礼拝の始まりを告げる鐘が鳴った。まだ周りはざわついているが、そのうち牧師が入ってくれば自ずと静まりかえる。そしてその通り、礼拝堂の扉が開く音がして、足音が近付くと同時に徐々にざわつきは収まっていった。

昨日は遅くまで勉強をしていたから克樹も若干眠気がいつもより強めだ。欠伸をしかけてそれは一気に吹っ飛んでしまう。

「今日は牧師の先生が出張のため、代理で行います」

なんと嶺亜が聖壇に立っていた。稀に牧師の代わりに教師が礼拝を進めることはあったが嶺亜は初だ。眠気も吹っ飛び、克樹は淡々と礼拝を進める嶺亜の姿に見とれる。なんてラッキーな朝だろう…とうっとりしていたらさっきまで寝ていた前の席の大光が手を挙げた。

「センセ、しつもーん」

「何?佐々木」

嶺亜は冷静に大光を指したが表情のどこかに少し嫌気が滲んでいる。それもそのはず、物怖じしない大光は良く言えばフレンドリー、悪く言えば無礼千万な態度で教師にもグイグイ行く。新米教師はもう友達感覚だ。

「そのー、マリアって処女っしょ?処女ってことは経験ないんっしょ?それでも子どもデキちゃうってどういうことっすか?」

予想通り幼稚な下らない質問が飛んで来て、嶺亜が浅い溜息をつく。克樹は反射的に持っていた聖書を大光の後頭部にお見舞いした。

「いって!何すんだよ克樹!俺はあいつの聖壇デビューの応援してやろうと…」

周りで笑いが起こった。礼拝の荘厳な雰囲気は一時的に中断されてざわつきが濃くなり始める。克樹は自分の取った行動がさらに嶺亜に迷惑をかけてしまっていることに焦りを感じ始める。余計なことをしてしまったかもしれない。

しかし嶺亜は至って冷静で、にっこりと微笑みながら切り返す。

「子どもはまだ知らなくていいんだよ。そんなこと考えている暇があったら英単語の一つでも覚えた方がいいんじゃない?」

ばっさりシャットダウンしたことで、静けさが戻る。安堵しながら礼拝を終ると嶺亜は通り過ぎざまに大光の頭を小突く。大光はというと、反省ゼロでへへっと笑って得意げにこう言い放った。

「どうよ?聖壇デビューは?俺のエール届いた?」

「何がエールだよ。授業妨害だから。担任に報告しとくからね。多分罰としてニワトリ小屋の掃除させられると思うけどまあ自業自得だよね」

おどけていた大光の顔がさっと青ざめる。こう見えて彼は鳥類が大の苦手でひよこですら手に乗せただけで泣いてしまう。どうも幼児期にトラウマがあったようで、唯一にして最大の弱点だ。

「え、ちょっと待てよ。それだけはカンベン!分かった、購買のドーナツ2つで許せ!」

「牛乳もつけてね」

さらっと言い放つと嶺亜は聖書片手に去って行く。大光は「くっそー」と悔しそうに聖書を曲げた。

「大光やっちまったなー。まあマリア非処女説はちょっと面白かったけどね」

矢花が大光の背中を叩く。今野が苦笑しながら

「鳥苦手なの知られちゃったらもうからかうのやめた方がいいよ大光。マジでニワトリ小屋にぶち込まれかねないし。あの人だったらやりそう」

「くっそー…じゃあターゲットを変えるか…」

「タ-ゲットって?だいたいの先生に鳥苦手って知られてんだから大人しくしとけば?」

皆にそう言われて、大光は渋々購買に向かっていった。