表裏一体

 

安定と変化。

一見すると相反する現象。

しかし、夜空に浮かぶ月を見上げてみると、

毎日同じ月を眺めることはない。

月は新月→下弦の月→満月→上弦の月

→新月…

と満ち欠けすることが

普遍的なことであり、

これ即ち

「変化とは安定なり」

であるのです。

 

東洋の占術で考えてみても、

同じ九星、同じ干支が揃うのが

180年に一度。

“今日”と全く同じ日は

人間の生命の限界圏の中では

一度切りの“今日”なのです。

 

いい時も悪い時も

永遠じゃない。

だからこそ、

良かれ悪かれ“どう過ごすか”が

大切である、ということを

易も提示してくれます。

調和と美を司るせフィラである

ティファレト。

天体は太陽。

無意識の領域を司るセフィラは

イェソド。

天体は月。

これらを結ぶ小径は

人馬宮(=射手座)に

対応しています。

 

『トートの書』によると

人馬宮は火の風より太陽、

そして

エネルギーの安定した力を

象意する太陽に準えられます。

 

月の性質と太陽の性質を持ち合わせた

人馬宮、即ち射手座は

理性的で哲学的な頭脳を持ちながらも、

好奇心・探究心に溢れ、

冒険を好む傾向にある星座であることが

腑に落ちます。

 

ここまで書いてきて、ふと浮かんだ曲は

『天体観測』/ BUNP OF CHICKEN

“見えないものを見ようとして

望遠鏡を覗き込んだ”

ってまさにそんな感じがしませんか?

 

今日という日は

泣いても笑っても

“今日この日”しかない。

明日が、明後日が、

1週間後が、1ヶ月後が、

1年後、10年後が見えなくて

不安になる。

このままで大丈夫なんだろうかって

焦るし、

時には絶望することだってあるかもしれない。

だけど、だからこそ、

見えないものの中に、一体何が隠されていて、

どんな未来に繋がっているのかと

冒険してみたくなる衝動もどこかにあって。

“変わること”って怖いから、

“変えること”にも躊躇する。

たとえ本当に望むところに

回帰することだとしても。

でも、“どうせ今日しかない”

って思えたなら、

ほんの少し気が楽になって

“折角ならやったろかな”って思うかもしれない。

不思議なもんで人生って案外、

そういうちょっとした冒険で

思う様にことを運べたりするのかもしれません。

 

無意識に問う。

“本当にやりたいことは

一体なんなんやろうか?”

陽が差し、月を照らす先、

どこに向かっていくのだろう。

どこに向かっていきたいのだろう。

羅針盤は自分の中に、

もうすでに航海図と共に

あるのやもしれませんね。