インド哲学であるバガヴァット・ギーターの教えは、非常に難しいと言われています。
それは、教えの形が、教える人の、気付きとさせなければならないからなのです。
只一方的に知識を教えるのとは訳が違います。
一般的に、学校で教える物質次元の知識は、一方的講義であり、ただ知識として教えればいいのです。
しかし、哲学の教えは、その人の人生経験に即した、気付きを誘発する諭しとしなければ、意味がないのです。
もともと、教える内容が、精神的なものであり、物質次元の知識とは全く異質な教えなのです。
それ故、その教える方も、知識としての哲学だけではなく、自分自身が人生を生き抜いて来て、実践体得した教訓に、ギーターの本質をミキシングした、乳粥として与えなければならないのです。
教える者は、教える生徒の能力と資質を判断し、生徒の疑問に対して適切なる解答を与えてこそ、教えの真髄なのです。
しかるに生徒も、人生の生き方に真摯なる生活態度を持って、生活をしていなければ、適切なる質問も疑問も、抱くはずもなく、教え教えられる関係自体も、成立しないのです。
この様に、教える方だけの難しさだけでなく、その教えを求めようとする、生徒の存在自体も、非常に稀なのです。
この稀なる生徒の存在も多分、百万人に一人いるかどうかのオーダーだと、私は思っています。
しかし、その百万人の中の一人の為に、私の存在があるのです。
それほど、私と師弟の関係になること事態は、非常に稀なるものなのです。
覚者よ我を観よ、智者よ真理を聴け、勇者よ我に従え
これからはインド哲学バガヴァット・ギーターの時代です。
私は宗教団体には一切入っておません。
全て独学でギーターを身につけました。
人生の意義を知り、本当の人間としての幸せを掴んでください。
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バール・クリシュナ・フミオ