京王線の事件で考えた | 香椎攻防記

香椎攻防記

轟丸英士、アラフォー。
底辺窓際サラリーマン。
主に通勤時間中の時間潰しの駄文、ならびにダイエット記録です。

 ほとんどの人がスマホをそれぞれ持つ時代故か。

 あまりにも生々しい動画、写真の数々が目に触れる。何ともリアルな恐ろしさを感じた。そして、事件が起きたのはかつて学生時代に住んでいた所とそう遠くはない場所。普通に日常的に使っていた沿線。映画の悪役主人公に扮した犯人が、太々しく車内でタバコを吸う姿に、背筋が凍るような、そんな気持ちになった。一昨日、昨日は出社だったが、行き帰りの車内、ここでそういうことが起きる可能性もゼロじゃないよな…と。時折、そんなことを考えていた。


 刺されたのは犯人を一喝した初老の男性だったという。被害者の勇気は凄いと思う。自分がその場に居たらどうしただろうか。多くの人々と一緒に逃げたのだろうか。それが正解だとは思うが。もしかしたら他の人を押しのけて我先にと逃げてしまうのかもしれない。

 目の前に妻や子供、家族、友達、知り合いがいたら?そう考えると、他人事ではなく一層この事件が恐ろしく感じられた。


 犯人は普段から目立たない人物だったという。そういう大人しい人間が、普段感情を発露することなく、少しずつ怒りや鬱屈を溜めてゆき爆発して他人のみならず自分の人生を台無しにしてしまった。もちろん被害者が最も気の毒なのは当たり前だが、犯人にも同情してしまう。そこまでいくまでになんとかならなかったのか…と。


 ああいう事件を見ると、格闘技をやってるとか、フィジカルが強いというのは別次元の話で、結局意味を持つのは心の強さだなと思う。つまり、危機に際した時に、正しく判断し、正しく適切に、自分を犠牲にできるかということ。大前提としての、その心の強さの後についてくるのが肉体だ。どんなにルールの下で闘った経験があった所で、命のやりとりに身を投じられるかと言えばそれは別問題だと思う。

 心を強くするにはどうしたらいいのか。それはとても難しい問題で、答えはわからない。だからこそ人類は様々な宗教や武道、修行を生み出して試行錯誤してきたのだろう。そして、今なおしているのだろう。


 私もいざという時に戦える強い人間になりたい。つまり強い心の人間になりたい。それは肉体を鍛えることはその一助とはなるかも知れないが全てではない。やり方はよくわからないが、模索し続け、こう在りたい自分、というものは描き続けておきたい。